重慶大爆撃
重慶大爆撃の被害状況
重慶大爆撃の被害者が日本政府を相手に賠償を求める裁判の第二審が、17日に東京高等裁判所で開かれた。
今回の第二審でも一審と同じく原告の訴えは棄却される模様だ。
日本人は東京大空襲は知っていても、戦時中に中国の首都であった重慶を日本軍が何度も空襲していたことはあまり知らない。
日本軍は1938年から1943年までの間に218回も重慶を空襲し、出動した爆撃機は延べ9000機、投下した爆弾の数は11500発にも上るという。
重慶市民は防空壕を掘って対応したが、それでも長期にわたる頻繁な爆撃で2万人以上が空襲で死んだと推計されている。
防空壕にあまりに多くの人が殺到したため、防空壕の中が酸欠になり呼吸困難で死ぬというケースも多かった。
中国人原告団は再び控訴する予定のようだが、賠償請求を求める裁判は難航が予想される。
ただ、この裁判は日本人に重慶大爆撃という事件の存在を知らせるという面では一定の意義があるだろう。
ちなみに、日本政府は東京大空襲で自国民を虐殺した米空軍責任者のカーチス・ルメイに勲一等旭日章を授与している。
野崎晃市(42)