私はなぜ文化庁委員を辞めたのか【上】
あいちトリエンナーレへの補助金不交付は問題だらけだ
野田邦弘 鳥取大学特命教授(文化政策、創造都市論)
根拠は希薄、審査委員会軽視、知的活動への悪影響……
文化庁の補助金不交付の決定は、どこが問題なのだろうか。七つの観点から整理し、筆者の考えを述べる。
1 不交付の根拠
不交付の根拠とされる「補助金適正化法」第6条(補助金等の交付の決定)には、「法令及び予算で定めるところに違反しないかどうか、補助事業等の目的及び内容が適正であるかどうか、金額の算定に誤りがないかどうか等」が必要な要件としてあげられている。これらは一般的・抽象的な規定であり、具体的に今回のどの部分が法のどの規定に該当するかを明示しないで、不交付とするのは根拠が希薄と言わざるを得ない。
2 地方自治の観点
「事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず、それらの事実を申告」しなかった、ことが理由にあげられている。しかし、これは主催する愛知県が責任を持って対処すべき問題であって、それを国に相談がなかったので、補助金を出さないというのは地方自治の侵害である。愛知県は大規模自治体で県警も所管しており、過去3回トリエンナーレを開催した実績をもっている。県主催の事業に伴うリスク管理は県自身が行うものであり、いちいち国に相談すべき事案とは言えない。これは地方自治の原則に関わる論点である。
3 審査委員会の軽視
文化庁の説明でも審査委員会で採択した案件をその後全額不交付とした前例はないという。採択後に事務レベルで、交付額の減額等の軽微な調整を審査委員会に諮らず行うことはあり得るが、全額不交付というのは前代未聞のことである。本来なら審査委員会に諮るべきである。もし、このような手法が定着するのであれば、専門委員会は必要なくなる。そうなれば、事務局による恣意的(しいてき)な判断をチェックすることができなくなり、公平・公正な審査は不可能となる。
9月27日には文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会」が、芸術や文化を振興する活動への助成金の交付要綱を改正し「公益性の観点から不適当と認められる場合」には助成金交付の内定や決定を取り消すことができるようにした。ここでも専門委員会の無力化と事務局の権限強化が進み始めた。
4 不交付決定の時期
不交付が公表されたのは9月26日である。75日間のトリエンナーレの会期も残すところ18日という段階である。一部展示が中断したとはいえ、補助金を前提に事業を計画・実施してきた主催者にとってこの決定の経済的ダメージは大きい。また、「不自由展」再開の発表の翌日に不交付発表がなされたことにも恣意性を感じるのは筆者だけだろうか。
5 不交付理由の解消
「不自由展」は、10月8日に全面的に再開された。この時点で不交付の理由とされた「実現可能性」「事業の継続性」は解消されたといえる。不交付理由が解消したのなら少なくとも開催日数分の補助金は支出すべきという解釈も可能となる。また、この間の騒動とそれに対する愛知県の対処は、愛知県のリスクマネジメント力を強化したといえる。つまり「実現可能性」「事業の継続性」対応力を強化した。PDCAサイクルが有効に機能したのである。
6 全額不交付の理不尽
「不自由展」は90組以上のアーティストが参加するトリエンナーレのなかの1プログラムにすぎない。百歩譲って「不自由展」に補助金を交付しないとしても、その部分の補助金をカットするのが通常の行政事務のやり方であり全額カットは考えられない。
7 知的活動全般への悪影響
電話攻撃や「ガソリンの携行缶を持ってお邪魔する」といったテロ予告に対して、文化を守り発展させる文化庁は何ら声明を発表しないばかりか、あいちトリエンナーレの補助金を全額カットした。このことは、気にくわない芸術表現に対して、電話攻撃やテロ予告などを行えば、事業を中止するだけでなく国の補助金を引き剥がすことができるという前例になりかねず、大きな禍根を残すことになる。
このようなことが常態化すれば、芸術表現に限らず、学術研究、思想表現、宗教活動など、あらゆる人間の知的活動全般への影響が懸念される。政府の補助金を得るために自粛、自制、忖度が個人、地方自治体などで蔓延することが懸念される。
その結果人々の知的活動の低下を招き、日本の国力低下に繋がるだろう。
不交付を決定した事務方の会議議事録が無いことや当初公表するとされていた当補助金の審査委員名も未だ公表されていない、文化庁は現場視察を行わないで不交付を決定したことなど、手続き的な問題点は他にもある。そうしたことも踏まえて、【下】ではこの問題への反響と芸術と政治の関係などについて考える。
【下】は10月28日午前8時公開の予定です。