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ドラゴンテイル 辺境行路 作者:猫弾正

一章

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死闘 03

 辛うじてルッゴ・ゾムの戦斧から逃れた傭兵剣士ではあるが、命辛々に味方の隊列の後ろまで転がり込んできた時には、疾走で体力を使い果たして息も絶え絶えの有様であった。

見た目を取り繕う余裕もないのか、剣を投げ捨てるや、息も荒くそのまま地面にへたり込んでしまう。

傭兵隊の指揮を取っていたヘイスが傭兵剣士を見止めて、傍らまで歩み寄ってきた。

「命を拾ったな。ギース」

面目を失った上に息も絶え絶えであるギースは、胸を弾ませて苦しげに呼吸を繰り返すだけでろくな返答も出来ずにいる。


 返答は期待していなかったのだろう。

「ルタン殿が、本隊を動かしたか」

地響きのする方角を見やってから鼻を鳴らしたヘイスは、どこか皮肉げな眼差しをオーク勢の組みつつある円陣へと向けた。

「強固な陣だな。あれを食い破るにはこちらも相当な被害を覚悟せねばならん」

どこか冷淡な口調で呟いてから、腕を大きく振って部下たちに号令を下した。

「集結だ!味方を一端、退かせて集結させろ」

「よろしいんですか?」

傭兵たちがオークの周囲から引き始めるのを目にして、直属の兵の一人が訝しげに尋ねてくるも、一瞥したヘイスは無言で肯いただけであった。

クーディウス家の兵士たちが口々に集結の号令を飛ばし、それを聞きつけた傭兵たちが周囲に再集結しつつある中で、ヘイスは口元を歪めて死傷した兵の数を数えていた。


 クーディウスの郎党ヘイスが揮下の傭兵隊を退かせたのは、なにも動き出した本隊の邪魔になるからだけではない。これ以上、戦力の消耗を避けたいというのも、大きな理由であった。

クーディウス一族の富裕を鑑みれば傭兵の十人、二十人雇うのも難しくはないが、緒戦であまりに大勢の兵を失っては、先行きの計画にも支障が出ると言うものだ。

傭兵とは言え、金や財貨をばら撒いて声を掛ければ直ぐに集まってくる訳でもない。

特に人口の希薄な辺境メレヴとなれば、求める人数が増えれば、それに応じて何かと手間隙も掛かる。


 腕利きの傭兵を十人、二十人と集めるには、それなりの長い時間が掛かる。

戦いはこれからも続くのだ。

クーディウスの郎党としては、出来るだけ戦力の損耗は避けたいのが正直な心中である。

これ以上、手配した傭兵たちを無為に失いたくはない。


 それにしてもギースがルッゴ・ゾムを討ってくれれば、大将を失ったオークの兵団も、今頃は見る影もなく瓦解していただろうものを。

僅かにいらつきを隠しきれぬヘイスだが、苛立たしげに周囲を歩き廻っているうちに、己の足音に驚いたのか。近くの藪から出てきた灰色の鼠を見て足を止めた。


 相手がルッゴ・ゾムとはいえ、村への襲撃と連戦で少なからず疲労している。

少なからず消耗している今なら、剣の達者であるギースを当てれば、或いは。

そう考えていたものの、どうやら見通しは甘かったようだ。


 旧友が命を拾ったことをよしとしつつも、同時に舌打ちを禁じざるを得ない気持ちはあった。

地面に寝転がって、苦しげに浅い呼吸を繰り返していた傭兵剣士のギースがようやっと半身を起こした。

「俺も、もう歳だ」

傭兵は友人の失望を感じ取ったのか。

額を撫でてから、ギースは気まずそうにそれだけを口にした。

「……だな」

苦笑を浮かべたヘイスは、腰につけていた革製の水袋を旧友へと手渡した。

エールの入ったそれを掴み取ると、ギースは零れるのも構わずに貪るよう飲み干す。

考えてみれば、ギースがあのオークの勇士を相手取っていなかったら、味方にもっと犠牲が増えていたかも知れん。

とは言え、敵将がルッゴ・ゾムとヘイスが気づいたのは、つい先刻。

その戦斧によって部下の傭兵が十人も打ち倒されてからであった。

ヘイスは、辺境南部を拠点とするクーディウス家の郎党であったから、南部地方の手練のは敵味方ともあらかた知っているものの、北の街道付近や丘陵地帯の人物については些か疎かった。

