オペラを愛好する女性は大勢います。ことにヨーロッパの場合、劇場へはカップルある いは家族で出かけるという習慣があることも関係して、男女比はほぼ同じ程度に見えます (例外はワーグナーで、男性ひとり客が目立ちます)。
しかし、実は私は会場にいる女性たちを眺めながら、「この人たちは、本当のところ、 どう考えているのだろう、感じているのだろう。居心地は悪くないのだろうか」と訝(いぶか)しく思うことがあるのです。
なぜなら、今日愛好されているオペラの大半は、明らかに男性の視点から描かれ、男性にとって魅力的な女性、こうあってほしいという女性を主人公にしているからです。また、多くの作品では男が能動的、女は受動的です。要するに、男女観が古いのです。
曲がりなりにも男女平等が常識となり、男女の役割分担もゆるやかになってきた現代において、オペラはこの点でどうしようもなく時代遅れなのではないか、今日の価値観とはずれているのではないか、そんな疑問が打ち消せないのです。
もちろん、現代とは異なった時代において、耐える女、待つ女が、ごく当たり前に描かれたこと、それ自体はよいことでも悪いことでもないでしょう。19世紀の作曲家は、ほとんどそういう女性しか知らなかったし、それ以外の女性のあり方を考えることは難しかったのでしょう。
どんなに偉大な芸術家でも、時代の限界を超えることは容易ではありません。現代の視点から一方的に断罪するのは厳しすぎるかもしれません。
だが、そうは言っても、そんな作品を鑑賞している現代の女性に抵抗感はないのか、私はついそう心配してしまうのです。シェイクスピアの『ヴェニスの商人』は、たとえ偉大な劇作家の名作だとしても、ユダヤ人にとっては不愉快でしょう。
同様のことが、オペラにも言えるのではないか。現代においても、女性は、男性の視点や価値観を自分の中に取り込み、半ば男性化していかないことにはうまく生きていけないのではないか。特に日本においてはまだまだそうではないか。そのような疑問が頭の中を巡ります。
オペラの主人公たちは、男性中心社会の犠牲者であることが大半なのです(悲劇的な最期を遂げる女主人公が多いのは、男がそれを見て興奮するからだという説もあるほどです)。オペラを初めて見に行った若い女性ほどそのことをはっきり口にします。
「蝶々さんは、どうして馬鹿で軽薄な男を延々と待ち続け、あげく自殺までするの ? 」
「カルメンは、つまらない男に追い掛け回されてかわいそう」
なるほど、こうした感想は、歴史を知らない素朴な疑問でしょう。であっても、現代の視点から見たひとつの真実を突いているのではないか。