フランク・オーシャン主催のナイトパーティ「PrEP+」をめぐる批判とその反論

フランク・オーシャンが立ち上げたクラブパーティ「PrEP+」。1980年代のNYCナイトクラブシーンへのオマージュを捧げたこのイベントはしかし、告知後すぐにLGBTQコミュニティから非難を浴びていた。そこでは何が問題視されたのか。オーシャンが応答したブログの全文を交えてその経緯をたどる。

フランク・オーシャンが主催する新しいナイトパーティ「PrEP+」の初回が10月17日に開催された。1980年代のNYCナイトクラブシーンへのオマージュを捧げたこのイベントは、「もし80年代にPrEPの薬が開発されていたら」という仮定のもと、「人々が集い踊るための現在進行形のセーフ・スペース」を創造する試みである。

「PrEP(暴露前予防内服)=Pre-exposure prophylaxis」は欧米を中心に広まっているHIV感染予防法、及びその薬のこと。抗ウイルス剤〈ツルバダ〉を一日一錠飲むだけで約9割の予防効果があるとされており、近年高い注目を集めている。しかし、米国内での認知度もまだ高いとはいえないようで、オーシャンが「PrEP+」と銘打ったのもそのためだろう。HIV/AIDSに対する人々のステレオタイプや古い認識を刷新するために、彼は80年代末から90年代にかけてエイズ危機の渦中で倒れていったゲイの人々が生き延びた世界を作りあげたのだ。

イベント当日はNY拠点に活躍するDJのSXYLK、シアトル出身のプロデューサー/DJのSangoらがDJをプレイし、それぞれがフランク・オーシャンのリミックス曲を披露、トリにはシークレットゲストのJUSTICEが演奏するなど盛り上がりをみせたようだ。ところが同イベントは批判を受けていた。告知が出た直後から、そしてイベントの終演後にも。どういうことだろうか?

告知文で「人種差別、ホモフォビア、性差別、障害者差別、どんな差別に対して不寛容。ダンスフロアはダンスするためにある」とインクルーシブ(包括的)な態度を示していたにもかかわらず、PrEP+でプレイしたDJにクィアは少なく(ほとんどがヘテロセクシャルの白人だった)、イベント自体が招待された人しか参加できないエクスクルーシブなものだったのだ。招待制なのにSNS投稿するのは宣伝的なパフォーマンスにすぎないのではないか、という声もあった。またより大きなものとして、クィアの歴史をなかったことにしているという批判が出た。

80年代のHIV感染者はたしかに死と隣り合わせの状態にあったが、「クィア理論やNYCの(ナイトクラブも含む)カルチャー」は彼らなくしてありえなかった。彼らはHIVに感染していながらにして、今にもつながる文化を築いていったのだ。ちょうどブルースが差別に耐えてきた黒人たちの手によって生まれたのと同じように。

