季節は秋。実りの季節。
かつてのカッツェ平野での大敗北から1年。バハルス帝国は今年もリ・エスティーゼ王国へと宣戦布告をし、陣地を築いていた。
今回の戦闘指揮は昨年亡くなったカーベイン将軍に代わり皇帝直属の四騎士であるニンブルが務めている。率いるのは昨年と同じく帝国の騎士の半分に当たる4軍団4万である。
「しかしまさか本当に現地に1万食も持ってくるとは……」
皇帝が契約したと言うバーガー・ユリの料理がいつの間にか運び込びこまれていたという知らせを受けてニンブルはその言葉を疑った。なぜならそれを運び込む商団接近の情報が全くなかったからである。
1万食もの量を運び込むのであれば馬車が何台も必要であろうし、その数が近づいてきたのであれば報告が上がってくると思い待っていたのだが結局その知らせはなかった。本当に得体の知れない商人である。
「陛下がけして怒らせてはいけない相手と言ったのが分かりますね……」
「どうかいたしましたか?」
運び込んできた黒髪のメイドは戦場に似つかわしくない恰好でニンブルの前でなんでもないように首をかしげている。その整った顔立ちと凛とした表情は得体の知れなささえなければニンブルでも魅了されていたかもしれないほどだ。
「いえ、ご苦労様でした。こちらが報酬になります」
「ありがとうございます。確かにいただきました」
ニンブルはユリへと銅貨を渡す。もしユリの持ってきた料理があの時食べたものと同じなのであれば安すぎる報酬だ。しかし、ユリはそれを受け取るとそれ以上の物を求めることもなく頭を下げる。
「これらの品が役に立った暁には陛下から追加報酬をお支払いしたいということです」
「それはありがたい。もしその際は……そうですね。畑を耕す土地でもほしいものです」
「土地……ですか?」
「いえ、その話はいずれまた。それでは私はこれで失礼いたします。制限時間は1時間ですのでお気を付けください」
そう言ってテントを出たユリはニンブルが外に出たときにはいなくなっていた。本当に奇妙な人物だが不思議と不快な感じはしない。
その丁寧で洗練された態度としっかりと制限時間という注意を与える気配りのおかげだろう。
「さて……準備は整いましたね。では帝国の勝利のためにがんばりますか……。おい!」
「はっ!」
ニンブルは気を引き締めると指揮官として兵たちへの命令を発する。
「これより作戦会議を始める!すべての士官を作戦本部まで集めろ!」
「了解いたしました!」
騎士が急いで伝令へと走るのを見てニンブルは満足そうに相好を崩す。相変わらず帝国兵の練度は素晴らしい。これで昨年は敗れたのだからどれだけ王国の兵士たちの力が化物じみていたのか分かると言うものだ。
(今年も負けるようなことがあれば後はない……陛下の期待に応えねば……)
しばらくすると各指揮官たちが司令部のテントへと集合する。その顔には帝国騎士としての誇りが見られるものの中には不安そうな顔も見られた。それもそうだろう。昨年敗北した戦場にいたものもここにはいるのだ。
ニンブルはその不安を払しょくするためにも声を張り上げ気合を入れる。
「集まったな!」
「はっ!ニンブル将軍!」
「では、この度の作戦を説明する!ただいま食糧庫に1万食の食料が運び込まれた。今回の戦争における勝利のカギはその食料の使い方にある!」
士官たちは顔を見合わせる。多くの士官が考えたのは長期戦により相手の疲弊を狙うというものだ。兵糧攻めというのは確かに疲弊した経済を持つ王国には有効かもしれない。しかし、昨年の戦場を知る者から疑問の声があがる。
「ニンブル将軍。確かに我らのほうが王国軍より人数が少なく、遅滞戦闘により相手を疲弊させるのは有効だと思いますが、それで本当に勝てますでしょうか……」
