「なに……これ……」
ツアレは驚きに固まっていた。開いた口がふさがらないとはまさにこのことだ。ともにその地を訪れた料理の出来る店員たちも同じような表情をしている。
そこはかつて大森林が広がっていた土地のはずだ。それがいつの間にか何もなくなっている。いや、代わりに綺麗に整地されたそこは大農園へと変貌していた。見通せないほど先まで農地が続いており、そこには数々の野菜や果樹が植えられている。
「あ、来ましたねぇ……初めましてぇ」
ツアレの前に現れたのは和服風のメイド服を着た小柄なメイドだ。髪はお団子を両サイドに二つ作ったシニョンと呼ばれるものでとても可愛らしい。その頭にはルプーと同じと黒い軍帽がちょこんと乗っており、それに服の裾を掲げて敬礼をしている。
「は……初めまして。エントマ……さんでよろしかったでしょうか。今回派遣された食料班の隊長ツアレです」
ツアレたちも敬礼を返しながらエントマを見つめる。店長のルプーによると彼女の妹であるということだがあまり似てはいない。
「皆さんにはぁ……この場所で作物の味見とぉ……料理の研究とぉ……農地の整備をお願いしたいですぅ。あとは牛や豚、鶏の飼育もしますからよろしくお願いしますぅー」
舌足らずな言葉で指示された内容。それはツアレの予想を超えた物であった。料理の研究はまだしも農地の整備などどこかの領主などがやるような大事業ではないか。自分たちには荷が重い旨を伝えるとエントマは安心させるようにツアレの肩を叩く。
「大丈夫ですぅ。資金もありますし、人も雇いますからぁ。基本は指示するだけでいいですよぉ。作業のための家を建てる木材も森から手配してますし、経営が安定したら代わりの人を用意しますからお店に戻ってきてくださいぃ」
「そ、それでも私には……」
「ツアレなら大丈夫ですよぉ……とりあえずこれの味の感想を教えてくださいー」
そう言ってエントマが取り出したのは林檎だ。しかしそれは帝国で見たどんな林檎よりも大きく、艶があり、そして何よりずっしりと重い。そして仄かに香る甘い香り。
興味を引かれたツアレは言われるままに林檎に噛り付いた。そして目を見開く。
「ん~~~~~あまーい!それに蜜がすごい……です」
かじった場所からじわじわと果汁が溢れ出しており瑞々しさを証明している。そして果芯の周囲には黄色い蜜がたっぷり含まっており、これに比べれば帝国の林檎など砂でも食べていたのはないかと思えてしまうほどだ。
「それはよかったですぅー。これ売れそうですかぁ?」
「売れます!これは絶対売れますよ!」
「おいしーーー!!こんなの初めて!」
「これを食べちゃったらもう他の林檎なんて食べられないんじゃないですか!」
他の店員たちからもあがる評価にエントマは安堵する。どうやら土壌改良により上質な作物を作り上げるという狙いは正解だったようだ。さらに他の果物や野菜なども食べさせてみたがどれも評価は上々である。
「ではここで働く従業員や小屋なんかを建てる職人その他は手配しておきますからよろしくおねがいしますぅ」
エントマはツアレたちにテキパキと必要な指示をすると帰って行く。
そしてその言葉通り、様々な人間たちがこの地に集まってきた。建物も一つ、また一つと増えてゆく。作物を収穫する者、そこで使う道具を売るものなど、人が住み、店が出来、農園がどんどん出来上がっていく。その様子はまるで女神の奇跡のようにツアレには思えた。
そう、そこで始められているのは人の国の起源そのものであったのだ。
♦
王国との再度の戦争、そしてその勝利を収めてから数か月の時が流れていた。
そして今、ジルクニフは側近の秘書官ロウネ、四騎士の一人ニンブルとともにトブの大森林を訪れている。いや、トブの大森林だったものと言ったほうがいいかもしれない。
ユリから頼まれていた農地の手配について話がまとまり、伝えようと店舗を訪れたところここを紹介されたのだ。
「おい、ニンブル。ここは本当にトブの大森林で間違いないのか?」
「ええ……しかしこれは……驚きましたね……」
そこにあったのは遥か彼方まで続く大農園。そこには数々の果樹や野菜などが整然と育てられており、遠くを見ると牛などの家畜も大量に育てられているようだ。
そしてそこには作業のための小屋のみならず、そこで働く人間たちのための家々、そしてそれらの人々のものを売るための店舗、そして宿屋などまで出来上がっている。
「農園を作りたいとは言っていたが……なんだこれは……町が一つ……いや、一つどころではないな……まさかこれは……」
そこにあるのは明らかな経済の循環。物を作って売る。そしてそのお金で人を雇い、さらに仕事を通して経済を回していく国そのものだ。
「で……だ。あれは何だ……」
ジルクニフが指さした先、ありえないものだらけ光景の中でも絶対にありえないものがそこにはあった。
「川……じゃないですか?」
