今年の4月から1年間の予定でドイツ・ミュンヘンに滞在している。もっともその目的は一昔前のように、単純にこちらで何か最新の研究動向を仕入れて日本で紹介するといったものではない。
そもそも私の研究対象のハイデガーは日本のほうがよほど研究は盛んで、逆にドイツではほとんど関心の対象から外されているので、こちらで何かを学ぶという感じにはまったくならない。それでは留学の意味がないじゃないかと思われるかもしれないが、さすがに図書館の文献資料はこちらのほうが豊富だし、またドイツ社会におけるハイデガー受容のあり方を実感できるのも自分の研究にとっては非常に貴重な経験だ。
こちらでは夏学期以降、ミュンヘン大学で私を受け入れてくれたブフハイム教授のセミナーに毎週、参加してきた。その授業は学部、修士課程、博士課程の学生が論文のプランを発表して、指導教授や参加者のコメントを受けるといったものである。
これまで20人以上の発表を聞いて、プラトン、アリストテレス、アウグスティヌス、カント、フッサール、ウィトゲンシュタイン、サルトル、アーレントなどを研究テーマとしていた学生はいたが、ハイデガーは誰も扱っていなかったし、授業の中で名前さえも言及されなかった。
教授にいつもこんな感じかと尋ねると、苦笑して今回は極端だが、基本的にはハイデガーは21世紀になってから研究する人が少なくなったということだった。世代的なこともあり、20世紀はガダマーなどハイデガーの直弟子がまだたくさんいて、またそうした人々の教えを受けたブフハイム教授の年代あたりまではハイデガーへの関心もあったが、それ以降、研究する人がいなくなってしまったということらしい。
もちろんそうした流れにおいて、ハイデガーのナチス加担問題も大きな影響を及ぼしたことは間違いない。
ドイツでは近年、右派政党の台頭が著しく、主流マスメディアはその人種主義的、排外主義的性格にしきりに警鐘を鳴らしているが、そのような社会的な雰囲気の中で、ナチスに加担した哲学者がどうにも受けが悪いのは致し方がないことかもしれない。
それでもその思想のうちに何か素晴らしいものを見いだせれば別だが、とくに後期の「存在の思索」など何を言っているかさっぱりわからず、無意味なたわごとにしか見えない。そうだとすれば、政治的にいかがわしいハイデガーをあえて取り上げる意味はまったくないことになるのだろう。
単にナチスに加担したというだけならまだしも、2014年にはハイデガーの「黒いノート」という覚書集が刊行され始め、そのうちに反ユダヤ主義的な発言が見られるということでマスメディアでもスキャンダラスに取り上げられた。
ハイデガーはナチスを支持したとはいえ、ハンナ・アーレントやカール・レーヴィットをはじめとする多くのユダヤ人の教え子や友人などとの関係もあり、彼は反ユダヤ主義者ではなかったという見方が大勢だった。ところが「黒いノート」の刊行によって、そうした見方が覆されてしまったのである。
この衝撃の大きさは、フライブルク大学のハイデガーの哲学講座を引き継ぐ著名な教授が、彼の反ユダヤ主義を理由にハイデガー協会の会長を辞任してしまったことにも示されている。本来、もっともハイデガーを擁護して然るべき人がこのありさまだから、他の人がハイデガーに手を出そうと思わないのも当然のことだろう。