著者: 栗本千尋
「八戸にフラれた気がしたんだよね」
と、母は言った。
「仙台に家を買おうと思う」と突然言い出したので、その理由を聞いたときのことだ。
冗談だと思っていたことが現実になり、八戸にあった実家がまるごと仙台に移って4年が経つ。高校卒業まで過ごした生家は跡形もなくなり、今はその土地に見覚えのない真新しい家が建っている。
地元だけど、実家はない。
そんな片思いの八戸に、来年の夏、私は帰ることが決まっている。
「りんご」も「大雪」も「ねぶた」もない港町
自己紹介で「青森県出身」と言うと、反応される3大パターンは、「りんごでしょ?」「雪すごいんでしょ?」「ねぶたでしょ?」。でも実際には、りんごをつくっている地域はちょっと遠いし、太平洋側なので雪はそこまで積もらないし、ねぶた祭りには一度も行ったことがない。
青森出身なのに青森らしいことを経験してきていない。いってしまえば八戸は半端な土地なのかもしれない。
青森県八戸市。
田舎の代名詞のような、どこにでもありそうな港町が、私の育った場所だ。
八戸港は日本有数の漁港で、サバとイカがよくとれる。
イカの水揚げ量は、長らく日本一だったという。
そういえば、漁船の塗装業をしているお隣さんから、よくイカをいただいていた。なかなかの頻度でイカ刺しが食卓に並ぶので、正直なところ、私はあまり好きじゃなかった。
でも、あの鮮度の高いイカを食べ慣れていたから、「東京のスーパーに並ぶイカは食えたもんじゃない」なんて、言ってみたりしている。
八戸の朝文化、「朝市」と「銭湯」
八戸の朝は早い。
日曜に開催される朝市が有名で、毎週のように朝早く父親から起こされた。三人姉弟のうち、起きるのはいつも私だけだったので、「付き合ってくれるのは千尋だけだな」と、父はちょっぴりうれしそうにしていた。
朝市でお目当ての甘酒を買ってもらい、ズズッとすすりながら父の買い物に付き合った。覚えているのは中学生まで。反抗期のちょっと前だったので、父の少しだけ後ろを歩いた。
私が通った当時の陸奥湊駅前から、現在は館鼻岸壁に開催場所を移したけれど、活気は以前よりもすごい。どれくらいすごいかというと、多いときだと渋谷のスクランブル交差点ばりに混み合う。
「全長800mにわたって300以上の店が立ち並ぶ」、と公式サイトでは謳っているけれど、もっと長くてもっと多い気がする。
朝市に並ぶのは、鮮魚や干物、野菜などの地元産食材から、コーヒー、パン、ラーメン、揚げ物まで、なんでもござれ。骨董品を出しているお店があったかと思えば、ミシン屋さんまで(はたして売れるのか)。
2015年ごろからは、謎の非公認ゆるキャラ(?)イカドンが登場。ファミリーで出没する日も。名刺交換をしてくれるという噂もある。
朝が早いといえば、もうひとつ。
八戸の銭湯は、早いところで朝5時から営業している。早朝に海からあがってくる漁師のためにはじまった港町文化だ。
温泉が湧いているわけでもないのに、公衆浴場数が30軒以上。これでも昔に比べて減ったそうだ。八戸の銭湯は、湯船の数が多くて、だいたいサウナもついている。
家に風呂はあれども、週末は決まって銭湯へ。
サウナが好きな母と一緒に、水風呂との交互浴をした。
今はもう少し値上がりしてるかもしれないけど、350円くらいで入浴できる銭湯は、かなり気軽な存在だったのだ。
転勤族だった父と一緒に全国いろんな土地に住んだことのある母は、「こんなに安く銭湯に入れるのはここくらいだ、だからやっぱり八戸がいいんだよ」と言っていた。
そんな母が「八戸にフラれた」と言い出したのは、たしか5、6年ほど前のことだ。
八戸の人と入籍したら、実家がなくなった
そのころ、県外で就職した弟が八戸に帰ってきていた。
心を病んで部屋にこもりがちだった弟が、徐々に外に出られるようになり、地元で就職活動をはじめた。
……が、ことごとく玉砕。
正社員はダメ、契約社員もダメ。
ついには近所のスーパーで、パートの面接を受けた。
「今募集しているのは、惣菜をつくる部署のパートです」
「……僕、コロッケ大好きです!!」
なけなしの元気を振り絞った弟の声も、届かなかった。
そんな状況に対し、母は「八戸にフラれた」と感じたのだ。結局、弟は上京してIT系の仕事に就くこととなる。
「八戸には仕事がないから、将来帰ってこいなんて言えない。仙台に引越す」
そう言って、母は真剣に引越し先を探しはじめた。
いやいや、そうはいっても、実家がまるごと引越すなんて簡単にできることじゃないはず。そんな風にたかをくくっていたけれど、時が経つにつれて母の本気度は増していくばかり……。
「将来子どもが生まれても仙台には会いに行かないよ!?」
とうとう、まだ見ぬ孫までも引き合いに出してみたが、それでも母の決意は揺らがなかった。
父はというと、「母さん何言ってんだ」くらいの反応で、しばらく取り合わずにいた。
「九州出身だけど、骨を埋めるのは八戸でいい」。そんな風に話していた冷静な父の背中を押したのは、皮肉にも私の夫だった。
夫も八戸出身で、学区は違うけれど私の実家から徒歩15分くらいの場所に実家がある。
結婚の挨拶のために両家で顔合わせしたとき、父が「娘が欲しければマラソン勝負しろ」と言い出し、なぜか半年後の「うみねこマラソン」で勝負することになったのだ。
夫は、全然キャラじゃないのに、義父お手製の「I L♡VE ちひろ」Tシャツを着て、私の姉が書いた「彼女の父に勝てたら入籍します!」というタスキをかけて走ってくれた。
そうして、二人はハーフマラソンを完走。
結果は夫が40分もの大差をつけて勝利し、翌日、八戸市役所に婚姻届を提出してきた。……のだけど。
両家が集まった祝賀会で、父が突然「よし! 俺は仕事辞める。体力が残っているうちに仙台に引越すべ」と言い出した。
それまで体力に自信のあった父が、もう若くはないと実感し、八戸を去る決意をしてしまったのだ! (なんでだ!)