こうした批判に対してフランク・オーシャンはPrEP+の翌日、自身のTumblrに次の投稿をした。

RE:LAST NIGHT

Gilead Sciencesから金はもらってない

Blondedがインディペンデントに企画した

そのことは先にはっきりさせておこう

NYCにおける70年代後半のクラブ文化と80年代のナイトライフは特別なもので、これまで幾度となく語られ、書かれてきました。刺された著名人から、Studio 54やDanceteriaといったミッドタウンのクラブ、MuddやParadise Garageといったダウンタウンのクラブまで。その存在、その音楽、そのルックス、その規制のなさ(笑)。当時のNYがレーザーとディスコの照明だけではなかったことは理解しています。そこに犯罪と貧困が蔓延っていたこと、クラブ文化つまりそこにあったゲイコミュニティの大半がHIVとAIDSによって失われてしまったことも知っています。2019年には、毎日飲めば90%以上の割合でHIV感染を防ぐことができる錠剤があります。 2012年、FDA〔米食品医薬品局〕によって承認された薬です。けれどもPrEPをめぐる価格戦略は悪質としか思えないほどで、実際この薬の認知度は低いままです。ある人たちの命を救えるかもしれない薬への大きな障害となっているのが、この〔高額な〕価格です。そして、もうひとつの大きな障害が認知です。その名前でなかったら、単に僕の好きなクラブの時代に着想を得た音楽と照明を使っただけのパーティになっていたであろう今回のイベントにPrEP+という名前をつけようと思い立ったのは、クイーンズ地区の古い眼鏡工場の地下にあるこのクラブをデザインしていたときのことです(金曜日僕たちの後にすばらしいテクノナイトを開催してくれたThe Basementに感謝)。僕は、多くの人の死と共に多くの約束が永遠に失われた時代に、もし何かが、何万人もの命を救うことができた何かが存在していたらどんな様子だっただろうかと想像を巡らせました。僕はアーティストです。なくても困らない現実を想像することがその役目の核心です。パーティ開催の数日前、チームの仲間とこのテーマについて話し合っていたときのことです。一緒に働いている建築家が、PrEPの薬は認知度だけなら「100%浸透」していると言いました。それは絶対に間違いだと思い、僕はある友達(誰かは言わないけど(笑))にPrEPが何か知っているかと訊いてみると、彼はこう答えました。「バイアグラとかそういう類のやつでしょ?」。数年付き合った元彼はLAのゲイクラブで初めて会ったとき、この薬のことを知りませんでした。認知度はいつでも私たちがそうあってほしいと望むほど高くはありません。ともかく、僕は今わめいています。みんながPrEPについて話しはじめたことが嬉しいです。昨日のパーティに来て僕たちと一緒に踊ってくれたすべての人に感謝します。あなたたちは全員美しく、そのエネルギーは正しかった! Bouffant Bouffant、Sango、Justice、Sherelleにも感謝、昨日のセットはマジで良かった。あ、それからもうひとつ、このパーティがPR行為だとかなんとかっていう投稿を見かけたけど、勘ぐり野郎はとにかく次のPrEP+に来て、酒でも飲んでてよ。そしたらあんたが踊るのに必要なだけバーカウンターの椅子をどけてあげるから。すべての人に愛を込めて。ステイ・セーフ。

そしてPrEP+開催からわずか7日後、24日の昼前にはPrEP+第二弾がその日の夜開催されると発表された。

今度は招待状なしで、21歳以上なら誰でも参加。出演者も鬼才プロデューサーArca、有色人種のクィアDJコレクティブ Papi Juice、Discwomanに所属するジャマイカ出身のShyboi、コロンビア出身のテクノDJのLeeon と全員クィアで構成されていた。このレスポンスの速さからは、フランク・オーシャンがPrEP+に込める思いの強さがひしひしと伝わってくる。

またこの日、オーシャンは以前からSNSで話題になっていたSZAのヒット曲「The Weekend」のカバーのフルバージョンを初披露し、話題を呼んだ。この数週間で、新曲やマーチャンダイズの発表・発売が続いているフランク・オーシャン。しばらくはますます目が離せなくなりそうだ。

追記
アメリカでは現在、 FacebookがPrEP(薬)の広告を掲載拒否したとして問題になっている。理由は「文言が政治的すぎる」というもので、具体的に何か政治的すぎるのかは説明されていないという。かつて同様の広告がTwitterに掲載拒否されたこともあるようだ(同社はその後、批判を受け掲載を認めた)。オーシャンが述べていた、PrEPの低い認知率にはこのような事情も関係しているのだろう。彼のようなスターが、PrEP+のような形で薬を啓蒙していくことには計り知れない意味がある。アクティビストのピーター・スタレーは次のように述べている。「彼の活動は、白人のゲイPrEPアクティビスト100人の活動よりずっと多くの、若いゲイの黒人にリーチするだろう」


親が選んだ服を着続けること

自分が着ている服が急に恥ずかしくなる日、それは突然やってくる。自我のめばえ、親の趣味からの決別、自分のスタイルの模索。けれどもしかし、私たちはちゃんと親の服から卒業できているのだろうか?

