西村繁男の『さらば、わが青春の「少年ジャンプ」』なんかにも書かれてるけど、特に80年代以降に強調されてきた、ジャンプ特有の殺伐とした荒っぽさは、少年サンデーのラブコメ路線に対抗してのものだったから、「女なんか知らねえ」的なノリが強かった。
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西村繁男の『さらば、わが青春の「少年ジャンプ」』なんかにも書かれてるけど、特に80年代以降に強調されてきた、ジャンプ特有の殺伐とした荒っぽさは、少年サンデーのラブコメ路線に対抗してのものだったから、「女なんか知らねえ」的なノリが強かった。
あとこれはもっと遡るが、ジャンプに限らず、少年漫画全体にストイシズムの衣をまとったミソジニーが影を落としていることも否定はできない。これは原因がはっきりしている。梶原一騎の負の遺産である。
この呪いを解いたのが80年代のサンデーで、もっと言えばあだち充と高橋留美子なわけだけど、これに対抗してジャンプが打ち出した路線が、梶原一騎のドロドロした怨念を漂白した、実体のないカジュアルなミソジニー感覚だった、と言えるのではないか。