トブの大森林南部、そこにある深い洞窟の奥にそれはいた。数百年の時を生き、白銀の毛皮と蛇の尻尾を持つ四足獣、森の中では南の大魔獣と恐れられるこの地の支配者だ。
その地を訪れた物はすべて食い殺されると魔物たちからも恐れられており、この地に住まうものは野生動物を除いてはほとんどいない。
しかし、そんな魔獣の住処へ歩み寄るものたちがいた。
「むむっ?侵入者でござるか?」
足音に気づいた南の大魔獣が目を覚ます。そして暗闇の中に4つの目を見つけた。
「そこで止まるでござる。侵入者は殺してしまうでござるよ」
毛を逆立て臨戦態勢に入る南の大魔獣。しかし、しわがれた声がそれに待ったをかける。
「待て!待つのじゃ南の大魔獣!」
手を広げて停戦を呼び掛けた者も人間ではない。巨大な体躯をもつ蛇だ。蛇と言っても腰から上は人間の体であり、老人の頭を持っている。トブの大森林において西の魔蛇といわれるナーガ、西部一体の支配者だ。
「何を待つでござるか?さっさと命の奪い合いをするでござるよ」
「ふん!だから俺は言ったんだ。こんなやつと手を組むのはごめんだってな!」
南の大魔獣の宣戦布告に答えたのは緑色の体に巨大な大剣を持った化物だ。トロールと呼ばれる種族であり東の地を統べる東の巨人と呼ばれている。
「待てグよ、まずは話を聞くのじゃ」
「うるさい!弱き名前を持つものの話などこれ以上聞いてられるか!」
東の巨人、その名はグと言う。長き名前を弱いものと見なすトロールの特性により西の魔蛇、リュラリュース・スペニア・アイ・インダルンを馬鹿にしているのだ。
「とにかく聞け。わしの名はリュラリュース、こいつはグだ。西の魔蛇、東の巨人と言えばわかるかの?」
「西の?東の?何でござるかそれは」
二人の俗称を聞いてもハムスケはきょとんとしている。本当に知らないらしく、森で縄張り争いをしていたつもりの二人はあっけにとられお互いの顔を見つめる。
「この森の西側と東側を縄張りとしている者じゃ」
「そうだったんでござるか。某はこの辺りから外には出ないから興味ないでござるよ」
興味がないと言われ下に見られたのかとグは頭に血を登らせ顔を真っ赤にするがリュラリュースは気にせず話を進める。
「わしらを本当に知らんということはそういう事なんじゃろうな……。とにかくお主も名を名乗るが良い」
「某でござるか?某に名前なんてないでござるよ」
「なんじゃと!?」
リュラリュースは南の大魔獣に名前がないと言うことに驚くが、それより驚いているのはトロールのグだった。
「名前が……ないだと!?お、俺の名前よりも短い?ふざけるな!お前がそんなに強いものか!」
グは自分こそ最強と思い、1文字である今の名を誇りに思っている。しかし名前自体がない、つまり0文字の相手がいるとは思いもしなかった。
「名前がないのであれば南の大魔獣とでも呼ぼうか」
「ふん!こんなやつは獣で十分だ!」
「何とでも呼べばいいでござる。そう言えば昔人間が森の賢者とか呼んでいたでござるなぁ……」
南の大魔獣は懐かしそうに目を細めている。しかし、その余裕の透けて見える態度がますますグを苛立たせる。
「おい!獣!お前は何も知らないのか!この地の東がどうなっているのか本当に知らんのか!」
「東側でござるか?全く興味ないでござるなぁ……」
南の大魔獣が大切なのは自分の縄張りのみであり、そのほかの地がどうなろうと知ったことではない。つがいが見つかればいいなぁと思っている程度だ。
そのあくまでマイペースの南の大魔獣にグの顔はさらに真っ赤になる。
「グよ、お主はちょっと黙っておれ。ここで争っても良いことはないぞ?南の大魔獣、お主この森の異変に気づいておらんのか」
「異変でござるか?」
「ああ、最近森の虫たちの様子がおかしい。突然騒ぎ出したと思ったら最近ではまったく鳴き声さえ聞こえなくなっておる」
言われて見るとこの辺りも夜の今の時間あたりではうるさいほど虫が鳴いていたはずであるのに物音一つしない。確かに異常事態だ。
「なるほど、気づかなかったでござるなぁ」
「それでわしらで調べたところ、ここより東の地の森が次第に消失していっておったのじゃ」
「森が……消失でござるか?」
もしそうであれば由々しき事態だ。南の大魔獣とてこの森の恵みにより生きている者。自分の住まう森まで消し去るなどされた日にはたまらない。
「森が無くなったら困るでござるなぁ……」
「そうじゃろう?じゃからわしらが力を合わせてその者を倒すのじゃ」
「誰かが森を焼いているのでござるか?」
森が消えるとすれば火を放たれたのだろうと予想する。たまに自然に発火することもあるが、その時は森がごっそりと焼け野原になるのだ。しかし、リュラリュースはそれを否定する。
「火など放っておらんと……思う。いつの間にか……まっさらな土だけの土地になっているのじゃ……」
「くそ!くそくそくそ!俺の!俺の森を!許さん!絶対絶対絶対許さん!」
一番の被害を被った東の地を支配するグが怒りのあまり大剣を振り回しながら地団駄を踏んでいる。
「もしこのまま放置しておれば我々で残った土地を巡って殺し合いじゃ。まぁ我らはそもそも仲間でもなんでもない。その時がくれば殺し合いをするのもいいじゃろう。じゃが今はこの森を消し去る不埒ものを殺すのが先決じゃ」
「ぐふふふふ、そいつを殺したら次はお前らの番だ」
「ふむぅ……別に殺し合いは構わないでござるが森が消えるのは困るでござるなぁ。いいでござるよ、まずそいつを殺すでござる」
それぞれが森の支配者であるということもあり、決して慣れ合うことなく森を消し去る存在を殺すと言うことだけを了承する。
「よし、話は決まったな。ではわしの知っている情報を教えよう。まず、そやつはいつも夜に活動しているようじゃ、昼間に行っても姿は見えん。一度だけ遠くから見たが、非常に小さい体の者が何かをしておった」
「小さい?ゴブリンでござるか?」
「分からんがそのくらいの大きさじゃ。しかし、偵察に放ったわしの部下たちは……」
「殺されたでござるか?」
「ああ……いや、殺されてはおらんが……いや、殺されたと言っておったが生きて戻ってきたと言うか……」
「何を言っているでござるか?」
南の魔獣はリュラリュースが何を言っているのか分からないが、本人もどう説明していいか分からないようだった。
「とにかく生きて戻ってきたのじゃが何度も殺されたと言っておった。そして恐ろしく衰弱しておったのぅ……」
「俺の部下も同じだ!弱くなって逃げ帰ってきたから食ってやったわ!」
リュラリュースもグも部下たちを向かわせて帰ってきた者達は衰弱していたということである。南の大魔獣はとにかくその小さい者に会うと恐ろしい目に合うということは分かった。しかし、自分よりも強いとは思わない。それだけの自信はある。
「ふふんっ、相手にとって不足はないでござるよ!」
「がははっ!獣にしては勇気のあることだが俺はお前たちよりも強い!やってやる!やってやるぞ!」
「やる気があるようで何よりじゃ。それでは東の地のあの小さき者を殺すぞ!」
こうしてトブの大森林を三分する強大な力を持つ支配者たち、森の三大魔獣が集った。そして人知れず東の地、トブの大森林においてバハルス帝国が接するその地を目指して出発するのだった。