中学に入ってすぐの頃だったと思う。あるとき自分の着ている服が突然ダサくなった。うわーなんだこれ! 青天の霹靂! その服への違和感は、どうみても思春期の仕業だった。いま振り返ると。それでも当時の自分がそんなに落ち着き払っていられるはずもなく、ただただひたすらありえなかった。母がしまむら未満の名もなきファッションセンターで仕入れてきたであろうそれを平然と受け入れ、堂々と着ていたことに対する恥ずかしさ。こんな服を着せやがって、という母へのおこ感情。その気づきは、赤面と怒りを伴うものだった。

それからは自分で服を選ぶようになった。ねだったり、貯めたお小遣いで買ったり。トンチンカンな服もいっぱい買った。黒歴史として葬りたい服装は数知れない。それでも失敗も含めて、とにかく満足していた。自分で選んだものを着る、その充実感たるや。

親の趣味が良かったり、自分の好みとぴったりマッチしていたりすれば、自意識がめばえた後であっても、そのまま親の選んだ服を着続けるということはあるかもしれない。けど、ウチの場合はそうじゃなかった。親からすれば、我が子を裸で学校に行かせるわけにもいかず、服を着せてくれていたことには感謝しかない。でも、自意識のめばえという覚醒後、世界は別のルールで回っていた。自分が選ぶことにこそ意味があった。

覚醒を境にしたビフォー/アフター。一度気になったら、もうそれ以前の感覚には戻れない。数年前にも同じような体験をした。選挙のときに、SNSで「投票しないのは現政権に賛同しているのと同じ」という趣旨の投稿を見かけて、ストンと腑に落ちた。目が醒めた。ああ、あのときと同じ、この感じ。

親が子どもの服を選ぶとき、決め手となるのは値段、そして親の趣味だろう。同じ値段なら(ちょっと高いくらいなら)、好きなものを買おう。なにしろそれを着る子どもは、自分の服装に無頓着なのだから。自分が親でもそうすると思う。それでも、エックスデーは必ず訪れる。遅かれ早かれ、子どもは自我をもち、自分で服を選ぶようになる。自分の好みを模索し、トライアンドエラーを繰り返す。親の選んだ服に対する違和感を自覚し、自分のスタイルを獲得していく。

選挙の場合はどうか? 服と違って、毎日自分で選べるものではない。服と違って、目に見えない。他人に見られることもない。着なくてもいい。だから積極的に投票する必要はないのかもしれない。服と違って、選ばなくても、裸で過ごさなくちゃいけなくなるわけでもないし。でも本当に? 「投票しないのは現政権に賛同しているのと同じ」なのだとしたら。

選挙に行かないのは、親が選んだ服を着ているようなものではないだろうか。選挙権があるにもかかわらずそれを放棄するのは、親から勝手に買い与えられた服を着続けるようなものじゃないだろうか。親の選んだ服は自分の趣味と合っているだろうか? その服の着心地は?

幸か不幸か、服と違って、選挙では選択肢が絞られている。お財布事情を気にする必要もない。自分が着る服を選ぶことと比べれば、もっとずっとシンプルだ。シャネル、PALACE、ユニクロ、ギャルソン、アディダス、ヴェトモン、ZARA。これくらいの数の候補から、自分が推したいと思える候補者や政党を選ぶだけでいいのだから。

これを書いている私は25歳まで、選挙に行ったことがなかった。政治とかカンケーネーシとしらばくれていた。今思うとすごく恥ずかしい。ずいぶん長いあいだ、親が選んだ服を着たままだった。

あなたは今どんな服を着ていますか? その服は着ていて心地良いですか?

社会とファッションの距離:writtenafterwards 山縣良和インタビュー

自身のブランドであるwrittenafterwards、そして主催を務めるファッション教室「ここのがっこう」での活動を通して、日本発のファッションを考え、提案し続けてきたデザイナー・山縣良和。彼の目にいまの社会はどのように映っているのだろうか? i-Dはロングインタビューを敢行した。

芸術的でメッセージ性の強いスペクタクルな作品を発表し、私たちを魅了し続けてきたwrittenafterwardsのデザイナー・山縣良和。2007年のブランド設立以来、洋服のデザインをするかたわらで、展覧会のアートディレクションやファッション学校の運営などを行い、ファッション界で独自のポジションを築き上げてきた。山縣の目に、いまの社会はどのように映っているのだろうか? ローカルなものが持っている価値、社会とファッションの関係、"個人でいられること"の大切さを語ってくれた。

——writtenafterwards(以下、written)では初期から一貫して物語性のあるコレクションを作られています。このアトリエに入ったときも本の多さが目を引きました。山縣さんにとって物語は服を作っていく上で欠かせないものなのでしょうか?

