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アホはアホなりに生きていく

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伝説の有馬記念

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俺の中で一番嬉しかった有馬記念は、去年のドリームジャーニーが勝った有馬記念だけど、

一番感動したのは、おそらく1990年の有馬記念だろう。

実況も解説も、競馬場のファンもギャンブラーの親父も、テレビで観てた老若男女すべてが、
多分たった一頭を応援した。


オグリキャップ。


当時の6歳(現在の5歳)の時、
1990年の安田記念、武豊との初コンビで勝利すると、
その後、騎手が乗り替わってのGⅠ3戦をまさかの全敗。
有馬記念で引退することが決定した。

それまで31戦21勝。
地方競馬で12戦10勝、2着2回。地方最後の8レースを8連勝。
鳴り物入りで地方競馬から中央競馬に移籍してからも、怒涛の重賞レース6連勝。
地方競馬と言えば、何となく中央のエリートからは外れた、いわば雑草組の馬たちのイメージがある。

かつてハイセイコーという地方競馬の星がいた。

ハイセイコーは、地方出身の労働者たちの希望の星だった。

遠く離れた土地から東京という都会へ出稼ぎに来ていた人々の雑草魂を
絵に描いたように表していたのがハイセイコーだった。
落ちこぼれと呼ばれた地方競馬の馬が、中央のエリートサラブレッドを打ち負かす姿は、
地方出身者にはたまらなく痛快であり快感だった。

しかし、ハイセイコーは後になるとタケホープという稀代のヒールに大事なレースで負けてしまう。
皐月賞こそ獲ったハイセイコーだったが、ダービー、菊花賞では悪役タケホープに敗れ、
その後も長距離レースでは勝てず、それでも諦めずに何度も走る姿で、また人気を勝ち得ていった。

オグリキャップには、ハイセイコーと似た臭いがした。

しかし、成績だけ見れば恐らくオグリはハイセイコーの上を行く。
単勝馬券での人気は敵わないものの、勝った重賞の数やGⅠ勝ち星の数から言えば、
完全にオグリが上。

それだけインパクトも実績もあった。

そんな名馬も、6歳を迎えて最初のレース・安田記念こそ
天才ジョッキー武豊との初コンビで勝ったものの
続く宝塚記念は、岡騎手騎乗で2着に敗北。

秋を迎えても天皇賞・秋、ジャパンカップを増沢騎手で負けてしまう。

そして、再び鞍上に天才ジョッキーを迎えた、ラストレース有馬記念。

それまでにも人気はあったオグリキャップだが、
オグリキャップの本当の人気を勝ち得たレースこそが、この有馬記念だった。
このレースで、さらにファンは倍増したはず。

前走ジャパンカップで11着と惨敗したオグリキャップは、
調子的にも距離的にももうダメかと思われた。

しかし、レースは、
最後の直線で先頭を捉えたオグリキャップがジワジワと抜け出すと、
あとは実況も解説者も、公平な立場をいつの間にか忘れ、
解説者は
「ライアン! ライアン!」
と、オグリキャップを買ってなかったの丸出しの言葉を叫び、
実況は
「オグリ、1着! オグリ、1着! オグリ、1着!」
「スーパーホースです! オグリキャップです!」

良くも悪くも、もう日本国中が芦毛の1頭を見つめていた。

そして、勝った後の豊のコメントもカッコ良かった。
「強い馬は本当に強いんだと実感した」


スターホースは、よく引退レースで何かしら輝く実績を残す。
応援している者たちを喜ばせる術を、知っているとしか思えない。


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