そう、そこにあったのは幅がゆうに50mはあろうかという河川だった。さらにそこから水が農園の中に通されており灌漑設備まで充実している。
「あんな川はここにはなかったはずだ!橋までいつの間にか架かっているぞ!?」
「これが……ロフーレ協会の力……なのでしょうね」
ジルクニフの脳裏にラナーから言われた言葉が過る。「いずれ世界はロフーレ商会が制する」と。これはまさにそれを象徴しているように思えた。
「道理で最近の直轄領での税収がすごいことになっていたわけですね……」
税収について納得した声をだしたのは秘書官のロウネだ。経済についての知識に右に出る者はいない彼がいうのであればそれは間違いないのだろう。
「どういうことだ?」
「この地で大量に雇われた労働者、そして収穫された作物や肉類の販売利益。それらは恐ろしいほどの金額です。しかし、彼らはそれを貯めこまない。それらを使いさらに人を雇って勢力を拡大しています」
「……」
金を貯めこむだけでなく使う。それは経済を活性化させることであり帝国としても非常に望ましいことだ。だからこそ税収が上がっているのだろう。
しかも、経済の活性化は力や権力だけでどうにかなるものではない。皇帝であるジルクニフでさえ難しい問題だ。だが、彼らは圧倒的な商品の質というものを武器にそれを可能にしていた。
「それほどここの野菜に価値が?」
「そりゃもう!一度食べたら忘れられませんね。あーおいしかったですねぇ。じゃがいもゴロゴロシチュー……」
ニンブルは何かを思い出すように目を細めてうっとりしている。
「おい……」
「ええ、ええ。ほんと美味しかったですね。前菜からデザートに至るまで私あんな美味しい物初めてたべましたよ。もう最近はあの店ばっかです」
ロウネはニンブルに同調するように腕を組んで頷いている。
「おい……」
「どうしましたか?陛下?」
「おまえたち……ここの事知っていたのか……」
「はい、名前だけは。ここの野菜はロフーレ協会の直営レストラン以外にはほとんど出回らないらしいですよ。いやぁ、ニンブル殿に紹介してもらって感謝してます」
「リストランテ・ユリのことですね。ハンバーガー屋は流行らないからって庶民向けのレストランにしたらしいんですよ。あの店はいつも満員ですからねぇ」
まるで当たり前のことを言うように話をする二人にジルクニフは爆発する。
「なぜ……なぜ私も誘わなかったのだ!?」
ロウネとニンブルは顔を見合わせる。情報を隠匿するような二人ではないはずだ。その二人が自分をよそに美味しものを食べていたと言うところに腹が立つ。
「いえ、だって王族である陛下が行くような店じゃないですよ。庶民向けレストランというか家庭料理が中心ですから」
「ですよねー」
「でもそこがいいというか……メイドの店員さんもかわいい子ばかりですからね」
「あ、でも陛下にみなさん庶民みたいですから王族の陛下が行かれるようなお店ではないかとおもいますよ」
「おまえらも貴族だろうが!」
再び顔を見合わせる二人。そしてロウネは言いにくそうに本音を漏らす。
「……っというかこれ以上客が増えたら予約が取れなくなるかもしれないので……いえ、何でもありません」
ジルクニフが睨みつけるとロウネは黙り込んだ。どうやら二人で黙ってここで取れた食材を使った旨いものを楽しんでいたらしい。ならば……。
「そんなに庶民料理が好きならおまえたちの給料も庶民並みにしてやろうか……」
「ちょっ!?陛下そんなご無体な!」
「今度予約を取っておきますので!ぜひお供させてください!」
本当にそうするかどうかは置いておき、態度を改めたことに溜飲を下げるとジルクニフは話を元に戻す。
「つまり……それほどの価値がここの食材にあるということだな?」
「ええ、目からうろこが落ちる思いでした。今まで私が食べていたものは何だったのか……と」
「それほどか……」
「はい。ここの食材を一度でも食べた者はほかの物では満足できますまい。値段も市販の野菜と変わりませんし、大量に生産しております。他で作物を作っている農家はつぶれるか、ロフーレ商会の傘下に入るか……です。まぁほとんどが後者ですが」
ロウネ曰く、直轄領のみながらず貴族領の農家でさえロフーレ商会に農業を預けるところが増えているとのことだ。この調子ではいずれ帝国中の農業がロフーレ商会の傘下に入るのかもしれない。
そして数か月で森を農場へ帰るような連中だ。武力でどうにかというのも難しいだろう。
(だが……それで困ることがあるか?)
ジルクニフとして為政者として悔しくはあるがこれは決して悪いことではないと判断する。税収が増え、国が潤うのであれば敵対する理由などない。いや、むしろもっと取り入れていくべきだろうと判断する。まさに打つ手なしだ。
「なるほどな……いやまったくたいしたものだよ……まったくな……」
ジルクニフは呆れたように肩をすくめると称賛の言葉を吐露するのだった。