そこからの行動は早く、一年もしないうちに両親は仙台で庭付き一軒家を購入。
せめて家だけでも残してほしかったけれど、先代からの土地の登記の問題があり、解体して土地だけで売りにだされることになった。
引越し準備をはじめたのは、私が里帰り出産している最中のこと。新しい命の誕生と、壊されるために片付いていく家。なんというコントラスト。
こうして八戸から実家がなくなったのは、2015年春のことだった。
「アートのまち」「本のまち」「自然派ワインのまち」
実家がなくなった途端に、八戸が本気を出してきた。
2018年には、中心街に市民のための広場「マチニワ」が完成。
シンボルツリーは、アートディレクターの森本千絵さんが監修しているし、1時間に一回、歌手の坂本美雨さんの歌声が流れている。
水飲み場と噴水に子どもたちは大喜びだ。ここではイベントを開催することもできるし、甲子園のパブリックビューイングなども行われる。
2021年には「八戸市新美術館」も完成予定。「アートのまち八戸」を推進していくという。
また、「本のまち八戸」を推し進めるなかでつくられた「八戸ブックセンター」は、下北沢の本屋B&Bの内沼晋太郎さんがディレクションを担当している。
館内の本を立ち読みしながらドリンクを飲めるのもB&B方式。
執筆活動する「市民作家」が無料で使えるカンヅメブースは、Wi-Fiや電源が使い放題。コーヒーなどのドリンクも注文できる(この原稿の書き出しもカンヅメブースで書いた)。
昔からある「木村書店」は、「ポップごと売る本屋さん」として今や全国区で話題だし、まだ行ったことはないけど、ブックバー&カフェの「AND BOOKS」も気になっている。
「アート」と「本」の他に、今盛り上がってきているのが「自然派ワイン」。
2016年からスタートした自然派ワインのフェス「Bon! Nature」では、西荻窪の有名なワインバー「organ」も昨年出店した。
私が20代のころは、居酒屋といえばチェーン店が多くて、個人経営の店はやっていけないのだと思っていた。でもここ数年で、個人経営の、特に自然派ワインを提供する店が急速に増えた。
夫がずっと自然派ワインのお店で働いてきたので、八戸でも飲めるなんて! と感動したものだ。
今年のお盆に帰省したとき、友達と一緒にはしご酒をしてきた。
「八戸ポータルミュージアム はっち」の2階に入っている「チーズデイ」にはじまり、
夫の高校の同級生がやっている「Rapport Kitchen」、
飲み屋が集まる鷹匠小路にある「origo」。
はしご酒をした帰り道、タクシーがつかまらなかったので一人で歩いて帰ることにした。街からまっすぐ港方面に歩いていくと、小さな十字路がある。
左へ曲がると私の実家、右へ曲がると夫の実家。
「あ、そうだ、もう左に曲がっても帰る家はないんだ」
あらためて実感すると、やっぱりちょっと寂しかった。
母が見切りをつけた八戸へ、来年の夏に私は帰る
あのとき、母は「八戸にフラれた」と言ったけれど、母だって「若いころほど街に活気がない」とかなんとかボヤいてて、実際には家庭内別居のような状態だったんだと思う。
八戸に見切りをつけて、三行半(というか転出届)を突きつけたのも母だ。
今になって盛り上がってきている八戸は、さながら「別れたあと急に男っぷりをあげた元カレ」。
来年の8月、私たち一家は東京の家を引き払って、「元カレ」こと八戸のもとへUターンする予定だ。長男が小学校にあがる、ちょっと前のタイミング。
私はこのままライターの仕事を続けるつもりだけど、どうなるだろう。夫は自然派ワインのお店を出す予定で、今は夫婦で貯金を頑張っているが、繁盛するかは分からない。
帰るまで、もう1年を切り、カウントダウンがはじまっている。
母が「フラれた」八戸と、私たちは両思いになれるだろうか。
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著者:栗本千尋
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編集:Huuuu inc.