鈴木愛子

「断念」か「選択」か 胎児を減らす「減胎手術」の現場

10/28(月) 7:36 配信

年間に出産する母親のおよそ100人に1人が、双子や三つ子などの多胎出産を経験している。その確率は、高度不妊治療が登場する半世紀前と比べると約2倍に増加している。胎児の数が多いほど母子の健康リスクが高まり、育児の負担も増す。出産か、中絶か。中には後者を選択する人もいる。だが、もう一つの選択肢として、おなかの中で胎児を減らす「減胎手術」がある。30年以上前から行われているこの手術だが、あまり知られていない。(取材・文:中村計/Yahoo!ニュース 特集編集部)

胎児を減らす「減胎手術」

何軒もあたったが無駄骨だった。

「手当たり次第、電話をかけたんですけど、大阪ではやってくれるところは皆無で……。『それは受け付けておりません』と」

そう語るのは大阪在住の妊婦ユカさん(39)=仮名=だ。

パソコンで「減胎手術 大阪」というキーワードで検索したが一件も引っかからず、直接、病院に電話で問い合わせてみた。ところが、手術ができるところは見つからなかった。応対した人が「減胎手術」という言葉自体を知らないこともあったという。

「ほんとわがままなんですけど、2人分を1人に託そうって決めたんです」と話すユカさん(仮名)(撮影:鈴木愛子)

減胎手術とは、多胎妊娠、つまり2人以上の子を宿した場合に、その胎児を減らす手術のことである。通常は、妊娠10週前後に注射で塩化カリウムを注入し、心停止させる。

1970年代後半から、不妊治療における排卵誘発剤の使用が一般化し、多胎妊娠する女性が増加した。日本で減胎手術が行われるようになったのは、そのあと、1980年代に入ってからと推測される。初めて実施を公表したのは1986年、長野県下諏訪町の諏訪マタニティークリニックだった。

だが、その当時、減胎手術は「堕胎罪になる可能性がある」とされ、日本母性保護産婦人科医会(現日本産婦人科医会)は手術を禁じる方針を打ち出した。

1980年代後半に体外受精が普及すると、多胎妊娠の発生率に拍車がかかった。妊娠率を少しでも高めようと、当時は、受精した卵子を5個も6個も体内に戻すことも珍しくなかったからだ。高度不妊治療がごく普通に行われるようになる前、国内における4胎以上の出産は年間数件だったが、ピーク時の94年には38件もあった。

そうした状況を受けて、医療現場からは減胎を認めるべきだとの声が高まり、2000年、日本母性保護産婦人科医会は「減胎を可能にする」と方向転換。2003年には、厚生労働省の審議会も、やむを得ない場合には認められるとの見解を示した。

双子の出産率と三つ子以上の多胎出産率の推移(参考:一般社団法人吉村やすのり生命の環境研究所「多胎出産率の年次推移」、出典:母子保健事業団発行「母子保健の主なる統計」、図版:鈴木李奈)

そもそも母親の子宮は「1人用」にできている。したがって、多胎妊娠および出産は胎児の数が多ければ多いほど、母体、胎児ともにリスクが高まる。

妊娠中に胎児が死産するケース、分娩中に妊婦や胎児が重篤な合併症を引き起こすケース、出産後に子どもに異常が見つかるケース等、心配事を挙げれば切りがないほどだ。一昔前までは、そうしたリスクを回避するには全中絶するしか方法がなかった。そのため減胎手術が急速に広まったのだ。

近年は、不妊治療における学会の規制が厳しくなった。たとえば、日本産科婦人科学会のガイドラインによれば、体外受精の場合、受精卵を戻す数は原則1個、35歳以上は2個までと定められている。それに伴い、多胎妊娠率は減少傾向に転じ、同時に減胎手術を手掛ける医師も少なくなった。

とはいえ、今も母親のおよそ100人に1人が多胎出産をしており、その確率は高度不妊治療が登場する半世紀前と比べると約2倍に増加している。ピーク時に比べると減少したが、依然として多いのが現状だ。その主な原因は、高度不妊治療だとされている。

人気の不妊治療クリニックは、なかなか予約が取れない。そのため、年齢を理由に「時間がない」と言われると、焦り、医師の勧める治療プランを鵜呑みにしてしまうケースが多い(撮影:鈴木愛子)

「中絶をしたら、もう子づくりはできない」

ユカさんの場合もそうだった。36歳のときに第一子に恵まれ、もう一人子どもが欲しいと思っていたが、なかなか授からず、38歳のときに不妊治療として排卵誘発剤を5日間、服用。直後、多胎妊娠していることが判明した。

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