【氷室京介】『WOWOW presents KYOS
UKE HIMURO 25th Anniversary TOUR
GREATEST ANTHOLOGY -NAKED- FINAL
DESTINATION』2014年7月20日 at 横浜
スタジアム

撮影:平野タカシ/取材:ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)

 “氷室京介”としてのライヴ活動の休止を発表した氷室京介が、全国ツアー38都市50公演目の『WOWOW presents KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED- FINAL DESTINATION』最終公演を横浜スタジアムで迎えた。前日のリハーサルで転倒し肋骨を骨折し、当日は本編終了後のアンコール時に会場周辺に落雷があり中断。まさに、神様はまだ氷室京介を辞めさせてはくれないといった一夜だった。印象的だったのは、どしゃぶり寸前な空模様の中、1988年のBOØWY解散後、持ち曲が少なかった最初のツアーで披露された吉田拓郎のカバー曲「たどりついたらいつも雨ふり」を再び歌ったこと。この曲の歌詞と、彼の心象風景がリンクしすぎてグッときた。さらに、ソロデビューアルバムに収録された“あの時期にしか書けなかったお気に入りの曲”という「DEAR ALGERNON」や、BOØWY時代から所属していた事務所を独立した転機に作った「魂を抱いてくれ」など名曲を続々と披露。

 アンコール中の落雷後、1時間を経過して再びステージに戻ってきた氷室は“今日は本当に申し訳ない、プロとして。怪我をしていてこれ以上できないけど、このリベンジはどこかで必ず。こんなに情けない人間をもう1回支えてくれる連中が集まってくれたら、いいなと思います”と語り、アンセム「ANGEL」で“これまで何百回も歌ってきたけど、命がけで歌います!”と全23曲を締めた。来年、さよなら公演を行なうことも宣言した氷室京介は果たしてどこへ向かっていくのだろうか。レコーディング活動は続けていくはずなので、さらなる活躍に注目したい。

セットリスト

    氷室京介 プロフィール

    キング・オブ・ビートロックの名をほしいままにするNo.1ロック・ヴォーカリスト。 BOOWYのメンバーとして、82年にデビュー。ナルシスティックなヴォーカル・スタイル、性急なまでのタテのりビート、布袋寅泰による鋭いカッティング・ギターで、日本を代表するロック・バンドとなる。がしかし、人気絶頂の88年に東京ドーム公演を最後に解散。その後すぐさまソロ活動をスタートさせた氷室は、同年、1stアルバム『フラワーズ・フォー・アルジャーノン』を発表する。同名SF小説に触発された、ロマンティシズム漂う詞世界も聴きどころ。バンド時代とはまったく異なるアプローチで、ソロ・アーティスト氷室京介を強烈にアピールした。翌年には、『ネオ・ファッショ』をリリース。政治、戦争、環境、愛……人類や全世界をテーマとした壮大かつディープなコンセプト・アルバムであり、へヴィな作家性と高度なポップ性が同居した傑作アルバムに仕上がった。 90年代に入ってからも、軽々とヒットを連発していくヒムロック。93年発表のアルバム『メモリーズ・オブ・ブルー』は、ポップ性を全面に打ち出した自他共に認める最高傑作で、160万枚ものビッグ・セールスを挙げた。また98年には、約4年ぶりに全国ツアーを敢行、全13公演で21万人動員という記録を樹立している。現在ロサンゼルスに在住。——日本のシーンを俯瞰的に見据えつつ、「アメリカン・ロックのテイスト」と「日本独自のメロディ」の新しい融合を試みている。

    OKMusic編集部

    全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。