意見を言ったのは昨年右翼が瞬く間に殲滅されたのを目撃した士官だ。あの時の帝国騎士の心に与えた衝撃は想像して余りある。しかし、それを即座にニンブルは否定する。
「勘違いしないでもらいたい。今回の作戦は速度こそが命だ!遅滞戦闘など絶対にしてはならない!食事は戦闘開始の直前に取り、1時間以内に勝負を決める!1時間で勝負が決まらないようであれば即時撤退だ!」
「ど、どういうことなんでしょうか!?あれほどの力を持っている王国軍に突撃すると!?」
「そのとおりだ!中央の1万は私が預かり先陣を切る!左翼右翼の軍はやつらが散らばらないように包囲せよ!」
「ニンブル将軍、それで勝てる根拠はあるのでしょうか……」
「私は勝てると確信している。そして陛下も同じ考えだ。帝国四騎士たる私が先陣を切る。ついてきてほしい!」
ニンブルのその自信にあふれる姿に騎士たちは感銘を受けるが、ニンブルはすべてを説明するわけにはいかないことにやきもきする。
ジルクニフからハンバーガーセットの効果については説明する必要はないと言われている。説明すれば今回の帝国の強さの理由が他国に広まり対策されるだろうことは容易に想像される。時間稼ぎの遅滞戦闘などをされると非常に困ることになるだろう。
制限時間以内に勝負をつけようと心に決める。そのための段取りも整えた。ニンブルは帝国の勝利を信じ、昨年敗北を喫したカッツェ平野を見つめるのだった。
♦
カッツェ平野、王国軍の本陣。そこにはリ・エスティーゼ王国の新国王となったバルブロを始め、多くの貴族たちが集まっていた。しかし、その数は昨年に比べて明らかに少なく顔ぶれも変わっている。
「おい……なぜレエブン侯は来ていない。他にも来ていないものがいるが……」
「どうせ臆病風にでも吹かれたのでしょう。彼は蝙蝠ですから……」
「ははは、まったくだ」
貴族たちによる嘲笑が起こるが、バルブロとしては面白くない。まるで前国王ランポッサに比べて自分が劣っていると言われているようである。
しかし、事実そのとおりであった。王国の闇組織である八本指が摘発された際、多くの貴族がその悪事に関わっていたという証拠が判明。その証拠を消しきれなかった貴族たちについては信頼を失って没落した。
バルブロ自身も八本指と関わっていたため危なかったが、国王としての権力を使いまくり身辺を探る者達をすべて始末することで何とか失脚は免れている。
しかし、人の口に戸は立てられない。国王としての威厳も信頼もないバルブロに本心からつこうとする貴族などいるはずもない。公明正大な貴族はそんなバルブロに失望し、レエブン侯を始め戦場には来ていない。いるのは日和見主義の信念のないものたちばかりである。
兵の数にしても前年の半分となる10万程度の兵しか用意できていない。
「ふんっ、もしこの戦争が終わったら来なかった臆病者達には責任を取らせてやろう」
「それがよろしいかと……」
「国王に逆らおうなど不敬ですからな」
貴族たちがここぞとばかりに今回参集しなかった貴族を貶める。
その中で渋い顔をしている人物が一人。テントのけしていい場所とは言えない端にいるのは戦士長のガゼフだ。一度は戦士長の職を辞することも考えたが前国王のランポッサにより息子をどうか頼むと言われ断り切れなかったのだ。
そしてガゼフの装備しているのは王国の兵士の平均的な兵装。その代わりバルブロがかつてガゼフが着ていた王国の5宝物。
「まぁ、この私がいる限り戦に負けなどないのだがな」
例え兵士の数が少なかろうとバルブロは勝利は揺るぎないと思っていた。あのルプー魔道具店から仕入れた武具は健在であり、あれさえあれば帝国軍を圧倒できる。昨年は油断して攻め急ぎすぎて包囲をされてしまったが、今回はそのような愚は犯すつもりはない。
