収録石燕妖怪一覧 その一
栄螺鬼 否哉 天井嘗 箒神 火消婆 倩兮女 髪鬼 逢魔時 濡女 長壁
・ 栄螺鬼 (蠑螺鬼) 口絵P4
「海中に於ける古さざえの怪」
徒然上 国書版P278 「雀海中に入てはまぐりとなり、田鼠化して鶉となるためしもあれば、造化のなすところ、さざえも鬼になるまじきものにもあらずと、夢心にもおもひぬ。」
石燕の絵では簡略化されていた「蠑」の文字が元に戻っています。ただし、使用された図版に書かれている名前では「栄」のままでした。(ちなみに模写ではなく、普通に似せて描いただけのものです。)
藤澤氏による解説は、栄螺鬼が年を経たサザエの妖怪であると解釈してのものだと思われます。この妖怪が収録されている『百器徒然袋 上』からは、他にも骨傘や白容裔等の絵が使用されていますが、そちらの解説が石燕のそれに従っていることを考えると、藤澤氏が栄螺鬼の本来の解説を知らなかったという線は極めて薄くなります。あるいは天井嘗同様のことがあったのかもしれません。
「サザエが年を経たもの」という解説は水木氏も使用しています。
なお、隣のページには舞首が載っています。海で繋がるからでしょうか。
・ 否哉 (異爺味) 口絵P8
「すべての肉體は女にして面相のみいやな爺相の怪」
拾遺雨 国書版P244 「むかし、漢の東方朔、あやしき虫をみて怪哉と名づけしためしあり。今、この否哉もこれにならひて名付たるなるべし。」
絵の方に直接書かれた名は「いやみ」となっていますので、「異爺味」というのは藤澤氏独自の当て字のようです。ちなみに当て字が共通するからでしょうか、隣のページには狐者異が載っています。
この絵もまた忠実な模写ではなく、似せて描いただけの模本のようです。それが一番はっきりと分かるのは、水面に映った妖怪の人相でしょう。水木氏が描く「嫌味」の顔とそっくりです。「否哉」から「いやみ」への名称の変化といい、水木氏がこの本を参考にしたことがよく分かる一枚です。
石燕はこの妖怪自体に関しては、あまり詳しい解説を残していません。藤澤氏による解説は、まったく見た目による判断(というかそのまま)だと思われます。
・ 天井嘗 口絵P10
「古屋敷・古堂の天井にしみあるは此怪物の嘗めし跡」
徒然上 国書版P273 「天井の高は灯くらうして冬さむしと言へども、これ家さくの故にもあらず。まつたく此怪のなすわざにて、ぞつとするなるべしと、夢のうちにおもひぬ。」
水木氏は天井に染みをつける天井嘗という妖怪の話を、幼い頃に近所のお婆さんから聞いたと語っていますが、どうもこちらが出典のようです。山田氏も天井に染みをつける天井嘗の物語を書いていますが、これも創作である可能性が高いです。
詳しい方から教えていただいたのですが、この藤澤氏による解説にはもとネタがあるようで、氏が関わっていた「日本伝説学会」の会誌に絵とともに掲載されたものだそうです。石燕の解説よりも仲間内を優先させた、といったところでしょうか。(※)
隣のページには箒神が載っています。
※アップ後に伺ったのですが、どうやら会誌の天井嘗自体が、藤澤氏による解説だったようです。いやはや。
・ 箒神 口絵P11
「野分はしたなく吹ける朝はきための落葉を散らさじとする器物精霊」
徒然中 国書版P303 「野わけはしたなく吹けるあした、林かんに酒をあたたむるとて、朝きよめの仕丁のはきあつめぬるははきにやと、夢心におもひぬ。」
「ははきがみ」と読むようですが、現代では「ほうきがみ」という読みで通っています。(意味は同じです。)
石燕の解説は前半でのみ使用されています。後半では「器物精霊」という言葉が出てきますから、付喪神であることを強調しているようです。ここから「ひとりでに動く箒の怪」というイメージがついたのでしょうか。ちなみに水木氏は『ふるさとの妖怪考』で、この解説にほぼ準拠した話を書いています。
隣のページには天井嘗が載っています。
・ 火消婆 (吹つけし婆) 口絵P12
「風もないのに燃え盛る灯の消ゆるは遠隔の處より此婆のするわざといふ」
続百晦 国書版P133 「それ火は陽気なり。妖は陰気なり。うば玉の夜のくらきには、陰気の陽気にかつ時なれば、火消ばばもあるべきにや。」
