『愛がなんだ』サントラリリース決定!!

角田光代のみずみずしくも濃密な片思い小説を、
“正解のない恋の形”を模索し続ける恋愛映画の旗手、今泉力哉監督が見事に映画化。

劇中、印象的なシーンに流れる音楽は、
数々の映画やドラマ音楽を手がけるゲイリー芦屋が担当。
映画の世界観がギュっと詰まった珠玉の15曲を収めたサントラが遂にリリース。

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ゲイリー芦屋は「愛がなんだ」の音楽をどういう思いで制作したのか。 サントラリリースにあたってゲイリー本人が制作当時をふりかえってまとめたのが今回のテキストだ。音楽が少ない作品ではあるが、あらゆる可能性を試すために制作した楽曲は通常よりもむしろ多いくらいだったという。サントラを聴きながら、映画のことを思い出しながら、ご一読いただければ幸いである。

『愛がなんだ』の音楽について

今泉監督との最初のお仕事は2014年のテレビ東京のドラマ『セーラーゾンビ』だったのだが、実は監督の映画本編を見たのは『サッドティー』から。『サッドティー』があまりに素晴らしくそこから今泉作品の1ファンになった。特に音楽面で感銘を受けたのがトリプルファイヤーによる『サッドティー』の劇伴、そしてalpの『知らない、ふたり』の劇伴。トリプルファイヤーは『サッドティー』きっかけでバンド自体の大ファンにもなってしまい、別件でもその後お仕事をご一緒することになった。『愛がなんだ』の根底に流れている音楽性はおそらくトリプルファイヤーとalpの劇伴世界だ。この2グループの個人的な「いいとこ取り」の結果が『愛がなんだ』の音楽なのではなかろうか…と自分では分析している。

 さて、『愛がなんだ』の最初の音楽打ち合わせはクランクイン前、まだなんの映像もなく脚本だけを手掛かりにどんな音楽がいいでしょう?というざっくりとした方向性を決めるだけの打ち合わせから始まった。
監督から提示されたいくつかのモチーフと、私の中での「こんな音楽がいいんじゃないか」の折衷案としてなんとなく今回はギターがメインになるのではなかろうかと意識したことを覚えている。そして結果的にそうなった。

 監督との音楽演出作業はとてつもなく緻密。時間ギリギリまでありとあらゆる可能性を模索し、試し、時には迷路にはまり込んで「一度リセットしなくては!」というところまで戻らなくてはならなかったこともあった。まずはラッシュを見たインプレッションでざっくりと「ここからここまで音楽つけましょう」と線引きし、なんとなく場面ごとに曲を当て書きしていった。しかしそうやって書いた曲は一度Mナンバーを排除し、A、B、C~という具合に抽象的な記号をつけ直していく。こうすることによってどれがどのシーンのための曲というキャラクターを一度忘れることができるのだ。…とまるで計算しつくしたことのように書いているが実は監督と二人でうんうん唸りながらこねくり回してるうちに結果的にこういうやり方になってしまったというのが実のところ。

 このような記号付がなされた音楽は最終的には「テーマM」まで至った。こうやって出揃った曲たちを映像に合わせてまずは私が並べてみるところから音楽演出は始まった。それぞれの楽曲についての解釈は私と監督とではもちろん全然違うので、当初の私の音楽付けはたたき台程度のものでしかなかったはずだ。そしてたたき台を元に悪戦苦闘の日々が始まった。当初の予定通りに音楽が最後まで残った箇所はほとんどなかったんじゃないだろうか?それぞれの楽曲は付け直した場所ごとに新しく尺は調整され、共有するために「愛がなんだ_M21B_G_long_Demo」というように複雑きわまりない曲名がその都度付与されていく。ちなみにこの曲名だったら「G」をM21(=21曲目)の直後のシーンにM21Bとして貼ってみた曲の長い方(当然短い方もある)…というややこしい意味がある。こんな呪文のような状態になった曲をさらに違うシーンのあそこに貼ってみよう…とやりとりする。監督と往復書簡のようにお互い音楽を貼り付けたムービーを山のように送り合う中でなんとなく最終的な形に近づいて行った。その作業はダビングが始まってからも続き、調整作業は最終日まで続いた。