或いは、初めからルッゴ・ゾムと分かっていれば、もっと他に手の打ちようがあったかも知れないが。

どうにも連携が取れていないようだ。これでは、ギースばかりも責められない。


 東の丘の少し上に灰色の雲が漂っていた。冷たい雨滴がヘイスの頬を打つ。

「振り出したか……さて、この雨がどう転ぶか」

頬の雨滴を指先で拭って、ヘイスは低く吐き捨てた。

あのオークたちが相当な手練であるのは間違いないが、集落への襲撃の帰りに奇襲を受けたのだ。

疲労した状態で数に勝る豪族軍が真正面からぶつかれば、さしものオークたちも一溜まりもない筈だ。

だが、勝利は変わらずとも悪天候の上、強固な円陣を組んだ敵兵相手だ。

乱戦に巻き込まれては、最終的にどれほどの兵を失うかも分からない。

「こちらは充分以上に役目を果たしたぞ、ルタン殿。次は貴殿の番だ」

そう低く独りごちたヘイスの視線の先。遂に殺到してきたルタン隊が、丘を下ってきた勢いそのままにオークの円陣と衝突した。



 漆黒の暗雲を切り裂いて、天空に白い稲光が走った。

戦場に降り注ぐ灰色の雨が、容赦なく戦士たちの身体から熱を奪っていく。

狭隘な峠道。斜面と絶壁に囲まれた逃げ場のない戦場で、オーク族と豪族の軍勢が死闘を繰り広げている。

雨は冷たかった。白い息が交差するほどの距離で、兵士たちは顔をつき合せてひたすらに武器を振う。

狂ったように罵声が飛び交い、血飛沫が舞い上がり、武器を叩きつける鈍い音と共に断末魔の悲鳴が響き渡る。

肘から先を切り落とされた人族の農民兵が何事か呟きながら、失われた腕を探し求めて歩き廻り、ゴブリン兵に群がられたオークの戦士が目を抉り出されて絶叫を上げる。

武器を力任せに振るい、盾や得物で叩きつけられる刃を防ぎ、踏み込み、跳び退り、力尽きた者から崩れ落ちていく。


 後背に集結した傭兵たちの圧力をボロが率いる僅か十名で支えながら、オーク勢は残った三十と洞窟オークたちの戦列で、百を越える傭兵と武装した農民の攻勢を凌いでいた。

幸いなのは、後背の傭兵隊にさしたるやる気が見えないところだろうか。

不可解ではあるが、敵の凄まじい勢いを前にあれこれと思い悩む暇はオーク勢にはなかった。


 飛んで来る矢や投石に意識を取られ、突き出される槍を躱し損ねてオークが転倒した。

膝を負傷して倒れた敵兵に、農民たちが殺到して武器を振り下ろす。

味方が助けに入る間も在らば、絶叫したオークは忽ちに肉塊と化し、農民たちは切り取った首を取り合う。

「銅貨十枚!いただきぃ!」

「ふざけるな!この首は俺のだ!」

部下を殺されたルッゴ・ゾムが大きく踏み込み、憤怒のままに左右に戦斧を閃かせた。

「おお!のけい!人共!」

胸と首に深手を受けて吹き飛ばされた二人の武装農民が、うめきと共に崩れ落ちる。

だが、地面を転がったオークの首は、豪族のゴブリン兵が素早く拾い上げるや、抱え込んで逃げ出している。

どの道、拾えるだけ余裕などない。

一目見た部下は、顎が破壊されてベロンと舌を突き出し、貌までがズタズタに切り裂かれていた。

ルッゴ・ゾムの後背を守っていたオークが、石飛礫に額を割られて崩れ落ちる。

「銅貨十枚!」

そう叫んで背後から襲い掛かってきた農民兵の頭蓋を、振り向きざまに戦斧で唐竹割りに砕きながら、ルッゴ・ゾムは口中で呟いた。

「賞金を掛けているのか。いやな戦い方をしてくれる」



「狂気の沙汰だな」

部下を纏めつつ、距離を取って俯瞰したヘイスが顔を顰めて呟いた。

二つの丘陵に挟まれている狭隘な空間に、二百近い人数が一度に放り込まれたのだ。

両軍の兵士たちは、もはや退くことも進むことも侭ならない。

猛り狂うオークたちを相手に、武装した農民たちも狂ったように襲い掛かっていく。

「だが、この状況でも崩れんか」

オーク族の粘り強さにを見たヘイスの声は、僅かに驚嘆と苛立ちをはらんでいた。

彼らの長い戦歴で合い間見えてきた如何なオークの兵団であっても、これほどの攻撃に長く耐え抜いた覚えはない。

戦闘を注視しながら、ギースは用心深い声を出した。

「あいつら、ただのオークの雑兵ではないぜ」

「ああ。だが、こうなれば時間の問題……」

「惜しいな」

呟いたギースは、自分の手でルッゴ・ゾムを倒したかったのかも知れない。

戦士の矜持とやらか。くだらんとは思わんが……

