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刺さる鈍器『フラナリー・オコナー全短篇』

Okona

とつひとつ読むたびに、重いもので殴られる感覚なので、感情が丈夫でないと辛い。それでいて、胸の奥まで抉り込まれた痛みが、一生刺さったままになる。O.ヘンリーの驚きと、ミヒャエル・ハネケの悪意の、幸福な結婚を味わえる。

最高に嫌になれる「善人はなかなかいない」は、人生で3回読んだが、3回とも感情が違う。わずか20ページと少しなのに、一生刺さったままになるだろう。

「善人はなかなかいない」は、おばあちゃん、息子と妻と子の家族が、自動車旅行に出かけた先で、大変な目に遭う話だ。

初読の感情

最初に読んだときは、驚いた。これで終わりにできるのか、と唖然とした。なにかの間違いであってほしいと願った。だが、どんなに目を凝らしても間違いはなく、運命は無慈悲だ。

2回で変わる

次に読んだときは、おばあちゃんに注目した。イエスキリストを信じ、自分を善なる存在だと疑わない。独善的という言葉がぴったりだが、そう言われても自分のことだと絶対に理解できない人間、いるだろ? まさにそれだ。

そんな人が信じるものが揺らぎ、崩れる瞬間を観察する。物語の最後になっても、おばあちゃんは変わらない。言葉によっても行動においても、完全に屈しているのに。この独善を、信心深い田舎者の愚かしさと見なすこともできる。

だが、おばあちゃんは馬鹿ではない。認めたくはないが、自分がした過ちは理解できている。しかもそれらは、自らが信じていたものと何の関係もなく、それでいて自分の運命を完全に変えてしまうことも理解できている。

それでも、信じていたものを信じていようと振舞う。やっぱり神様なんていなかったね。何度読んでも運命は変わらない。わたしが驚いたのは、そうした無邪気な愚かしさを、まんま信じていたからだろう。

そこに描かれる運命は、別に理不尽なものではない(「理不尽」として片づけたいけれどね)。おばあちゃんを通じて、わたしが信じ込んでいた世界とは違っていたから、唖然としたにすぎぬ。

3回目で世界が違って見える

そして、今回読んだときは、全く違った感情を抱いた。なぜなら、作者のこの言葉を目にしたからだ。

私の作品では、人物たちを真実に引き戻し、彼らに恩寵の時を受け入れる準備をさせるという点で、暴力が不思議な効力を持つ。人物たちの頭は非常に固くて、暴力のほかに効き目のある手段はなさそうだ。真実とは、かなりな犠牲をはらってでもわれわれが立ち戻るべきなにかである。
「自作について」より

恩寵(grace)とは一般に、神のめぐみや慈しみのことだ。神を信仰する心こそが恩寵の賜物だから、これはおばあちゃんの信仰を試し、裏切られる話なのか? 恩寵を失う(fall from grace)話なのかも……と考えた。

しかし、わたしの考えは間違っていた。

もう一度読むと、ラスト2ページの数行を、完全に見落としていたことが分かった。ここだ「おばあちゃんはその一瞬、頭が澄みわたった。目の前に、泣きださんばかりの男の顔がある。男に向かっておばあちゃんはつぶやいた」

次の瞬間、おばあちゃんは、完全に正しいことをする。偽善を被ってきた自覚すらなく、愚かな言動をくり返していたにも関わらず、おばあちゃんは、(おそらく)イエス・キリストがしたことと同じことをする。

もちろん、おばあちゃんは磔にされてなどいない。しかし、もしイエス・キリストがその場に立っていたならばしたであろう、まったく同じことを、おばあちゃんは口にして、行動する。

おばあちゃんは、自分が信じていたものが、これから自分に降りかかる運命に、何の関係もないことを知っている。どんなに信仰心が篤くても、何の役にも立たないことを、完全に理解している。その上で、恩寵を得る。

この瞬間にシンクロしたとき、世界が一変した。

何回読んでもおばあちゃんの運命は変わらないが、彼女は(神様抜きで)恩寵を得ており、赦してすらいるのだ。わずか一瞬なのだが、彼女が手にしたものに、ほとんど触れられるくらい近いところに居られる。これは、読むことでしか経験できない感覚だ。

読むことは経験すること

ほとんどあらすじも示さず、わたしの「感情」だけを延々と吐き出したが、オコナーの小説はそうやって示すしかないと考える。

なぜなら、そうやってでしか経験できない作家だからだ。

作品にはテーマや書かれた理由があって、その「作品の意味」なるものを読み解く―――それは教室で読むには正しいが、このやり方だと、オコナーは「グロテスクと暴力で人の醜さを暴く作家」になってしまう(それはそれでエグいが浅い)。

もし、いわゆる読み屋がやる「あらすじ+意味=評価」のような読み方だと、きっとこの「感情」にたどり着くことができないだろう。いや、読み返すことすらしないに違いない。

しかし、オコナーは違う。説明的な言い換えに抵抗し、鈍器のように胸を打つくせに、感情の深いところまで刺しにくる。「善人はなかなかいない」の他に、この作品が刺さったまま。一生かけて読み直すだろう。

  • 人造黒人
  • 田舎の善人
  • 強制追放者
  • ゼラニウム
  • すべて上昇するものは一点に集まる
  • グリーンリーフ
  • 森の景色
  • 家庭のやすらぎ
  • 障害者優先
  • 啓示
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