架空の世界や特定の時代背景をイメージして作っていく傾向はありますね。登場人物を設定して、その人生の物語性からイメージを膨らませていくこともあります。デザインで補足できる面もあるので、必ずしも毎回完璧なストーリーがあるわけではないですが。

——少し前までのコレクションでは、その物語性も民話や神話的というか、フィクショナルな要素の強いものだったと思うのですが、ここ数シーズンは、地元である鳥取に目を向けて、同郷の先輩にあたる水木しげるさんの「妖怪」をテーマにしたり、世界大戦を生き抜いた女性たちに着想を得たりと、より歴史や現実に近いところからアイデアを立ち上げていますよね。それは関心がシフトしているということなのでしょうか?

地続きでもありますが、より歴史のリアリティに向き合おうとしているというのはあるかもしれません。リアルすぎるのは得意じゃないんですけど、現実からちょっと離れてメタ的に表現するくらいの距離感がちょうどいいというか。映画作りとかにも近い感覚かなあ。

——映画と現実の距離感が、山縣さんの創作と現実のあいだにもあるということですよね。そうしたときに、現実とは別のレイヤーにいる妖怪や近現代に暮らした女性たちは、"目の前の現実"から少し距離があります。それくらいの距離感がちょうどいい?

言われてみると、たしかに近すぎると想像を膨らませづらいかもしれません。何十年ほど、例えば、戦中、戦後くらいまで離れていたらいけるんですけど、近ければ近いほどやりにくいかもしれない。できなくはないですけど、どうしようかって一回立ち止まりますね。

——2017年春夏コレクション「Flowers」では、戦前〜戦後に生きた女性像が描かれています。個人的な見立てなのですが、表現規制のされ方などをみていると、いま私たちは"戦前"を生きているじゃないかという気がしてきます……。

まさしくそうですよね。ぼくが戦前、戦中、戦後を描きたいと思ったのもまさにそれが理由です。いま社会がおかしな方向に向かっていっていると感じて、そのあたりの時代のことを調べはじめました。

——続く2017-18年秋冬コレクション「FlowersⅡ」も前シーズンの続篇として、過酷な時代を生き抜いた女性像をテーマにされています。戦前〜戦後の女性たちに惹かれるのはなぜでしょう?

これも虚構かもしれないけど、小津安二郎の映画とか、世界大戦前後の激動の時代を生きた女性を描いている物語がありますよね。そこで描かれている女性たちは、信念を曲げずに生きていて、綺麗で魅力的だなと感じます。

——ファッション界だとDiorのマリア・グラツィア・キウリが顕著ですが、いま世界的にフェミニズムが盛んです。それについてはどうお考えですか?

ぼくは女性じゃないので難しいですけど、世界的にみて日本における女性の権利はまだまだ遅れているんじゃないでしょうか。いまの社会も政治も男性社会で動いてしまっているのはバランスが良くないなと思いますね。

TSUGUMI WEARS MANT, VEST AND DRESS WRITTENAFTERWARDS. BOOTS DR. MARTINES.

——山縣さんは地元である鳥取(「gege」コレクション)や、学生時代の記憶(graduate fashion show -0points-)という、ごく個人的な事柄から着想を得て、クリエイションへ昇華されています。ファッションは、そういったパーソナルなものを世界に接続することができるメディアだと思うのですが、個人とファッションの関係性についてどう考えていますか?

ファッションの歴史を見ていくと、服と社会はものすごく密接につながっています。19世紀くらいまでは、地位によって着られない色や形、素材の服が当たり前に存在していました。そういった地位によって明確に分かれていたものに対して、こんどは誰でも同じものを着ようという発想から「ユニフォーム」が登場します。もともとユニフォームの概念は共産主義思想とも関係していて、地位や階級を取っ払う、自由を得るための服でした。でも共産主義を利用した独裁者が現れはじめ、おかしな方向にツイストしていき、最終的にはファシズムに利用されていった。生産性を高めるための人民統制、プロパガンダのツールとして、画一化させるための服としてユニフォームが使われていくようになったんです。ナチスはファッションの力を利用して人々の意思を固めていきました。ヒトラーもその力を知っていて、例えばパリを制圧したかったのも文化の中心地であったと同時に、ファッションの中心地でもあったパリコレの機能をベルリンに移転したかったというのがあるみたいです。ナチスドイツの制服デザインをヒューゴ・ボスに依頼したりもしています。そして戦後、自由化されていくなかでやっとまた好きな服が着られるようになっていったという流れです。そこでいま、まがりなりにも好きな服を着られる状態を保てているのってファッションの世界にとっても大事なことだと思っていて。好きな服を自由に着られること、インディビジュアルでいることが許容されている環境ってファッションが政治利用されないためにもすごく重要なんじゃないかと思っています。

