重慶爆撃
(1938年12月04日)日本軍によるじゅうたん爆撃。
国民党を支援していた米英首脳をはじめ、
国際的に非難を浴びた。
日本軍は中国奥地に攻め込み、
蒋介石を南京から漢口、さらには重慶に追いやった。
国民党政府は首都を重慶に移し、
共産党もここに代表部を置いて
抗日民族統一戦線が結成された。
重慶はいわゆる「国共合作の町」となった。
しかしさすがの日本軍も、3000m級の四川省の山々や、
三峡の極端に狭くなる水域と激流に阻まれ、
この地にまでは踏み込めなかった。
昭和12年8月には、
長崎の大村基地や台湾から
往復八時間(2000㌔)の南京渡洋爆撃が始まり、
年末には南京の占領、15年には、宜昌や漢口からの
重慶都市爆撃が激化されることになった。
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