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高度に発達した気遣いは、気違いと区別がつかない このページをアンテナに追加

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2016-03-04

[][]ジャガトマ警察24時

“警察”、というものがある。

いや、もちろん現実に治安維持活動を行っている行政機関のことではなく。

主にフィクションにおけるある特定要素の描写に対し、その分野についての深い造詣を駆使して現実と照らし合わせた上で差異の指摘を行う人々、あるいは指摘行為自体の総称としての「××警察」のことだ。一般的には、「弓道警察」「吹奏楽警察」などが知られている。らしい。


弓道警察 (きゅうどうけいさつ)とは【ピクシブ百科事典】

弓道警察という呼称はレッテル貼りの為の非実在組織です。

弓道経験者への謂れのない罵倒に使われたため、現在では言葉に出すことも憚られるほどになってしまっています。

この言葉は冗談でも誰かに向かって使わないよう注意しましょう。

とのことなので、気をつけよう。

さて、この“警察”の一つに、「ファンタジー警察」の一分派としてではあるが、「ジャガトマ警察」というものが存在している。これの“管轄”を一言で簡単に説明すると、

「『中世ヨーロッパ風異世界ファンタジー』に、現実の中世ヨーロッパに存在しなかったジャガイモやトマトが登場するのはおかしい」

ということになる。

世間(ネット)では、そもそも“警察”的な重箱の隅をつつくフィクション受容態度自体に眉をひそめる向きも多いわけだが、とりあえずそれは本題ではないので、ここでは置いておこう。しかし、仮に“警察”的なるものを認めたとしても、この「ジャガトマ警察」に限っては、“警察”の基準で見てみてもやや問題がある。いっそ“警察”の体を成していない、と表現してもいい。

「ジャガトマ警察」の何が問題なのか、一つづつ見ていこう。



1.前提

「ジャガトマ警察」の抱える具体的な問題点に入る前に、よくある一つの誤解を解いておきたい。

この話題では時折、「ジャガトマ警察」の主張を「異世界に現実世界の地球の作物であるジャガイモやトマトが存在するのはおかしい。異世界独自の植物を設定するべきだ」というものだと解釈した上で議論に参加してくる人々が見かけられる。主に“警察”側に賛同する立場で。

たしかに、異世界には異世界ならではのものをという主張には一理ある。この地球とは(基本的に)無関係であるはずの世界を舞台として設定する以上、そこに生きる動植物が、たとえ地球上のどこのものであろうと単純な現実の引き写しなのでは、違和感があるどころか矛盾しているとさえ言える。やはり、ジャガイモの代わりに「ジャガーイモ」(ジャガイモによく似ているが収穫しようとすると鋭い牙で噛みついて殺す)、トマトの代わりに「トーマトー」(トマトによく似ているが食べると死ぬ。死の直前の一瞬に一生を振り返る)など、その世界に合ったオリジナリティ溢れる「設定」を考えるのが「異世界ファンタジー」の本道というものだろう。こういう方向性なら“警察”の名にふさわしい指摘と言えなくもない。

(肝心の人間がそのまま「人間」として存在していることの説明はやや難しくなると思うし、今どきこの手法で魅力的な物語世界を構築できるかも疑問だが、それは別問題)

だが、実際の「ジャガトマ警察」はそうではない。「ジャガトマ警察」がジャガイモとトマトを取り締まる理由はあくまで、そこが「中世ヨーロッパ風異世界」であり「現実の中世ヨーロッパにはジャガイモもトマトも存在しなかったから」なのだ。現実の植物をファンタジー世界に持ち込むこと自体については、彼らはほとんど無頓着であるとさえ言っていい。ついでに言うと、日本での「ジャガイモ」という呼び名が「ジャガトラ(ジャカルタ)」という現実の地名に由来することが異世界の雰囲気を損ねるといった話も、ここではあまり関係がない。

この前提を確認することで、問題のありかが見えやすくなる。


2.「中世ヨーロッパ風異世界ファンタジー」は実在するか?

「中世ヨーロッパ風異世界ファンタジー」、と簡単に言うが。実のところ、「中世ヨーロッパ風異世界ファンタジー」作品というのは、世にどれほど存在しているのだろうか。

何を言っている、ライトノベルでも「小説家になろう」でも辺りを見回せばそんなのだらけじゃないか、という声があるかもしれない。なるほど、たしかに、一般的に「中世ヨーロッパ風異世界」に分類されるような舞台設定のファンタジー、というだけならいくらでも思い付く。

だが、作中、あるいはあらすじ、広告宣伝などにおいて、明確に「中世ヨーロッパ風異世界」を標榜しているファンタジー作品となるとどうだろう?自分は正直、具体的なタイトルは一つも挙げることができない。

多くの、(一般的に)「中世ヨーロッパ風異世界ファンタジー」(とされる)作品が、自ら「中世ヨーロッパ風」を名乗っている事例はそう多くはない、というのは、恐らく多くの人が認めてくれる事実だと思われる。

では、このような、作り手側が自分で名乗ったわけでもない、読者が勝手にそう思って呼んでいるだけの、他称「中世ヨーロッパ風異世界ファンタジー」作品に、中世ヨーロッパと同様の文化=非ジャガトマを要求することは、どの程度適切な行為だろうか。

ほとんど言いがかりに近い、と思えるのだが、どうだろう。


3.“風”

仮に。

仮に「中世ヨーロッパ風異世界ファンタジー」を自ら看板に掲げている作品があったとする。これに対してなら存分にジャガトマ禁止ルールを押し付けられるぞ!ザマァみろコロンブス!と安心してもいいものだろうか。単純にそうとも言えない。

なぜなら、(ここは極めて重要な箇所なので大きく改行させてもらう)



「中世ヨーロッパ風異世界」はあくまで「中世ヨーロッパ“風”異世界」であって「中世ヨーロッパ」そのものではないからだ!



