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 「人間を助けることが何より大事と考えた」「命さえあれば次のチャンスが生まれる」

 それは緒方貞子さんに言わせれば「本能的な常識」である。国際政治の難解な世界に、明快で普遍的な哲学を打ち立てた。その緒方さんが逝った。

 国際協力の分野で最前線に立ち続け、確固たる実績を築いた稀有(けう)な日本人だった。終始ぶれることなく追求したのは、「人間の安全保障」である。

 国家の枠組みにとらわれず、あらゆる脅威から人間の安全と尊厳を守る。その概念の実践を強めたのは、難民を支援する国連機関のトップに就いた1990年代初めからだった。

 湾岸戦争イラクの国内で、大勢のクルド人が行き場を失った。国連機関には難民の定義が活動の壁となったが、「国境を越えた難民は助けるのに、国内避難民だから助けないのはおかしい」と援助を決めた。

 既存のルールの理屈ではなく、今その現場に生きる人間の目線で考える。その自由ながら現実に立脚した発想は、国境の垣根が低まるグローバル化の時代を先取りしていた。

 日本の国際協力機構の理事長としても、視野の広さが際立った。途上国の教育に投資するだけでは不十分。教育後の就職ができる経済づくりも視野に入れねば自立にならない。そんな結果重視の支援を模索した。

 人間の安全保障は日本やカナダなどが提唱し、2000年の国連総会が定めた「ミレニアム開発目標」につながり、今はSDGsの略称で知られる「持続可能な開発目標」に発展した。「地球上の誰一人も取り残さない」との目標を掲げる。

 一方で、そうした理念の進展に逆行する動きが拡散したのも国際政治の現実である。

 欧米で難民や移民を排斥する声が強まり、それを追い風にする指導者が伸長した。環境破壊や感染症、テロなど国境を超えた問題が山積するのに、自国第一主義が幅を利かせている。

 だが、そんな風潮だからこそ日本は人間の安全保障の意義を再認識すべきではないか。かつて小渕恵三政権は外交政策の柱に据えて国連に基金を創設し、いまも存続している。

 日本の国際貢献のあり方として、緒方さんが貫いた人間第一の目線と支援は貴重であり、これからの時代も活用すべき指針であるのは間違いない。

 「誰も取り残さない」責任は政府だけでなく、NGOや企業など社会全体にあり、市民一人一人の行動も問われている。

 「東日本大震災を経験し、国際社会の連帯の大切さが身にしみた日本だからできる」。緒方さんは晩年そう語っていた。

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