首里城は琉球王国時代に数百年にわたって政治、文化の中心地で、さまざまな歴史の舞台にもなった。専門家は「沖縄県民の心のよりどころだ。衝撃は大きい」と話す。
首里城は丘陵の上に建てられた。城壁で取り囲まれ、信仰上の聖地や広場を含む多くの施設があった。国王一家が居住する王宮で、統治の行政府でもあった。正殿は2層3階建ての造りで、柱には竜の彫刻。正殿前の広場では王国の重要な儀式が行われた。北殿は行政施設で、役人らが勤務していたという。
琉球大の高良倉吉名誉教授(琉球史)によると、首里城で発掘された最古の遺構は14世紀のものとされる。中国皇帝の使者を接待したほか、浦賀を訪れる前に来航したペリー提督の応対をした場所でもある。太平洋戦争で建物は全て焼失したが、戦後、国や県が復元を進めてきた。今年2月に復元プロジェクトが完了したばかりだったという。
建物は中国と日本の建築文化を取り入れ、独自のアレンジも組み込んだもので、復元に関わった高良氏は「琉球を象徴する存在だ。戦後の復興過程で、強い思いを込めて復元した沖縄のアイデンティティー。損失は計り知れない」と指摘した。
復元された首里城には天然の漆が塗られ「建物自体が工芸品」とも称される。那覇市歴史博物館の外間政明学芸員は「貴重な文化財も収蔵されている。どうなったのか心配だ」と話した。
首里城跡を含む「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」は2000年、世界遺産に登録された。首里城公園の昨年度の年間訪問者数は、約280万人に上る。