2019年10月29日

三国志展でも,主役はやはり曹操だった

曹操高陵出土の白磁東博の三国志展に行っていた。いかにも曹操の墓(曹操高陵)の発掘を契機に立てられたような企画である。展示のメインは後漢から三国時代にかけての出土品や伝世品で,曹操高陵からの出土品も含まれる。加えて後代の中国で描かれた三国志の絵画や,NHK人形三国志で使われていた人形,横山光輝の『三国志』の原画等も展示されていた。

実のところ,展示の大半は後漢代の装飾品や道具・武器,陶器などであり,当時に活躍した諸将縁の品は(当然ながら)あまり無かったので,当時の生活の様子はよくわかるものの,三国志の武将やエピソードを体感しに来たつもりだと肩透かしを食らうかもしれない。ただ,展覧会側もその自覚はあり,「○○もこれを使っていたかもしれない」というようなキャプションを入れる,『三国志演義』にある諸葛亮の赤壁での千本の矢集めを会場の天井と壁面を使って再現して設置する,コーエー『真・三國無双』シリーズの設定通りに巨大な蛇矛を再現したもの等の飽きさせないような工夫が多く見られた。実際に理系で東博に何年かぶりに来た同行の友人(ただし三国志の知識は私と変わらないマニア)も大変満足していた。

それでも面白かった展示物は,やはり固有名詞が出てくる品々で,しょうがないでしょ三国志ファンなんだからという感じ。たとえば「曹休」の印や,朱然の墓の出土品,定軍山出土の撒菱,合肥新城出土の石球など。石球に陸遜の指紋とか残ってないかな……とか考え出すとテンションが上がる。毌丘倹紀功碑(高句麗遠征成功の記念碑)がさらっと置いてあったのもすごい。ややマイナーな武将であるが,この展覧会に来るような人なら知っているだろうという企画側の信頼が感じられる。前述同行の友人も「まさかの毌丘倹!」と喜んでいた。あるいは「中山靖王劉勝の墓からの出土品」もファンならニヤリとする品。「倉天乃死」(原文ママ)から始まる漢文が彫られた磚(石碑)は,漢文の素養が高校レベルでもはっきりと読める漢文で,多くの三国志ファンが思わず読んでしまったことだろう。弩・戟等の武器類も良かった。特に弩は保存状態が良く一級文物に指定されているものがあった。「三國無双シリーズの弩は殺意が湧くよね」なんて話題で盛り上がること請け合い。

展覧会の目玉はやはり曹操高陵の出土品。展示室自体が曹操高陵の墓室を再現したという気合の入れよう。曹操が遺言で薄葬を命じたためか,あるいは盗掘に遭った可能性があるためか,出土品がどれもこれも地味というのが特徴的。その中で一際目を引いたのが,白磁の壺である(今回の画像)。本当によくこれを持ってきてくれたと思うし,これを見るためだけでもこの三国志展は行く価値がある。白磁は陶器や青磁に比べて技術的難度が高く,発明が遅れた。青磁は後漢には発明されていて本展でも展示があったが,一方で白磁の発明は6世紀末~7世紀頃と考えられている。しかし,曹操の墓が作られたのは当然ながら彼の亡くなった220年頃である……つまり,曹操の墓から出土されたこの白磁の壺は300年ほどの技術を飛び越えた正真正銘のオーパーツである。三国志も陶磁器も好きな私は今年の2月にこのニュースを聞いて大変に驚いた。それをまさかこんなに早く,中国に行かずとも見る機会が得られるとは。

とはいえ研究者の立場からするとオーパーツで研究を終わらせるわけには行かないわけで,本展のキャプションでは「偶然の産物として完成し,珍品であったので曹操に献上されたのではないか」とひとまずの結論が出されていた。なるほど,確かにそれが現実的なところであろう。また,曹操が望んだのか,それとも曹丕らが配慮したのかはわからないが,薄葬を望んだ曹操でもこの白磁だけは副葬品としたという事実は面白い。珍品だったので曹操が好んだということでも,珍品すぎて周囲が扱いに困り,良い機会だから副葬品として処分したというオチでも,どちらでも面白い。本品については技術的な研究は今後進展するかもしれないが,文献に残っていないためになぜ副葬品になったのかという研究については困難を極めると思われ,当分は良い三国志ファンの妄想の種になるだろう。陳舜臣が存命ならこのネタで一本小説を書くレベル。

この三国志展は東京での展示は終わっているが,九州国立博物館に移って年明け1/5まで開催中である。東京で見そびれた人は是非そちらで。