「特攻精神」の本当の意味とは?

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1026日に保守の会(会長松山昭彦)と日本会議茨城日立支部(支部長松山昭彦)共催で空の神兵顕彰会の奥本康大会長をお招きして講演会「大東亜戦争は聖戦だった」を開催した。

 

講演後に作家の水沢美架さんが、講師の奥本康大会長と私(松山昭彦)との対談を収録したいと言われた。急遽だったので通路の椅子に座って収録した(上動画)。

 

その内容は講演についてであるが、それに関連して奥本会長がされている英霊への慰霊や顕彰の話となり、安倍総理の靖國神社参拝にまで及んだ。

 

戦時中、先人達はどのような思いで祖国日本を守ったのか?

 

大東亜戦争を語る上でも、今を生きる我々日本人にとっても、一番大切な視点である。

 

しかしメディアや学校教育ではそういう視点ではなく、今の目線であの当時の戦争を見て言う。

 

「戦争の犠牲者」「戦争は悲惨」「戦争回避すべきだった」…、という論調である。

 

はっきり言って何もわかっていないのではないか。

 

戦争が悲惨なのは誰もがわかっていることである。戦争回避の努力も相当していた。

 

しかし日本は戦争を仕掛けられていたのだから、回避するには彼らの植民地となり奴隷になるということである。

 

日本民族は座して死すことを選ばなかったのだ。

 

保守の会の会報『保守』にも執筆頂いて、親しくさせて頂いている元特攻隊員の栗永照彦さん。昭和2年生まれの92歳である。

 

 

戦後は公立中学の教師を経て、高松市の教育長もされ、その傍ら、戦友の供養のために仏像を彫って、自分が出撃した鹿児島の串良基地の記念碑に奉納された。

 

栗永さんは出撃されたが、エンジン不調で種子島に不時着、二度目の出撃もエンジン不調で出撃出来なかった。

 

 

戦友達が次々散華された中、自分が生き残ることに「この時の気持ちは、とても言葉で表現できるものではありません」(栗永さん)と述べている。

 

その栗永さんが今を生きる日本人にこう述べられた。

 

「戦友達は日本という国や家族を守るために戦って散った、まぎれもない“英霊”であり、断じて”戦争の犠牲者”ではないのです。

私は長い間、英霊の願いにかなう日本にするにはどうしたらよいかを問うていた中で、一つの考えに至りました。

それは日本人は忘れかけた『特攻精神』を取り戻さなければいけません。これは世間で誤解されているような無鉄砲で盲目的な生き方とは全く違います。人のため、公のため、時に己を忘れて尽くすことです。無我、没我の精神と言ってもいいでしょう。そして、神仏を大事にして粗末にしてはならぬ、親、兄弟姉妹を大切にしよう、先生を尊敬しよう、友とは仲よくしよう、それらは言い方を変えれば恩返しや感謝の精神です。これが戦友達の『特攻精神』です」(「致知」2019-11号より)

 

これは英霊達の「遺書」を読めばわかるはずである。

 

高松市に在住の栗永さんとは、毎年、靖國神社でお会いしている。

 

なぜ総理大臣は靖國神社に参拝しないのか?

 

私人?

 

総理は私人じゃないだろう。

 

国の代表である「公人」として胸を張って参拝しなければいけない。

 

国を守るために戦って散った国民を見捨てるのか。

 

憲法違反?

 

アメ公がつくった憲法など捨ててしまえ!

 

日本人よ、誇りを持とう!

 

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