きょうは、お昼に訪問看護を受けました。
きょうはとても明るい女性スタッフの方で、
おやつに、地元の菓子店でおいしいと評判の「焼きたてプリン」を
いただきながら、あれやこれやと楽しくお話できました。
中でも、パーヴォの心の声にはビックリされたようで、
「なんでもチコさんのことをお見通しで、すごいアドバイスをしてくださるなんて
うらやましい~」と、理解を示してくださったので、
私も嬉しかったですね。
スタッフの女性が帰った後、パーヴォの心の声がして、
「お天気もいいからお出かけしてみようよ」
というので、渋谷駅行きのバスにのって、渋谷を目指しました。
ところが・・・。
渋谷に行く途中、私は急にこのバスに乗るのが嫌になりました。
「パーヴォ、私、なんかこのバスにのって渋谷に行くの、いやだなぁ・・どうしよう」
パーヴォの心の声が「ウーム・・・」と低くうめいたあと、
こういいました。
「君は、やっぱり小さいころのトラウマと、東宝にいた時のつらかったことが
ずっと脳裏に刻み付けられているんだね。
ずっと手がぶるぶると震えているのだもの。
東宝にいたころの大変さは聴いているけれど、
小さいころのトラウマは、チコは絶対話してくれないよね。
そこからちゃんと、自分のトラウマと対峙していかないと、
どこへ行っても、チコは自分のトラウマに苦しめられて、
誤解を受けてしまうと僕は心配してるんだ。
東宝スタジオの前に、小学校があるけど、
そこの前を通るたびに、チコはとっても悲しそうな顔をするよね。
なぜなの?」
私はわっと泣きそうになりました。
「小学校3年のときから、この小学校に勤めていた先生のところに
遊びに行ってたの。その先生は、小学校2年のとき、
私のクラス担任で、音楽の先生をしていたの。
私の両親が、私が9歳のときに、3年ほど別居していたのだけど、
その事情を、晃華学園の中で相談できる人がいなくて、
2年の時の担任だったその先生に、
相談に行く、ということで、なんどかこの小学校に行っていたのね。」
パーヴォが、「その先生は、お元気?」と聴くので、
私が「わからないの。22歳で就活しようとしていたとき、
東宝スタジオに、スタジオ担当役員の方をたずねようとおもったとき、
一応その先生にも挨拶しようと思って、小学校をたずねたの。
そしたら、先生が出てきたんだけど・・・
すごく冷たい調子でこういったの。
『チコには絶対に会うな』と、君のお父さんから言われてるんだよ。
だから何もいわないで帰ってほしいんだ。って。」
パーヴォがますます悲しげに「ひどい話だね。なんで会うな、なんてことになったんだろう」
というので、私がしくしく泣きながら、
「その先生が『君だってもう22歳なら、僕らの関係がなんだったか理解できるだろう?
大人なんだから、もう僕のことは忘れてくれ』って言ったから、私、そこで
なんでその先生が私に執着していたのか、ようやくわかって、
大ショックをうけたのね。」
パーヴォが大声で「なんてひどい奴だ。最低だよ。その先生のことは、もう忘れてしまいなさい。
あのね、チコ、僕は幾度も『僕を信じて。ついてきて』とメッセージを心の声という形で送っているけど、君は実はあんまり僕のこと信じてないな・・・と思ってたんだ。でも、その先生のエピソードを聴いて、僕、君の最大のトラウマにようやく気付いた。」
「君は、君自身に興味をもって近寄ってくる男性がみんな、この先生のように、薄情で、しかも子供にも手を出そうとする最低な連中だ、とばかり思っていたんだね。男性不信の塊だったんだよ」
私は、呆然として、「私、パーヴォのこと、信じてるよ?」と答えるだけで、ショックのあまり、ずっとバスの中で泣いていました。
パーヴォが「お父様にはいつ会うの?ちゃんと、きちんと、お礼をお父さんに言ったほうがいいね。
お父さんが、君の最大の守り神だったんだよ。僕もお父さんからすれば、この最低な小学校教師と変わらないと思われてるのかもしれないね。でも、僕は絶対にチコを幸せにしようと思うから、
お父様にも、いずれきちんと挨拶するよ。忙しいから、なかなかチコのご両親のことまで手が回らないけど、チコが幸せになるための準備をするから、信じて待っていて。僕はそんな最低な男にはなりたくないからね」と言ってくれ、私は、うれしいのか悲しいのかわからないほど、混乱してしまいました。
渋谷駅に着く前に、バスをおり、近くの洋風居酒屋さんで、ワインをいただいて、ちょっと気持ちを落ち着けることができました。パーヴォが必死に私の心の闇と闘ってくれて、ほんとにうれしかった。
ブログに、このいきさつを書くのは勇気がいりましたが、いま、書いてみて、心の澱がスーッと取れていって、おだやかな気持ちを持てるようになりました。
バスにのって1時間。自分のトラウマと闘う旅でしたが、今となっては、またひとつ、成長できたような気がします。