大学1年の5月に原理研究会に入会
統一協会の偽装団体体験記(1998.4/15 「バンビ」さん) 今からちょうど6年前の5月、僕は原理研究会(統一協会の大学支部)に入りました。いえ、正確には気がつくとそこは原研だった。というのが実際のところでした。当時僕は18歳、大学に入学したばかりであると同時に地方から上京して1ヶ月という、まだ少年の頃でした。 客観的には”マインド・コントロール”という言葉でよく済まされがちですが、実際に主体になってみると、やめられないのです。それがまわりの力によってではなく、自分の意志で。原理だと分かってからだとやめられないのです。なぜなら、その教えが理論的であり、筋が通っていて納得でき、知的に理解できるから。 それから1年間、僕は原理研究会に所属しました。修練会にも何回か参加しました。韓国にも行きました。万物復帰(訪問販売)もしました。その夏、ソウルで合同結婚式があり、統一協会が大きくメディアにとりあげられました。 僕の場合は頭と心が一致しなかったから原理を続けていくうえで葛藤が激しかったです。御言(教え)は頭に入ってたけど、結局友達や体裁などの、自分の回りの環境や生活などの諸々を献祭できずに1993年脱会。それからは精神的に原理がのしかかり、動くのも辛く、1日中ベッドの上でゴロンとなってたってことも続きました。 あれからもう随分と時がたちます。今でも原理を思い出さない日はありません。18歳、これからというところだったってこともあるけど、僕にとって、今でも原理はそれだけ大きな存在です。 僕は今、普通に就職して日本橋で会社勤めしています。
<妹さんが入信して悩んでいる人へのアドバイス> 入信してからどれくらいたつのか分かりませんが、これまできっと話し合いの度に何度も衝突したんでしょうね。 方向的には優しく話し合う上で、相手に疑問を抱かせるようにしていくのが良いのではないかと僕は思います。 僕も脱ける時にはいくつかの動機が集まって決めました。だけどどんな小さなことでも、自分の中に疑問を持つことがないとやめることは無理だと思います。ほんの小さな蟻穴でも、それが入り口になります。 僕の場合の入り口は、神側に近い人間(より縦のラインで文鮮明氏に近い人間=アベル)の飛躍的な結論への疑問でした。アベルの、”背後にサタンがいる”とか、”それは神じゃない”などといった、「善意の独裁」が疑問を膨らませていきました。思ったこと、感じたことすべてがそれらの言葉に理屈なしに行き着くところです。 ただ今思うに、教え自体に疑問を持つのは難しいかも分かりません。なぜなら、たいていの人はキリスト教の知識がないところへ教えられるのだから、原理の’?’を’?’と思わないであろうからです。 僕の場合はそのほかにもやりたい夢があったし(その夢にも背後にサタンがいると言われた。)、友達などの自分の周りの環境をすべて振り切って飛び込めなかったです。入信後にあるだろうまわりの声がきになったのも大きいです。 あと、脱ける時には本人の固い気持ちが要されます。なんせ向こうは一緒に信仰生活をおくってきてる集団ですし、サタンに連れてかれるって言って必死になるでしょう。ぼくも脱ける時は5~7時間の説得(和動という)が何日か続きました。 でもまあこっち側の人間にしてみると、相手が世の中の人のためを思ってしてることだから始末が悪いし話してもラチがあきませんよね。
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