——哲学者の鷲田清一さんは著書『ちぐはぐな身体』のなかで、ファッション感覚とは「人生の<はずれ>を<はずし>へと裏返す感覚だ」と書いています。個人的な弱みを強みに反転させてしまうような力がファッションにはあると思いますか?

あると思いますし、あると信じたいですね。それがファッションの面白さなんじゃないかなと思います。それはこれまでのファッションデザイナーたちが戦ってきたところでもあって、彼らはさまざまな美のあり方を提示してきたんだと思います。たとえば、ヴィヴィアン・ウエストウッドは間違いなくそれをやった人ですよね。

——ファッションはまた、ローカルなものもグローバルに接続する力をもっているんじゃないかと、「gege」コレクションやwritten byの服をみていて感じます。

アルベール・カーンという実業家が約100年前に、世界のあらゆる地域にカメラマンを派遣してたくさんの写真を撮っています。カラー写真が登場しはじめた時代、民族衣装もまだリアルクローズとして着られていた頃で、とても貴重なものです。でも、このあとそういう民族衣装って一気に消えていってしまう。パリを中心とした洋服の流れが世界中に広まっていくんですね。ぼくもフランスに住んでいたときに、その文化の強さをまざまざと感じました。ファッションをやっていると、どうしても西欧の概念に引っ張られます。それは良い意味でも悪い意味でも。だから結局、ぼくら日本人は無意識のうちに文化的に支配されていると感じざるを得ないところがある。でもいまは、それを理解した上で、"だけどこっちにはこんな面白い現象が起こっているよ"っていろんなところから発信するようになって、表現が進んできていると思いますけどね。土地にしても、実際に行って楽しいのはやっぱり歴史と地続きのなにかだったりもするわけですよね。そういう面でローカル性は世界的に価値を持つものだし、残したほうがいいと思います。着物とかそういうわかりやすいものだけじゃなくて、その後ろに隠れているローカル性をうまく捉えた現代的な表現によって。それは世の中を精神的に豊かにするんじゃないかなと思いますね。

——writtenはまさにそうした、精神性だったり、一見目につきにくいような日本らしさを服に織り込んでいるように思います。

そうですね。やっぱり世界と勝負したいという気持ちがあって、そうなると自分が見てきたものに正直にならないといけない。たとえば、John Gallianoでちょっと働いていたんですけど、ボディがボンキュッボンで10数cmのヒールを履いたルックとかが出てくるんですよ。それはロンドンのアンダーグラウンドカルチャーを見てきたガリアーノからすると見慣れたものの延長線上であり、普通のものかもしれない。だけど、鳥取にはそんなひといなかったですよ(笑)! 妄想はできますけど、自分に馴染みがないから掘り下げても嘘くさくなる。

ALL CLOTHING WRITTENAFTERWARDS.

——主催されているファッション教室「ここのがっこう」でも、生徒さんたちに、自分の過去と向き合うことを教えられていますよね。具体的にはどうやっているのでしょうか?

自分のルーツってなんだろう? というのを考えるきっかけにしています。たとえば、それまでの20年間に見てきたものを全部洗い出してもらう。そうすると、当たり前すぎて気づかなかったことに気がつくんです。本人にとっての当たり前も、他の人にとってはそうでなかったりする。自分そのものから剥がしてあげて一旦客観的に見てみると、"実は!"っていう発見がある。自分を俯瞰するっていうのは本当に大事なんでしょうね。

——「ここのがっこう」では講評会のゲストとして、哲学者の内田樹さんや独立研究者の森田真生さんらを招かれていますよね。それはファッションの外にある"別の視点"を生徒にみせるという狙いがあるのでしょうか?