何を当たり前のことを大げさにと思うかもしれないが、その当たり前のことを把握できていない人が案外多いらしい。

「中世ヨーロッパ風」の“風”とはつまり「っぽさ」である。中世ヨーロッパっぽさを適切に演出できている限りにおいて、作者はそれ以外の部分ではどれだけハメを外そうが「中世ヨーロッパ風異世界ファンタジー」を名乗ることが許される(はずだ)。そして、具体的に中世ヨーロッパっぽさを演出する方法、現実の中世ヨーロッパから何を取捨選択するかは、完全に作者の自由である。敢えて「異世界ファンタジー」というジャンルを選択している以上、単に中世ヨーロッパの可能な限り忠実な再現が目的なはずもない(と思う)

さて、ここから個人的な事情で少々心許なくなってくるのだが。

「中世ヨーロッパっぽさを適切に演出できている限りにおいて~許される」と言ったが、「ジャガトマ警察」の主張に従うならば、ジャガイモとトマトの存在は他の部分がどうであれ「中世ヨーロッパっぽさ」を決定的に損なう致命的な要素、ということになる。正直、これがいまいち実感できない。世界史の知識スッカスカだから!

ジャガイモとトマトが新大陸からヨーロッパにもたらされた植物であることぐらいは、さすがに知識として持っている。ジャガイモが、ヨーロッパの食料事情を改善させたという話もなんとなくは理解できる。その影響の大きさから言えば、分かる人にはジャガトマ以前・以後の境界線がくっきりと見えるのかもしれない……

が、それでもどうにも納得できない。技術面での異物、たとえばTシャツとジーンズのオタクが中世ヨーロッパ風異世界でインターネットやってたりしたら、これはさすがに自分でも違和感が爆発する。まあ、そこまで極端な例でなくても、フリントロック式のマスケットが出てくるだけで文明レベル上の整合性が気になるような人の気持ちは理屈として分かる。

しかし、ジャガイモとトマトは……植物だ。「たまたまジャガイモやトマトがもともと自生していた中世ヨーロッパ(風異世界)」というのは、世界史の知識をある程度以上持つ人々にとって、たとえ空想だとしてもそこまで無条件に「あり得ない!」と感じてしまうものなのだろうか?本当に?

にわかには信じがたい。



先にも述べたように、異世界に存在する事物は(現実を参考にしつつも)なるべく独自のものとして設定すべき、という主張は別にいい(同意はしない)。また、多くのファンタジー作品が“安易に”いわゆる「中世ヨーロッパ風異世界」を採用してしまっていることへの批判や、現実をモデルにするにしてももっと多様な時代・場所を参照すべきではないかという提言も、まあ好きにすればいいだろう(同意はしない)

しかし、「『中世ヨーロッパ風異世界ファンタジー』に、現実の中世ヨーロッパに存在しなかったジャガイモやトマトが登場するのはおかしい」だけはダメだ。ダメダメだ。そもそも理屈として成り立っていない。「ジャガトマ警察」の皆さんには、“警察”としての精度をより高めた上で、また別の新たな“警察”として頑張っていただきたい(頑張らなくてもいい)

(ジャガトマの出る異世界ファンタジーらしい)






さて。ここからが本当の本題になるのだが。

なぜ今敢えて「ジャガトマ警察」なんかについて語ってしまったのかという説明をさせてもらうと。少し前にとあるネット小説(それこそ「異世界ファンタジー」)を読んでいたところ、驚いたことに“警察”が登場したのだった。ここでの用法に近い形で。更に個人的に深く困惑させられることに、その“警察”は、よりによって“天狗”とほぼ同一視されているのだ。

幻想再帰のアリュージョニスト - 4-35 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ2

「雑にサイバーカラテを語るな。お前のような不適切なシナモリアキラを取り締まるのが俺の使命――そう、俺はシナモリアキラ警察。第五階層の秩序を守護する、正義の夜警(ナハトヴェヒター)――全ての暴力は俺が独占・管理する!」

現在ランキング六位。対象識別コード『天狗(てんぐ)』の追跡調査を継続する。


(ここでは“天狗”の詳細を改めて説明することはしない。こちらを参照されたし。ラノベ天狗始めました - 高度に発達した気遣いは、気違いと区別がつかない

この、「警察=天狗」の習合がいかにして起こったのか。本当に同じものだと思っているのか、別物だと分かっているが敢えて同一化させてみたのか、建前上は違うということになっているが実のところ大して変わらねえだろと思っているのか。それは作者のみぞ知る話であって、我々読者には量りようがない。

ただ、自分にとって“警察”と“天狗”が別物であることはほとんど自明なのだが、もしかしたら他の人々にとってはそうではないのかもしれない、であれば個人的に“警察”について何かを語っておきたい、と思った次第。

ここから“警察”と“天狗”の違いをくどくどと並べ立てるのも無粋なので、最後に要点を。

「“警察”は(主に)作品を取り締まる」

「“天狗”は(主に)人に唾を吐く」

「“警察”と“天狗”は(基本的に)仲が悪い」

今日はこの三つだけ覚えて帰っていただきたい。以上。














「“警察”は作品を取り締まる」「“天狗”は人に唾を吐く」「“警察”と“天狗”は仲が悪い」という話だが、この文章自体が「天狗警察」めいた何かではないか?と思ってしまった、そこのあなた。

おめでとう。あなたには“警察”の、あるいは“天狗”の才能がある。



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