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【社説】

ラグビーW杯 「共に前へ」を続けよう

 ラグビーのワールドカップ(W杯)が閉幕した。日本の八強入りなど数々のドラマを生んだ大会だった。礼を尽くしつつ激しくぶつかり合う独特のラグビー文化を堪能した一カ月間でもあった。

 日本初のベスト8がかかったスコットランド戦。具智元選手が負傷交代の際に流した涙は今大会の日本代表を象徴していた。

 具選手は韓国出身だ。韓国代表の名選手だった父を持ち、中学時代に来日した。日本で長くプレーしてきたとはいえ、日韓関係が悪化する中、日本代表として戦うのは大きな心の葛藤があったはずだ。

 チームメートは悔し泣きする具選手に駆け寄り励ました。多くの外国出身選手が参加する日本代表が「ワンチーム」であることを証明した瞬間といえるだろう。

 今大会で代表を引退するトンプソン・ルーク選手はニュージーランド出身で日本国籍を持つ。彼はスコットランド戦後、台風の被害を受けた人々を思い「ラグビーは小さなこと」と話した。

 戦いが激しいだけに、ラグビーには試合後の立ち居振る舞いにも礼節が求められる。プロのサッカーや野球と比べ審判に詰め寄るシーンも少ない。

 ラグビーは、勝利への欲望以上に、相手を立てるといった儀礼性を重んじる。こうした特徴に、多くの日本人が親近感を持ったのではないだろうか。

 今大会で多様性という言葉がキーワードとなった。実は日本ラグビーの多様化の歴史は長い。一九八〇年代、トンガから来た選手たちが大学チームに参加。社会人リーグや日本代表でも活躍した。

 八七年の第一回W杯でトライ王になったニュージーランドのジョン・カーワン選手も、九七年から九九年まで国内の社会人チームに加わった。それ以降、海外の名選手が国内でプレーすることは当たり前の風景になった。

 日本ラグビーの多様性は、来日した海外選手たちと共生しながら、長い時間をかけて培ったという事実を強く指摘したい。同時にその過程は、さまざまなルーツを持った人々と暮らしていく上での生きた教材となるだろう。

 大会は南アフリカが三度目の優勝を果たしニュージーランド一強に歯止めをかけた。今後の開催地として米国が関心を示しており、ラグビーの裾野は国内外で一層広がるはずだ。国内ラグビー界からは「再び日本で」との声も出ているが、実現を目指したい。

 

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