そうですね。それとファッションを学ぶって、社会を学ぶことだと捉えていて。異なる分野の人と交流することによって、ファッションが他の表現に貢献できる気がするんですよね。日本のファッション業界っていまちょっと内々すぎるので……。

——社会の動きとファッションは関係がある?

とてもあります。最近だとデムナ・ヴァザリアがやっていることは現代的だなと思います。VetementsでもBALENCIAGAでも、彼がつくる服ってふつうの人が見ても、なんでもない。今シーズンは特にそう。ファッションを一般の中に潜り込ませているというか……。一見普通だけどわかる人にはわかる、言いかえれば、ファッションデザインの文脈的な見解において、普通のものしかファッションではなくなったというある種のパラドックスが内包されていて、コピーとオリジナルもぐちゃぐちゃ。それは、いまの時代に反知性主義がエスタブリッシュメントに対してどう振る舞っているかっていうこととも連動してきていると思います。ファッションを0ポイントに戻したとも言えるかもしれません。だからすごく現代的と思うと同時に、ファッションもここまできたかという感じもして面白いですね。

——先ほど、パリを中心としたファッション界という話がありましたが、そうした中心に対する山縣さんの距離のとり方が興味深い。つまり、パリは意識しつつも、自分たちで日本発の流れを起こそうとしているんじゃないかなと。

いまはグローバル化やSNSの影響もあって、パリの影響力もさまざまな面で縮小してきていると感じます。かといって、別の都市がそれにとって代わるかというと、それらしい場所はどこにも見当たらない。そうした状況では、都市一辺倒にはならずに土地ごとの地域性をリスペクトしつつ、ちゃんとコミュニケーションしたい人たちと国を超えてつながっていくことが重要だと思っていて。writtenでも「ここのがっこう」でも、世界的にどうネットワークを生成していくかというのはいつも考えています。ですから、日本は日本でこういうところは面白いよねって思ってもらえるようなものをやらないとな、とは思いますね。

——writtenのほかにも、アートディレクションや学校の運営もされています。それはお金のことも含め、既存のファッション業界のシステムに依拠するのではなく、自由に創作できる環境を自前でつくっているということですよね。最近は、デザイナーが疲弊してしまうようなファッション業界の過剰なスピードが問題になっていますが、自分の創作のリズムや環境は保ちたいという思いがあるのでしょうか?

そうしたいですよね。さまざまなシステムの中でうまくやりつつ自分を保とうとしているので難しいですけど……。でも無視するつもりはまったくないです。いまは早すぎる。理想としては映画をつくるような感覚でやっていきたいですね。映画って2、3年に1本とかのペースじゃないですか。だから、たとえば何年かに1回ファッションショーか何かをして、そのあいだは予告篇みたいなものでもいいのかもしれない。そういうのが理想だなあとは思いますね。

——いまは社会全体も加速していて、情報やイメージに溢れかえっています。そのスピードについてはどう考えていますか?

自分もできているとは思っていないですけど、一瞬で消費されないビジュアルや服をつくるのは大事なんじゃないですかね。たとえば、インスタでも人がひとつのイメージを見るのって多くてほんの数秒です。だからツールとして上手く使うことは必要だと思うんですけど、それだけで考えるのは危険ですよね。一瞬の強さもいいですけど、それだけじゃない、多面的な物語を入れ込んで、価値のあるビジュアルをつくれるかが課題だと思っています。一生懸命、時間をかけてつくったのに「いいね」されて終わりって、切ないでしょう(笑)。

——最後に、服をつくるのは楽しいですか?

もちろんすごく楽しいですよ。服づくりには、新しい人間像をつくっていく感覚があります。それは根本的には人間と向き合うことだと思うので、やり甲斐は相当ありますよね。ファッションショーってモデルが歩いてくるだけなのにワクワクするじゃないですか。それは、その場所で本当に新しい人間像とか、忘れていたなにかに出会えるかもしれないと期待できるからだと思います。だから、やっぱり面白いですよ。日々の忙しさに追われて楽しめてないところもありますけどね(笑)。

ALL CLOTHING WRITTENAFTERWARDS.

Credit


Photography Takao Iwasawa
Styling Yoshikazu Yamagata
Hair HORI at BE NATURAL.
Make-up CHACHA at beauty direction.
Hair assistance Akimi Kono.Model Tsugumi at donna.