あの番組は政府のプロパガンダだ――などと、現代でもカジュアルに使われることの多い「プロパガンダ」という言葉。もともとは17世紀にカトリック教会が使い出した言葉で、布教のための宣伝行為を指していたそうです。それが20世紀のナチスドイツ、ソ連による扇動や情報統制と結びつき、しばしば「特定の団体にとって都合の良い方向に人々の考えを導くこと」という意味で使われるようになっています。
20世紀、そのために重宝された技術の一つが映像でした。相手を一定の時間拘束し、統制された環境下で自らの主張を見せつけることのできる映像は、上記の意味での「プロパガンダ」に適しているといえるでしょう。有名な話ですが、1936年のベルリンオリンピックでは「オリンピア」という記録映画がつくられ、ナチスドイツの権威を知らしめるのに一役買ったといわれています。この映画は純粋な映像芸術としても優れたものして評価され、1938年のベネチア国際映画祭で金賞を受賞していますが、映画監督のレニ・リーフェンシュタールは晩年まで「ナチス協力者」として批判されました。それだけ映像の持つ「プロパガンダ力」の強さに、人々が恐れを抱いていた証拠かもしれません。
このように相性の良いプロパガンダと映像ですが、いま映像技術の進化に合わせて、新たな方向性が生まれようとしています。それが「VR(仮想現実)プロパガンダ」です。
前述の通り、映像がプロパガンダにとって都合が良いのは、それがある程度まで相手の感覚を「占有する」ことができる点です。映像を見ている間、視聴者は視覚と聴覚をそちらに集中し、そこで語られていることに注意を向けようとします。映画であれば、暗い閉鎖空間において、1時間や2時間も相手を拘束することができます。特定の考えのみに注目してもらいたい場合には、これ以上ない環境といえます。とはいえビデオやDVD、Blu-ray、そしてネット配信という形で映像コンテンツを提供することが珍しくなくなった現在では、視聴者が自分の好きな場所、好きなタイミングでそれを消費することができます。映像の「プロパガンダ力」消滅の危機、というわけです。
そこで注目されているのがVR技術。VRであれば、視聴者に新たな「没入環境」を提供することが可能です。なにしろ視聴者の視界を360度占有し、一切の邪魔を排除できるのですから。もちろんそのためには専用のヘッドセットや映像配信技術が必要になりますが、そうした技術的な前提条件も次第にクリアされつつあります。
VRをプロパガンダに活用した事例として注目されているものの一つが、中国共産党の取り組みです。広東省の都市で、香港や深センとも隣接する中山において、共産党の主張を伝えるためのVRコンテンツが開発されているのです。ヘッドセットを開発しているのは、中国のVR系スタートアップであるSeengene。共産党はコンテンツ開発と同時にこのヘッドセットを配布して、VRの宣伝活動での活用を進めています。
気になるコンテンツですが、さまざまなCGやアニメーションを使って、党の指導内容を視覚的に表現するというもの。またForeign Policy誌の記事によれば、AR(拡張現実)に近いコンテンツも用意されているようで、中山にある中山市博物館で同じヘッドセットをかけると、毛沢東の彫像から彼の3D映像が飛び出し、さまざまな名言を語りかけてくるのだとか。
さらに一歩進んでいるのが、山東省の慶陽での取り組みです。そこでは共産党員にヘッドセットを配り、VR空間にログインさせ、その中で共産党のあり方や党員の生活に関する質問をするという実験が行われたそうです。これは一種の「忠誠心テスト」で、テスト結果はその後の思想教育に役立てられたと報じられています。
こうしたVR活用は、各地の共産党の地域組織が主導している取り組みのようですが、中国共産党の最高指導層がVRに関心を示している姿勢も見ることができます。2018年10月、中国の李克強首相が深センを訪れ、FXGというVRスタートアップのオフィスを訪問して同社の技術を試しています。また習近平国家主席も、同月に開催されたVRのカンファレンスに現れ、VR産業を歓迎するというコメントを述べています。それはもちろん、VR技術が中国経済に貢献することを期待するという意味もあるでしょうが、新たな宣伝活動の道を開く可能性は無視できないでしょう。
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