軽く肩を竦めてから、ヘイスは軽く顎を引いて考え込んだ。

ルタンの手勢は、オークの集団を釘付けにしている。

今、ヘイスが傭兵たちに全力で攻めさせれば、目の前の敵を殲滅できよう。

しかし、ヘイスはオーク勢の手薄な後背を嵩に掛かって攻めようとはしなかった。

まだ元気を残している傭兵たちに「無理をせぬよう」命じて、戦わせている。


「おい」

呼びかけにヘイスが視線を移すと、ギースが指差している先。

横合いから、小さな人影が一つだけやってくるのに気づいた。

戦場をかなり迂回してヘイスの元へとやって来たのだろう。

どしゃ降りの雨と泥の塊に濡れたその青年はまだ顔に幼さを残していた。

確か、何とか言う近在の郷士の子息だった筈だが、生憎とヘイスは名前までは記憶してなかった。

「ヘイス殿!ルタン様から攻勢に出るようにとの命令だ」

開口一番。上から命じるような若僧の居丈高な物言いがヘイスの勘に触った。

「命令だと?ルタン殿が、クーディウスの家臣の俺に命令と言ったのか?」

わざとらしい驚きの口調と迫力のある視線にねめつけられて、若い郷士は狼狽したように言い直した。

「あ、いや。だが、そういう指示をくだされたのだ。攻めてくれ」


「わしの隊の動きは、わしの判断で進退を決めるよ」

それだけ言って、ヘイスは視線を逸らした。

横で若い郷士が何か言い募っているが、冷然と聞き流している。

オーク勢の死に物狂いの戦いぶりを目にして、ヘイスは僅かに恐怖を覚えていた。

無論、怖気づいた訳ではない。ヘイスは元々、臆病や怯惰からは縁遠い男である。

しかし、オークたちの戦いぶりには、豪胆な元傭兵を慎重にさせるだけの勇猛さがあった。

「もう少し疲れさせてからだな」

戦況を見定めてのギースの見立てに、ヘイスが賛同の呟きを洩らした。

豪族勢に完全に周囲を取り囲まれ、身動きの取れぬオークたちに丘陵の傾斜から石飛礫や矢が打ち込まれていく。

オークたちは神経を削りとられ、確実に傷つき、体力を消耗している。

そう長くは持ち堪えられない。それがヘイスとギースの一致した見立てであった。

どの道、最後には追い詰められたオークの方から陣を解き、挑んでくるであろう。

だが、今はまだ、オークには活力が残っている。

今、嵩に掛かって攻め寄せれば戦列を崩せるかも知れないが、代わりに甚大な被害を受ける恐れが高い。最終局面で乱戦に陥るのは避けたかった。

下手をすれば、主人のフィオナから預けられた傭兵の過半を失いかねない。

それでは、勝利に意味が無くなってしまう。

兵力を温存するのは、ヘイスにとって小競り合いで勝利を収めるのと同等以上に大切な責務だ。

こんな処で、オークの遠征隊一つ潰す手柄と傭兵隊を引き換えには出来ない。



 阿鼻叫喚の地獄絵図に、ルッゴ・ゾムも戦場の狂気に身を委ねていた。

肉を断ち、骨を砕き、臓腑を割り、一匹の獣と化して、ただひたすらに戦斧を振るう巨躯のオークを目掛けて豪族の手勢が殺到してくる。

「奴の首に銅貨三十枚!いや五十枚をくれてやるぞ!」

革鎧を来た痩せた老人が青銅製の中剣を振りかざし、塩辛声を張り上げていた。

「それが貴様らの命を張る値段か……安い命だな」

身体に突き刺さった槍の穂先や鏃も其の侭に、ルッゴ・ゾムが雄叫びを上げて吶喊する。

目の前に次々と現われる豪族の手勢を戦斧を振るって破砕し、退け、蹴散らして、武装農民たちが怯みを見せて後退った一瞬に革鎧の老人のところまで走りぬけた。

老人の表情が恐怖に醜く引き攣ったのが目に映った。

口を開いて何か言う隙もあらば、ルッゴ・ゾムの凪いだ戦斧は枯れ枝を折るように容易く老郷士の細首を刈り取って、驚愕に目を瞠ったままの頭が楕円を描いて宙を飛んだ。

豪族の兵士たちが一斉に恐怖と狼狽の叫びを喉から洩らし、後退っていく。

獅子奮迅の戦いぶりを見せる巨躯のオークに怯みながらも、狭隘な峠道には後ろに下がる空間もない。

「糞ったれがぁあ!」

逃げ場もなく、自棄になって突っ込んでくる農民兵たち。

槍を手にした先頭の兵士の、食い縛った歯の片隅からは涎が垂れている。

恐怖に歪んだ表情のまま、ゴブリンが臓腑をぶちまけ、ホビットが白い骨が覗くほどに手足を断ち割られて大地を転がり、頭蓋を割られた人族がのた打ち回って苦悶の叫び声を上げていく。


