ほぼ日刊イトイ新聞

2019-10-31

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・夏は夏でだけれども、
 寒い冬のほうが夜空が澄んでいるせいか、
 空を見上げて星を見ることが多い。
 子どものころにいくつもの星座の名を覚えたけれど、
 いまでもはっきりとわかるのは、
 おおぐま座、柄杓のかたちの北斗七星と、
 三つ星のベルトが目立つオリオン座くらいだ。
 いつまでたっても、夜空の柄杓と三つ星だけを見ている。
 繰り返し見ている映画みたいだ。
 あれほどわかりやすくてよく輝く星座は、
 そう簡単に新しく生まれるはずもないから、
 ぼくばかりでなく、おそらく人類はいつまでもずっと、
 おおぐま座とオリオン座などを見続けるのだろう。
 南半球の人だと白鳥座の南十字星かな。
 夜空の星座模様が番組改編のように、
 ガラリと変わることはないのだとしたら、
 太古の昔に、あの星々に名前を付けた人たちは、
 永遠の物語作品を残したことになりそうだ。

 ここから先は、書かないでもいいかと思ったのだけれど、
 ついでのように書いてしまう。
 空に星座として見事に並んでいるオリオンのベルト。
 いかにも三つ星ですという具合に並んでいるけれど、
 よくよく考えると、三つの星は、ほんとは並んでない。
 地球から見て三つ並んでいるようになっているけれど、
 左、まんなか、右の星は、たがいに等距離でもないし、
 地球からの距離もそれぞれにまったくちがうはずだ。
 つまり、あの三つ星は同一平面に描かれたものではない。
 そういうふうに見立てただけのものなのだ。
 三つ星ばかりでなく、星座という星座はすべて、
 地球から見立てただけのフィクションなのである。
 半球上のスクリーンに星座を映し出したものではなく、
 近くも遠くも大きいも小さいもごっちゃにして、
 「ここ(地球)から、こう見えるよ」と勝手に決めただけ。
 だから宇宙の別のところから来た宇宙人に、
 「オリオン座の右にさぁ」なんて話をしても、
 全然通じないのでありますよ。
 でも、それでいいじゃない。
 星座は、地球にいる人間の永遠の創作物なのだものね。
 今夜も、オリオンはあそこに飽きもせずにいてくれる。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
見立てと名付けって、思えばわがままな行為ではあるね。


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