 一貫して監督と共有していたのは「わかりやすい音楽」を排除すること。映像見ればわかることをわざわざ音楽で重複して説明しない。
一番簡単な例は避暑地のバーベキューの楽しげなシーンに楽しげな曲を載せない…というようなこと。音楽を乗せてしまうことによって、バーベキューのシーンが「あーたのしい場面なんだなー(棒」と流れで見られてしまって、このシーンで行われている繊細な視線の芝居に気づけない。
そういった無駄を省くために、極力音楽は少なくていい…それが監督との共通認識だった。
少なくていいといいつつ、あらゆる可能性を試すために作った曲はむしろ通常より多かったくらいだ。
ちょっとした短いタッチのような曲もたくさんあったのだが、結局映画の流れを止めてしまって邪魔なだけだったので迷わず全て外した。
先日、満席御礼立ち見まで出ているテアトル新宿へ数ヶ月ぶりに『愛がなんだ』を見に行ったのだが、その時に俳優の視線やセリフの繊細な演出、高度な芝居の応酬がまるでボクシングの試合をリングサイドで見てるように感じられた。試合の最中、音楽は一切流れることがないから集中して俳優たちの「殴り合い」の迫力をかたずをのんで見守るしかない。音楽はそのラウンドの切れ目に鳴らされるゴングのような存在だった。
ゴングに徹するストイックさ、『愛がなんだ』の音楽演出の本質はそこだったんじゃないだろうか?とその時ふと思った。

 感情を明確に表現する「わかりやすい音楽」にしないもう一つの例、は本CD収録4曲目「象」にも顕著に表れている。蜜月の真っ只中のテルコとマモルが象を見るシーンで流れる曲と、蜜月が終わり、テルコがマモルに叩き出された場面で流れる曲は同じ曲が使われている。幸せの絶頂と不幸のどん底にあてる曲が同じ曲。「わかりやすい音楽」として作っていないからこういう真逆の演出に効果的に使う事ができた。
こういったシーンの連関性やシンメトリーのようなものが他にも随所に仕込まれている。
「メインテーマ」もこういった感傷の呪縛から解放されるべく作られた曲。ここで目指した着地点は「テルコの狂気」だ。テルコの執着はつまり狂気であり、そこに楽しいも悲しいも期待も失望も感じさせなくてよい。ただ爽やかに狂ってる曲が無意味に鳴り響けばいいのだ…傍若無人に、かつ暴走気味に…。つまり『愛がなんだ』はそんな映画なのだ、私の中では…。

2019年5月17日
ゲイリー芦屋(作曲家)



収録曲

01. 愛がなんだ~メインテーマ  (1:02)
02. テルコ  (1:16)
03. 蜜月  (1:17)
04. 象  (0:54)
05. すれ違い  (1:44)
06. 蜜月 II  (1:14)
07. 避暑地  (1:03)
08. 好きになるところなんて  (1:09)
09. 空虚  (0:44)
10. 自己嫌悪  (0:42)
11. 一瞬の夢  (0:39)
12. 透明な存在  (0:42)
13. 愛がなんだ~メインテーマ・終局  (1:01)
14. 避暑地 (outtake)  (1:09)
15. ざまあみろ (outtake)  (1:36)

【国内盤】
 タイトル:愛がなんだ
 アーティスト:ゲイリー芦屋
 品番:RBCP-3323  JAN:4545933133235
 ジャンル:サウンドトラック
 配信:2019年5月24日(金) 900円(税抜)
 CD :2019年6月19日(水) 1,500円(税抜)

ー 愛がなんだ ー

猫背でひょろひょろのマモちゃんに出会い、恋に落ちた。
その時から、テルコの世界はマモちゃん一色に染まり始める。
会社の電話はとらないのに、マモちゃんからの着信には秒速で対応、
呼び出されると残業もせずにさっさと退社。
友達の助言も聞き流し、どこにいようと電話一本で駆け付け(あくまでさりげなく)、
平日デートに誘われれば余裕で会社をぶっちぎり、クビ寸前。
大好きだし、超幸せ。マモちゃん優しいし。だけど。
マモちゃんは、テルコのことが好きじゃない・・・。

角田光代のみずみずしくも濃密な片思い小説を、
“正解のない恋の形”を模索し続ける恋愛映画の旗手、今泉力哉監督が見事に映画化。
テルコ、
マモちゃん、
テルコの友達の葉子、
葉子を追いかけるナカハラ、
マモちゃんがあこがれるすみれ…
彼らの関係はあまりにもリアルで、
ヒリヒリして、恥ずかしくて、
でも、どうしようもなく好き…
この映画には、
恋のすべてが詰まっています。

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