 無論、巨躯のオークがいかに勇戦しようが、多勢に無勢は否めない。

投石や矢玉とて、思いもつかぬ方角から不意に飛んでくる。

高みに位置した丘陵の勾配から、引っ切り無しに狙い定めた矢玉が降り注いでいるのだ。

オーク勢にも手傷を負った者たちが目立って増えてきていた。

ルッゴ・ゾムの戦装束も返り血以外の朱色に染まり始め、オーク族の戦列が崩れるのも時間の問題。その筈であった。


 恐怖に腰砕けとなった農民兵たちが、巨躯を恐れて僅かに遠巻きにするが、距離を取ればルッゴ・ゾムの巨体は石飛礫などの格好の好餌となる。

殻竿を片手にルッゴ・ゾムに飛び掛ってきた恐いもの知らずの若い農民が、味方の投石を肩に受けて骨を砕かれ、横転しながら喚いている。

迂闊に歩み寄ることも出来なくなった豪族の兵士たちが離れようとするも、今度はルッゴ・ゾムの方から踊りこんで戦斧を振るった。

血と脂で切れ味は鈍っているものの、巨躯のオークが握る戦斧が巨大な鉄の鈍器であることに代わりはない。

ルッゴ・ゾムの豪腕に握られたそれが、強かに武装農民たちを打ちのめしていく。

豪雨に泥濘と化した足元から、跳ね上がった土がルッゴ・ゾムの逞しい太股にこびり付いていた。

乾く間もなく頬に浴びた血飛沫が一瞬の熱さを感じさせたもの、冬の風に熱を奪われ、不快な感触へと変わる。


「おおお!」

戦斧が縦横無尽に跳ね上がり、叩きつけられ、薙ぎ払らわれ、振り下ろされる。

恐怖に顔を歪めた豪族の兵士が腕を失い、腹を裂かれ、絶叫を上げて崩れ落ちていく。

だが、ルッゴ・ゾムが此れほどまでに奮戦しようとも、豪族勢は崩れなかった。

逆に、剛勇が容易ならざる敵を惹きつけたのだろう。

次第に、装備も優れた郷士たちが二人、三人と連れ立って、ルッゴ・ゾムの目の前に立ちはだかってきた。


 暴れまわる巨躯のオークを取り囲んだ数名の勇敢な郷士たちは、無言のうちに自然と連携を取り始める。

ルッゴ・ゾムの攻撃を槍や盾で凌ぎながら、獣を狩るように死角から傷つけようとする戦術だ。

ここに来るまでに少なからず手傷を負い、また疲労に動きの鈍ったルッゴ・ゾムに、攻撃を躱し切ることは難しかった。

首を狙った槍を、辛うじて上げた腕で防いだ。

深々と突き刺さった上腕に力を込めると、槍が抜けなくなる。

槍を奪い取り、其の侭に郷士との間合いを一気に詰めて、戦斧を振り下ろした。

危うく躱した郷士に追撃を掛けようとするも、別の郷士が庇うように剣を振った。

攻撃の気配を見せたもう一人の郷士を牽制する為、左に戦斧を薙ぐと、振り返って切り立った岩壁を背中にする。


 息を整えながら、ルッゴ・ゾムは周囲を取り囲んだ郷士たちを睨み付けながら、力量を推し測った。

七人……いや、八人か。一人一人が結構、腕が立つな。連携も上手い。

一対一なら敵ではないが、此れだけ揃うと厄介だった。

それに、味方から離れてしまったな。

円陣を見れば、何時の間にか中心でボロが声を張り上げつつ、指揮を取っていた。

ルッゴ・ゾムの方が指揮は上手いが、今は指揮官としてよりも一人の戦士としての彼の力量が必要とされていた。

この多勢に無勢の局面で、並外れた武勇を誇るルッゴ・ゾムに戦わないという選択はなかった。

その個人的武勇がなかったら、オーク勢はとっくに崩れていただろう。

だが、ルッゴ・ゾムの剛勇も、もはや尽きようとしていた。

