批判の可否の手前の好き嫌いの表明まで並べると、なかなか興味深いが、どこにその差異があるのだろう?と補助線などを引きながら色々考えてみた。 まず共通しているのは抑圧や犯罪については「加害者の責任であり被害者に責任がないことは明確にすべき」という点。
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ともすれば「被害者の落ち度」を指摘したがる風潮に置いては、双方とも批判的。 また女性はその言動について「女性としての役割」を強制されるべきでない、というのも共通している。
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しかし違ってくるのは、春名は「それは個人の発意に任せるものであって、周囲がとやかく言うべきではない」という感覚が基調であるのに対して石川は「個人は社会的な抑圧を免れ得ないので社会を変えるべき」という感覚が基調。 すげえざっくり言うと、春名がより個人主義的で、石川はより社会主義的。
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これはおそらく、双方の成り立ちが考えに影響しているように思う。 春名は自ら「ジェンダーを意識付けられるように育てられなかった」と言っているし、たとえ芸能界でそれを押し付けられるような場面があったとしても、自ら切り開いて解決してきたのだろう。
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逆に石川はグラビアモデルという立場を経て、グラビアと現実を混同されて。過度に性的でい続けるとの強要を嫌というほど見せられたんだろう。 だから様々な意味で「女性的」であること、それが発意か強要かの境界について、春名は無警戒で、石川は警戒感を抱いている。
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こんなグダグダのツイート、誰も読まんだろと思っていたら、以外に多くの人が見てくれていてびっくり。感謝しつつグダグダのまま勧めようと思う。 件のポスターの話に移すと、擁護派と批判派で噛み合っていないし、金輪際噛み合わないだろうと思う点が二つある。(他にもあるんだろうけど)
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一つは、あの胸の大きさとそれを強調する服装が、物語やキャラクターの(性的な意味も込めて)魅力を盛り上げる要素と受け止めることと、あれだけ特異的に(敢えて特異的という言い方をするけど)胸が大きくてそれを強調する服を着せて、性的刺激を煽ろうという制作側の意図を重視すること。
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もう一つは、あのポスター単体を持って、その社会的影響を測ろうとすることと、性的要素と関係ないことに女性の性的要素が使われることが常態化することを憂慮し、ポスターがその一端と捉えること。
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で二人の成り立ちに戻ると。幼い頃からネットやポップカルチャーに親しむと同時に、強烈な自我と聡明さを持ち、「ぼく」という主語を使い、自分のジェンダーは自分の支配下にあると信じる春名。
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たぶんそこまで問題意識を持たずグラビアの世界に踏み込み、グラビアの仕事を離れても過剰なジェンダーを自らも押し付けられ、また他人も押し付けられる状況を見て問題意識を高めた石川。 それぞれがどちらの立場を取り易いか、選択はは必然という気がする。
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まあ、春名は強いから弱い側に立たない、ということではない。いじめ問題に関しては、徹底的に弱者の視点に立っている。なぜかというと、見てきた側面の問題じゃないかなあ。 あれだけ(いい意味で)浮いた小学生だから子供時代にいじめ(もしくは特別視による疎外)に会ったのは想像に難くない。
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逆に大人の男性にとって、あれだけ自我が強くて弁が立つ相手にジェンダー的役割を要求するのは、よっぽど度胸がないとムリ。そういう意味で、ジェンダー的抑圧は避け得てきたんだろうなあ、と。 あくまで想像だけど。
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