京アニ「アニメ作りでしか恩返しできない」 元社員、思い今も
アニメ制作会社「京都アニメーション」(京都府宇治市)の放火殺人事件では、日本を代表するアニメーターや新進気鋭の若手クリエーターらが犠牲になった。かつて京アニに所属していたアニメ監督、山本寛(ゆたか)さん(45)=東京都=にとって信頼できる仲間や「師匠」と呼ぶ存在。「アニメを作ることでしか、恩返しはできない」。喪失の苦しみを乗り越え、創作を続ける。
「京アニが放火された」
7月18日、都内を電車で移動中、ツイッターでこんな一文を見つけた。冗談だと思ったが、ネットには炎上する第1スタジオの映像や写真が掲載されていた。「頭が真っ白になった」。翌日、焦げ臭さがまだ残る京アニの第1スタジオ(京都市)に足を運び、手を合わせた。実感がわかなかったが、そうせずにはいられなかった。
■ ■ ■
犠牲者の1人、京アニの名アニメーター、木上益治(きがみ・よしじ)さん(61)は、山本さんが「唯一の師匠」と慕う存在だった。
出合ったのは、京アニが無名の一アニメ制作会社だったころ。大学卒業後の平成10年に入社し、「小さな会社だ。すぐ有名になってやる」と意気込んでいたところ、そんな思い上がりをくじいたのが木上さんだった。スタジオジブリの高畑勲監督らアニメ界の巨匠に実力を認められていた木上さん。技術力や情熱を目の当たりにし、「弟子入りした」。
“師匠”は根っからの職人。手取り足取り指導してくれるようなタイプではなかった。技術を盗もうと後ろにつき、仕事を観察しているだけで一日が終わる日もあった。
「妥協するな、我(が)を貫け」が木上さんの口癖だった。他の制作スタッフと衝突してでも作品づくりを追及する姿勢は、いまの自分に通じる。「アニメ制作のイロハは全部、師匠から学んだ」
■ ■ ■
犠牲者の中には、木上さんに弟子入りし、ともに切磋琢磨(せっさたくま)した仲間も含まれていた。京アニの人気作品で監督を務めた先輩、武本康弘さん(47)もその一人だ。木上さんが定時で退社した後は、机の上に置かれた絵を武本さんと一緒に何度も盗み見た。武本さんは「木上さんの技を盗む。もっとうまくなりたい」と、何度もつぶやいていた。
京アニが初めて本格的な「元請け」を担当した平成15年は、「快進撃の始まりの年だった」と振り返る。監督を務めたのは武本さん。木上さんと山本さんも、制作陣に加わった。連日不眠不休の作業が続いたが、「東京の作品に負けないアニメを京都でつくる」と全員が一致団結していた。「苦しかったが、師匠や武本さんたちと仕事できて、一番楽しい時期だった」
あるアニメ作品の担当を外されて落ち込んでいたとき、武本さんに突然呼び出されたことがある。武本さんはノートを広げ、「やまもっちゃん(山本監督)がやりたかったこと全部引き継ぐから、任せてくれ」と作品のコンセプトやアイデアなどを熱心に聞き取ってくれた。「アニメづくりをめぐり何度も口論になったが、良い作品を作りたいという思いは一緒だった。後輩の話を真剣に聞いてくれる優しい人だった」
振り返ってみれば、監督を志したきっかけも「監督やりなよ。外野で文句言ってるだけじゃずるいぞ」という武本さんの一言がきっかけだった。「木上さんと武本さんがいなかったら、僕はアニメ監督になっていなかった」
■ ■ ■
19年、京アニを退社して独立。アニメ監督として活躍する中で、事件が起きた。かつての仲間を悼む気持ちが強いが、時間が経過しても、事件について考えることは多い。
青葉真司容疑者(41)は京アニに小説を複数回投稿していたとみられている。自宅からは京アニ関連のグッズが押収された。「事件は凶暴化したファンによる犯行ではないか」と感じている。
「最近は、アニメなどサブカルチャーのファンの一部に、SNSで関係者のアカウントなどに暴言を吐いて“炎上”させたり、脅迫文を投稿したりするものもいる」
京アニでも、青葉容疑者との関係は不明だが、掲示板サイトに何者かが、「爆発物を持って京アニに突っ込む」「(作品の)アイデアをぱくった」などと書き込んでいた。
「本当のファンはクリエーターや作品へのリスペクト(尊敬)がある。しかし最近は、『好き』という思いが、何かのきっかけで憎悪になってしまうファンもいるようだ」
■ ■ ■
事件発生時は、監督した長編アニメ映画「薄暮(はくぼ)」の上映中。この作品を最後にアニメ監督は廃業するつもりだったが、撤回した。「木上さんなら『妥協するな、逃げるな』と言うだろう」。そう思ったからだ。
「師匠や仲間、京アニへの恩はアニメ制作を続けることでしか返せない」