1979年の発売以来、世代を超えて愛される「うまい棒」。1本10円の手ごろさ、豊富なフレーバー展開で、40年にわたり存在感を示している。
原料費が高騰しても1本10円を貫き、品質を維持しながらチャレンジし続ける。その根底にあるのは、駄菓子ならではのゆるさ、面白さだ。
そんな国民的駄菓子が誕生した経緯や、面白い味を追求した秘話、これからの展望について、販売元であるやおきん営業企画部・商品課の田中浩次さんに伺った。
「個包装」「1本10円」こだわりを貫くための試行錯誤
── うまい棒は1979年に誕生し、今年で40周年。当時、こうした棒状のスナック菓子は珍しかったそうですね。
田中浩次さん(以下、田中):当時はコーンパフのお菓子を製造する「エクストルーダー」という機械が出回り始めた時期で、各駄菓子メーカーもさまざまなスナック菓子をこぞって開発していました。そんな中で、当社としても独自性を出すべく考え抜いた結果、行き着いたのが“長い棒状のスナック”です。
実はこれ、当時としては難しい技術でした。コーンパフは原料のコーンに熱と圧力を加え、型にはめて押し出しながら作るのですが、長くするには成形機から出てくるときにパフを引っ張らないといけない。また、一定の長さで均一にカットするのも苦労した点ですね。製造元のリスカ株式会社さんと一緒に試行錯誤しながら、製品化を進めていきました。
── 長い棒の形状だけでなく、一つひとつのスナックをパッケージングした“個包装”も、当時としては画期的だったとか。
田中:そのころは駄菓子屋さんが全盛で、ほとんどのお菓子が包装されずに売られていました。串イカなどはむき出しのまま大きなポットに入れて売られ、あられなどもそのままガラスのケースに入れられていた。また、他社さんのスナック菓子も大きな袋に60~100本が詰められていて、一つひとつ個包装というのは当時の常識からするとあり得なかったと思います。
ただ、パフスナックの場合、まとめての包装だと開封後にどんどんしけってしまい、おいしさが長持ちしません。1本1本おいしく食べてほしいということと、子どもが駄菓子屋で買ってその場で食べるだけではなく、河川敷や学校の校庭など、遊びに行った先々でいつでも食べられるようにと個包装にこだわりました。
── 成形技術が難しく、そのうえ個包装。それを1本10円で売るのは相当大変だったのではないですか?
田中:そうですね。当時は串イカも1本30円でしたし、10円の商品というのは今よりも少なかったと思います。その中で、おいしさにこだわりつつ個包装を実現するためには、あらゆる点でコストダウンが必要でした。
まずは製造時の効率化、さらには包材や運搬資材のロスを減らすこと。うまい棒を包むフィルムにしても元の大きい原紙からなるべくロスが出ないよう無駄なく使う。トラックで運搬する際にも段ボールの容量ぴったりまで詰め、なおかつ車両の積載量いっぱいまで載せるとか。我々や工場だけでなく資材屋さん、配送業者さんも含め、チームとしてコストダウンを図るべく知恵を絞りました。
── 1本10円はそうした努力のたまもの。とはいえ、今は当時より原料費も上がっていますし、維持するのは大変なのでは?
田中:正直、これまでにないくらい厳しい状況です。ただ、今後も1本10円にはこだわっていきたい。「10円=1うまい棒」みたいに、貨幣価値に例えられることもありますし、なんとか頑張っていきたいですね。