深手を負ったにも関わらず、無頓着に戦斧を振るうルッゴ・ゾムの姿に、恐れ戦いたように戦慄している郷士たちだが、オークの大将も過去になく手にした戦斧を重く感じていた。

鉛の重りが全身にへばり付いたかのように、身体の動きが鈍ってきている。


 雨が激しくなってきた。

降り注ぐ雨滴を浴びて、後方にいた豪族のルタンは煩わしげに銀髪をかき上げている。

先陣を切っていたカルーン卿が無造作に首を跳ね飛ばされるの目にし、忌々しげに舌打ちをする。

「……カ、カルーン卿が!」

恐怖に喘いでいる腹心の奴隷たちを横目に、ルタンは表面上の平静を装いながら、しかし、内心は煮えくり返っていた。

「化け物めが」

圧倒的優勢な状況に持ち込んだにも関わらず、たかが一人のオークの為に味方が恐ろしい損害を受けていた。

手負いが増えすぎていた。

「これでは割りに合わんぞ」

戦況を眺めながら、ルタンは思わず歯軋りする。

腕自慢の郷士たちが取り囲んだものの、どうにも攻めあぐねている様子であった。


「さて……どうしたものか」

額に手を当てて考え込むものの、そうそう妙案など浮かばない。

今のままでも、時間が経てば勝利は転がり込んでくるだろう。

だが、しかし、ルタンの目には、戦場で倒れていくのは豪族の兵ばかりにも思える。

ルッゴ・ゾムの事を除いても、前列ではオークと兵士たちが顔をつき合わせて烈しく干戈を交えている。

打ち下ろされる矢玉は、オークの流血を刻一刻と増大させているが、敵を取り囲んでいる事もあって豪族の兵士たちにも当たっている。

辺境の弓の精度は悪く、射手の練度も低い為に味方を少なからず傷つけているのだ。

たとえ自分の領民でなくとも、出来るだけ農民たちの被害を減らしておきたい。

そう考えるルタンの目には、金の掛かる割りに効果が薄いように思えてならなかった。

物資を集め、人を使うのに優れた手腕を有している豪族ではものの、ルタンは生来、戦士でもなければ軍人でもない。

勝利が見えたこの瞬間、勝つ為に全力を尽くして来たルタンが金を惜しんで弓手たちを下がらせた。

「旦那。本気か?」

腹心の奴隷が驚いたように尋ねてくる。

「鏃は高い。飛び道具は高くつく」

やや上擦っているルタンの声に、奴隷は首を振るって反対する。

「矢を惜しんで味方を死なせるのか」

「先刻から味方にも当たっているのだ」

奴隷はルッゴ・ゾムを指差して、再度、意見を口にした。

「せめて、あの怪物だけでも弓で仕留めればいい」

「駄目だ。すでに郷士たちが取り囲んでいる。

 まかり間違って地元の顔連中を殺してしまったら、取り返しがつかん」

「……間違いだよ。旦那」

奴隷はぶつぶつ言いながらも、弓兵のところに攻撃中止の命令を伝えに向かった。

奴隷を見送ったルタンは、頬杖を突きながらルッゴ・ゾムに鋭い視線を送った。

これまでに経験した戦といえば、近隣の豪族との境界争いや雑兵のオークとの小競り合いが精々である。

優勢とはいえオーク族の戦士団。それも死に物狂いの精兵相手に戦うのは初めてであり、圧倒的に不利な状況にも拘らず崩れない敵の粘り強さと味方の不甲斐なさが銀髪の豪族にはどうにも歯痒くてならない。

ルッゴ・ゾムを眺めつつ暫く考え込んでいたルタンだが、遂に最後の切り札を切ることにした。

「……巨人を呼べ。出番だとな」

雨に濡れたマントを手で払うと、もう一人の奴隷に伝令を命じた。



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