法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

日本軍の戦時性加害をめぐって、どこまでも表現の不自由が拡大している

神奈川県でのドキュメンタリー映画『主戦場』上映中止*1につづいて、三重県で表現の不自由をテーマにした作品が展示できなくなったという。
www.chunichi.co.jp

 問題視されたのは、同市柏町のグラフィックデザイナー花井利彦さん(64)が制作したB2判のポスター「私は誰ですか」。黒を背景に、赤く塗られた手のひらと石を配し、左上には中国人従軍慰安婦像の写真をコラージュした。「私は誰ですか」と中国語、ハングル、英語、日本語で添えてある。「表現の不自由」をテーマにしたという。

伊勢市長の鈴木健一氏によれば「あいちトリエンナーレでは脅迫やテロ行為の予告もあった。われわれは市民の生命と財産、運営の安全性を第一優先に考えて判断した」という理由でとりやめさせたという。
つまり実際に脅迫がない段階で、公権力が表現を規制させたのだという。これで表現を弾圧したい側は、実際に脅迫をおこなうというリスクを負うことなく、目的を達成することができるようになった。


さらに今回が深刻なのは、くりかえし作品を一部規制しても展示続行できなかったということ。過去の規制例では、問題視された部分を破壊するなどして展示がつづいた事例もあったのに*2

花井さんは像の部分を黒インクでぼやかしたり、黒い粘着テープを張ったりと三度手直しをして会場に展示するよう訴えたが、市側は三十日に鈴木健一市長らの判断も仰ぎ、展示不可と再度伝えた。

記事によると、花井氏は中学校の校章や市立病院の新病棟ロゴタイプなどを手がけ、さらに市展にも運営委員などでかかわってきたという。
そのような作家が、表現の不自由にあらがう作品を世に問おうとしたことは、本来であれば伊勢市が誇れることだったと思うのだが……

*1:映画関係者のあらがう動きもつづいているので、まだ絶望するには早いと思いたいが、映画祭の代表の「上映しろという圧力に屈するわけにいかない」という発言には愕然とさせられた。www.kanaloco.jp

*2:「表現の不自由展・その後」に展示された作品のひとつは、文章のひとつをはがすことで展示続行を認められた。hokke-ookami.hatenablog.com

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  • id:s3731127306973

    また、間接的な話題になりますが。

    なんでここまで歴史修正主義に押されているのかという問題ですが、東京裁判の不十分さに代表される戦争犯罪(など)追及の不十分さと同時に、やっぱり高度成長からバブル前の”金ぴか時代”にかけて、歴史認識というもの自体がかなり重大な変質をしたんだ、と私は考えています。
    テレビドラマ版の「人間の条件」(1962年)では、製作者サイドがはっきりこういう意味のことを言っています。「戦争を正面にしたら視聴者が嫌になって見なくなるので、そこを切り落として人間ドラマとして作った」(田原茂行『テレビの内側で』草思社、一九九五年、一五〇頁。)
    それが、何年もたち、「宇宙戦艦ヤマト」あたりを通った後、「気分はもう戦争」(1982年)、そして「戦争論」(小林よしのり、1995年)で一つの”成果”として出た。
    小林はマンガでこう宣言したことがあります。「慰安婦は強制連行だったか、みんなで決めよう!」、つまり、被害当事者は最初から除外するぞ、という宣言にほかなりません。このコマは倉橋耕平氏の本に引用されています。
    そして、小林の後継者といってよい山野車輪はもっとはっきり言っています。「過激なことを言いたいだけなんで」「嫌なことがあったら、難しいことは考えないでとりあえず言いたい」
    https://s3731127306973.hatenablog.com/entry/2018/11/25/110931

    問題の根は非常に広く深いと思います。問題をいわゆる「近現代史」に限定してはいけない、とすら思っています。


    これは付け足しですが、私が心配しているのは、歴史修正主義運動において、もしかしたら、オウム真理教事件が小さく見えるほどの大事件がおきるのではないか、という可能性です。もちろん、はずれてほしいと思っていますが。
    私に言わせれば、オウムぐらいの事件をおこすなんてそんなに難しくない、実行犯の頭の中から”この社会のイメージ”をまるごと消去すればほぼ確実に成功します。その恐ろしい結果はともかく。

  • tenreeren

    一方法華狼様は事実誤認にもとづく明らかに誤った封殺に奔り
    挙句脅迫的な言辞を罷り通らせなすっとる

    「加害の押し付け」と「被害の訴え」
    「ぼかさず批判もせずに引用」と「ぼかして批判のために引用」
    を同列に扱い「被害の訴え」「批判のために引用」を中止させたいかのように奔走

    被害を訴えることで受動的にでも加害を呼びこんだとこじつけられることをもって
    被害を訴える者を嘲弄揶揄封殺する非常にねじまがった論理とかは
    花井利彦デザイナーの御前では忘却の彼方かな?

  • id:hokke-ookami

    s3731127306973さんへ
    >「慰安婦は強制連行だったか、みんなで決めよう!」、つまり、被害当事者は最初から除外するぞ、という宣言にほかなりません。

    ああ、小林氏は積極的な歴史否認という側面がよく批判されますが、そういう側面の当事者不在という問題もありますね。

    >私が心配しているのは、歴史修正主義運動において、もしかしたら、オウム真理教事件が小さく見えるほどの大事件がおきるのではないか、という可能性です。

    うーん、私にはs3731127306973さんがオウム真理教をひとつの基準として重視していることが、それはそれで危険なのではないかと感じます。
    まだうまく言語化できませんが、体感治安を悪化させて社会を保守化させたという悪影響を、むしろ拡大させる方向にはたらかないか、と思います。


    tenreerenさんへ
    >一方法華狼様は事実誤認にもとづく明らかに誤った封殺に奔り

    「加害の押し付け」と「被害の訴え」以外に、蔑称の対象となる側があえて自称として用いる事例も存在するということを私が指摘して、貴方が認知不協和におちいったまま堂々めぐりしているだけです。

    >挙句脅迫的な言辞を罷り通らせなすっとる

    貴方に対する差別的攻撃的なコメントは私は揶揄という解釈を考慮に入れつつ否定しています。
    そうしたコメントを削除はしないのは、貴方もふくめて他の差別的攻撃的なコメントも削除しないこととの平衡を意識してのことです。

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