朝ドラ・スカーレットに登場「デイリー大阪」は“実在”した!?大阪夕刊紙の歴史
NHK連続テレビ小説「スカーレット」(月~土曜8時)のヒロイン喜美子(戸田恵梨香)が働く荒木荘の下宿人の一人である新聞記者の庵堂ちや子(水野美紀)。貴美子も1日体験入社したその勤務先である「デイリー大阪」は架空の新聞社だが、ネットでは「デイリー大阪のモデルはデイリースポーツかな」「デイリー大阪ってデイリースポーツ?」といった声が並ぶ。そのモデルとなったのは…。
ちや子が働いている「デイリー大阪」はスポーツ紙ではなく、戦後に大阪で発刊された夕刊紙の会社という設定。戦後間もない当時は、用紙配給の関係で割り当てを多くするため、全国紙は新媒体として夕刊紙を創刊し、同時に独立系も相次いで発行・復行された。大阪では「大阪日日」「新大阪」「関西」「新関西」「大阪新聞」などが競っていた。
ドラマの中で編集長が他社にスクープを「抜かれた!」と叫び、ちや子が裏を取りに走るシーンがあった。戦後間もないころの夕刊紙は朝刊の補完といった意味合いもあり、芸能やスポーツよりも社会面が中心のものも多かった。
だが配給統制が解かれ、全国紙などが再び夕刊を発行しはじめるようになると、状況は一変。廃刊・休刊する夕刊紙が出てきた。残った夕刊紙の多くはお色気面も増え、芸能やスポーツ、社会ネタなら暴力団抗争などに舵を切っていった。朝刊では扱わないような記事を独自で取材。大阪一の繁華街・梅田の地下街の丸い柱には、夕刊の1面が壁新聞のようにベタベタと張られ、センセーショナルな見出しが通行人の目を引いていた。
それでも生き残った独立系の夕刊紙である「大阪日日」(訳すとデイリー大阪?)などは、ちや子と同じ時代を生きた女性記者が、後年編集長を務めたことも。また同じビル内にある活版印刷工場の職人に記者自らが頼み込み、締め切りを待ってもらうといった牧歌的なことも、平成の初めまであった。
だが、残った夕刊紙も1紙、また1紙と休刊され、梅田の壁新聞は1990年大阪鶴見緑地で開催された「花と緑の博覧会」を機になくなった。さらに関西新聞がイトマン事件に巻き込まれる形で91年に、新大阪新聞が阪神・淡路大震災による経営の悪化で95年に休刊、新日本海新聞社に買収された大阪日日が2000年に朝刊移行し、最後まで残っていた大阪新聞も02年に産経新聞大阪本社版夕刊に紙面統合。ちや子が働いていた『大阪で発行していた地方夕刊紙』が全て姿を消した。
ちなみに、デイリースポーツは神戸市中央区に本社があるが、大阪市西区にも営業、編集の拠点を置いており、「デイリー(スポーツ)大阪」は“実在”する。さらに、朝刊とは別に1957年4月から関西エリアで「夕刊デイリースポーツ」を発行していた事実もある。その後、夕刊はデイリールック、デイリースポーツと題字は変わり、87年4月から兵庫県内のみの発売となり、2001年11月をもって夕刊発行を取りやめた。(関東エリアでは2009年11月まで夕刊を発行)
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