所謂私信というやつです。現職(メルカリ)について、フルタイムでのコミットではなく、週一程度の顧問に切り替えます。週五から週一なので五等分。
差し当たって今日に至るまでの1年と2ヶ月の振り返り、今日この日の想いを記しておこう、というものです。つまりチラシの裏だな。

やってきた事
全てiOSアプリに対するコミットです。2年間で20万行程度コードを捧げましたが、偶にズルも入ってるしコード量なんてのはアテにならないので参考程度に。

最初の4ヶ月はUSアプリの機能追加でした。
1ヶ月余った時間を出品画面のリファクタリングに充てて、なおかつそれがとても高い評価を得られたこと、リファクタリングに対する評価とその文化が、私の会社に対する信頼感を大いに育てたことを今でも覚えています。

次の3ヶ月はJPアプリの2つの炎上プロジェクトの単騎での鎮火でした。どう考えても戦力不足なアサインと、炎上の果てに生まれてしまった忌子に悪態をついていた結果、VPoEと1on1を設定されるに至ります。なお救援隊の懸命な支援もあり、無事に3ヶ月で火は消し止められました。

そこから先がJPアプリのリファクタリング、引いてはJPアプリの謂わば統括エンジニアとしての仕事でした。組織の掲げる理想、既存のコードという現実、従事するエンジニアの傾向から、コンポーネント思考をiOSに導入すること、MicroViewControllerと銘打ち解として導入していきました。また既存のコードを負債ではなく、資産として活用するためのノウハウを確立したのもこの時です。この辺りから私の人事評価が壊れていました。入社してから一年と少し、RSUを含めた年俸の額面は凡そ2倍になっていました。

その他はインシデント対応やCSサポート、OSアップデート、他のメンバーのメンタリング、技術相談窓口まで、様々な仕事を並列してやっていました。
ここ数ヶ月はSwiftUIへ向けて先一年で出来ることをマイルストーンに詰めたり、その中にあるコアフレームワークの開発をしたり、iOS13の対応をボチボチやっていた感じです。

評価について
先に書いたように、過分なまでの評価を頂戴していました。評価についてはOKRというものがあったと思うのですが、私のOKRの設定は満足のいくものではなく、また達成率も現在の給与に至るまで0%という有様でした。給与交渉らしい事も一度だけ、「フェアに私の市場価格を参考にして下さい、もう一度採るためにいくら必要かでいいと思います。もちろん、下げるときも。」と述べたぐらいです。会社からの評価については然程興味もなく、化け物みたいな責任感に従うままに目の前の問題を「多くの人が納得する方向」に解決していった。その結果いつの間にか「よくわからないナニカ」を基準にとても高い評価を頂戴していました。この事には自覚的で、事あるごとに「会社の評価制度はバグっているからなんとかしろ」と言及していました。

ところで最近この「よくわからないナニカ」はエンジニアリングラダーとして明文化されました。誰もが目標を理解できるなら、それは素晴らしい事だと思います。

ラダーを見て確信に至った事の一つは、私の評価が異様に高かったのは、言語能力の評価所以であった、技術はその次、というところです。悲しいかな、人とのコミュニケーションが嫌いでエンジニアになったというのに。

言語能力
世に言うウェイ系コミュ力は指しませんので悪しからず。

言語能力とは即ち、人の意思を理解し、人に意思を伝える能力を指します。

大切なのは相手の知識に合わせて言葉を紡ぐ事であり、自身にとっての障壁を正確に理解し、相手と共有する事です。もし貴方が専門用語を並べて捲し立てた結果、相手に意思が伝わっていないのなら、それでは目的を果たせない、勿体ない事です。貴方が知識を有しているのであれば、相応の責務を負うべきです。そして逆の立場であるときに、自らの無知に寛容であってもいけません。

自戒を込めて。

休職
5月の半ばから6月末までの1ヶ月半、適応障害を患い休職をしていました。雪だるま式に責任と権限が膨れ上がっていった事、人的時間的量的のいずれにも詰みつつある事、ラダーが明文化されていなかった事、それらが重なる最中、人間の最も人間らしい行動を前に決壊してしまった。車輪が壊れた状態で炉に命を焚べるのは、身に余る蛮行だったのでしょう。

「働かないでござる」というOKRを設定していました。私に集まりすぎた責任と権限を解体する、という名目でしたが、皮肉な事に初めて、そして最後に達成したOKRになってしまった。

幸い体調に影響が出て即日休職した事と、チーム編成を変更して貰った事もあり、1ヶ月半で復職は叶いました。しかし現在も尚フルタイムで働ける状況ではありません。今回の決定に至る最大のネガティブな原因と言えます。

結局、僕は笑い男にはなれなかった。

アーキテクトチーム
復職後、最後に所属したチームです。メンバーの誰もが技術的に卓越していてなおかつ言語能力の高さを両立しているチームでした。
私自身は会社に来る日数は少ないながら、プロジェクトで関わるチーム外(エンジニア以外)の人々も素晴らしく、良好な関係と良いアウトプットを築けていたと観測しています。
間違いなく、この会社で過ごした時間の中で最も素晴らしい体験であったと思います。悔やまれるのは私に大量の永続デバフが付与されていたことでしょうか。
それでも、一緒に仕事が出来て良かったです。ありがとう。顧問になってもよろしくね。

開発組織の方向性
私の状況はこんな有様ですが、JPの開発組織はまともな方向に向かっていると思います。ラダーが明文化されたこともその一つですが、良くなっているなと感じる場面は増えてきました。

まだ辛いと感じる場面も多くありますが、一つずつ乗り越えていけるんじゃないでしょうか。

インシデントの再発防止策としては不十分なように思えるのでその点は心配ですが、かつて私が信頼に足ると確信したあの日のあり方を、またいつの日か彼らがそうあれることを、切に願っています。

次回予告
友人の会社にコミットします。
ポジティブな理由はこっち。
この事自体は4月時点でマネージャーに頭出しはしていて、休職が無ければもっと早く動いている予定でした。
3月以降の私の対外的発表は、全てそこに居ずしてプロダクトを護る術、それに関わるアイディアでした。すべてを叶えることは当然出来ませんでしたが。

何はともあれお待たせしました。まだまだ最初期なので個人的に一緒に働きたい人にこっそり声をかけたりします。顧問業は今の所これ以上増やせませんが、やってくぞと声をかけてくれても嬉しいな。

なおコミットする領域はiOSではなくWebのbackendからfrontend、frontend強めになります。さよならswift、こんにちはtypescript。やってくぞ!