否哉同様、名称に変更があります。絵の方に書かれた名は「ふつけし婆々」になっていました。もともと絵の作者自身には、精密に模写する気はなかったようですから、妖怪の名前も簡単に変えてしまったのかもしれません。
現在では「火消婆」よりも「吹っ消し婆」という名称が一般的になっていますが、それはやはりこの本が絡んでいると見ていいでしょう。
藤澤氏による解説は、例によって見た目による判断のようです。
隣のページには倩兮女が載っています。
・ 倩兮女 (笑女) 口絵P13
「見上ぐれば垣より高く大面相の醜女現はれてげらげらげらと笑ふ」
拾遺雲 国書版P203 「楚の国宋玉が東隣に美女あり。墻にのぼりて宋玉をうかがふ。嫣然として一たび笑へば、陽城の人を惑せしとぞ。およそ美色の人情をとらかす事、古今にためし多し。けらけら女も朱唇をひるがへして、多くの人をまどはせし淫婦の霊ならんか。」
倩兮女のことを「笑女」という名で紹介している本がたまにありますが、やはりこの本が(もしくはもと絵が)絡んでいるのでしょうか。
解説はやはり絵からそのまま連想したもののようで、現在でも大女系の怪異のように解説されることがあります。ただし石燕が「人を惑わす淫婦」としたのに対して、こちらは「醜女」と言っています。おもしろいものです。
ちなみに、『今昔百鬼拾遺』各巻に収録されている妖怪で、日本編上巻に起用されたのは、これと否哉のみです。これを考えると藤澤氏は拾遺に関する資料を持ち合わせていなかった、とも推測できますが、はたしてどうでしょうか。
隣のページには火消婆が載っています。
・ 髪鬼 口絵P14
「千筋の落髪を泥土に汚せし女の髪に自づとなした鬼の姿」
徒然中 国書版P291 「身体髪膚は父ははの遺体なるを、千すじの落髪を泥土に汚したる罪に、かかるくるしみをうくるなりと言ふを、夢ごころにおぼへぬ。」
藤澤氏による解説は、石燕のそれに準じています。
水木氏の解説では「女の髪が切っても伸びつづけるようになったもの」となっているようですが、この本とは関係なさそうです。また名称が「鬼髪」になっていることがありますが、この辺はなぜなのでしょうか。ご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただきたいと思います。
隣のページには歯黒べったりが載っています。
・ 逢魔時 P2~3
「たそがれは百魅の生ずる時であるといつて」(P2) 「世俗に永く小児を出すことを禁じて来た」(P3)
続百雨 国書版P108~109 「黄昏をいふ。百魅の生ずる時なり。世俗小児を外にいだす事を禁む。一説に王莽時とかけり。これは王莽前漢の代を簒ひしかど、程なく後漢の代となりし故、昼夜のさかひを両漢の間に比してかくいふならん。」
本文ページに入ってからは、かなり精密な模写が堪能できます。
もともとが見開きの絵ですから、これも二ページに渡って掲載されています。解説文も同様で、内容は石燕の解説の前半のみを言い換えたような感じです。
本編の幕開けにふさわしい絵ではないでしょうか。
・ 濡女 P8
「北陸地方の川辺に出づるといふ濡女」
百鬼風 国書版P83 解説なし
水木氏も流用した蛇体濡女の話が紹介される中、この絵が出てきます。つまりこの絵は、この本にしては珍しく、本文の内容に沿った石燕画となっているわけです。
話の内容は、「船で川辺の柳の枝を伐採しにいった若者達が、濡女に襲われる」というものです。この話の中に「濡女の尻尾は三町も先まで届くので」(P10)という表現があることから、蛇体の濡女のことを言っているであろうことが推測されます。しかし蛇体の濡女が登場する古い話はこれのみだそうで、この話の出典も不明とのことです。
石燕は濡女の解説を書いていませんので、藤澤氏の解説は本編に準じたもののようです。
・ 長壁 P12
「古城に棲む妖怪播磨国姫路の刑部最も人口に膾炙する」
続百雨 国書版P121 「長壁は古城にすむ妖怪なり。姫路におさかべ赤手拭とは、童もよくしる所なり。」
解説は石燕のそれに準じています。
もともと知名度があったせいでしょうか、特に大きく情報が改変されることは、後にもなかったようです。
隣のページには飛頭蛮が載っています。
2003.2.19 update
2003.2.22 last update