「帝国軍め。じっくりじわじわと真綿で首を絞めるように殲滅してくれるわ!はっはっは」
「陛下、見てくださいよ。やつらもうすぐ開戦の時間だというのに飯を食ってますよ」
「なに?」
もうすぐ開戦の火ぶたが切られそうだというのにはるか向こうで帝国の騎士たちが何かを食べているのが王国の陣地からも見える。
「わははは。やつら食事の時間も取れぬほど慌てていたのか?」
「まったく計画性のないやつらですな」
「さぁ、我々は準備万端です。やつらの首を一つでも多く落としてやりましょう」
昨年の勝利の味を知った王国軍はそれが一夜限りの幻だったとはこのときには夢にも思っていない。しかし、その帝国騎士に交じって戦場に相応しくない恰好をした者をガゼフは見つけた。
「あれは……戦闘メイド?」
それは軍帽を被った変わったメイドのように見えた。遠いために髪の色や顔などは分からない。ガゼフの脳裏に白ブリーフ1枚のブレインの顔が思い浮かぶ。
(軍帽を被ったメイドに気をつけろと言っていたが……まさか……な)
「どうしたガゼフ・ストロノーフ」
ガゼフの呟きが聞こえたのかバルブロが訝しむ。
「いえ、敵の陣地にメイドがいたような気がしまして……」
「はっ、何を馬鹿な。戦場にメイドなどいるわけがないだろう!馬鹿なこと言ってないでお前は黙って私を守っていればいいのだ!行くぞ」
「はっ……」
バルブロはガゼフの言葉を一蹴すると貴族たちとともに本陣を出発するのだった。
♦
「陛下!中央突破をはかった部隊が止まりました!いえ、押されております!」
「なに!?」
バルブロは双方の軍がぶつかり合った中央前方部を見つめる。
中央を一気に突き崩し本陣までも蹂躙するかと信じていた部隊が立ち往生している。昨年は蟻を踏みつぶすように進んでいたと言うのにどうしたことかと周りを見渡すが、続いて報告される内容は信じられないものばかりだった。
「右翼突破されました!陛下!」
「左翼についても防ぎきれません!」
次々と入る予想外の凶報。信じ切っていた部隊が突破されかけている。目に見えて情勢が悪くなっているのが分かる。このままでは本陣に敵が到達するのも時間の問題だろう。
バルブロは昨年首を斬ったカーベイン将軍のことを思い出し顔を青くする。
(もし……ここまで来られたら……)
一応本陣にも例の武具を装備させた手練れを用意しているし、自分は王国の秘宝を装備している。しかし多勢に無勢となれば勝利は怪しい。恐怖に駆られたバルブロは自分の安全を最優先させようと指示を出す。
「ほ、本陣の守りを固めよ!兵を中央に集めるのだ!」
「陛下!それをしては陣形が崩れます!槍衾が機能しません!」
鬱陶しいことにガゼフが痛いところを突いてくる。戦場全体を見ればそれが正しいだろう。しかし、バルブロはそれよりも自身の恐怖を払拭することを優先させたいのだ。
(まったく……うるさいやつめ……)
しかし、そう思っている間にも着実に帝国の兵士たちは王国の陣地を突破して近づいてくる。時間がない。
「ひっ……引くぞ!戦士長!おまえはここに残ってしんがりを務めろ!」
言うが早いかバルブロは側近を引き連れ後方へと下がっていく。その様子をガゼフは呆れたように見つめていた。前王のランポッサから息子を頼むと任された故にここまで来たがそれは間違いであったのかもしれない。
「せ、戦士長!どうしましょうか!?」
「戦士長!?」
周りの兵士たちが不安そうに見つめて来る。当然だ。総指揮官たる国王が早々に撤退してしまったのだ。残されたものはどうすればいいのか分からない。
「槍衾だ!急いでここに槍衾を設置するぞ!各陣営に伝えよ!遅滞戦闘に努めつつ後退だ!耐えろ!耐え抜くのだ!」
圧倒的不利となった王国軍の陣地に戦士長の声がこだました。