「映画館では、今も新作映画が公開されている。
一体、誰が映画を見張るのか?
一体、誰が映画をウォッチするのか?
映画ウォッチ超人、シネマンディアス宇多丸がいま立ち上がる——
その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン!」
毎週土曜日、夜10時から2時間の生放送でお送りしているTBSラジオ AM954+ FM90.5『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』。
その中の名物コーナー、ライムスター宇多丸による映画評「週刊映画時評ムービーウォッチメン」(毎週22:25〜)の文字起こしをこちらに掲載しています。
今回紹介する映画は、『ボーダーライン』(日本公開2016年4月9日)です。
Text by みやーん(文字起こし職人)
▼ポッドキャストもお聞きいただけます。
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宇多丸:
今夜扱う映画は、先週「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画! 『ボーダーライン』(2016年4月9日公開)
(BGM:『ボーダーライン』テーマ曲が流れる)
……このヨハン・ヨハンソンさんの音楽もいいですよね。怖いよね。アメリカとメキシコの国境地帯で繰り広げられる麻薬戦争を描いたクライムアクション。メキシコの麻薬カルテルを殲滅するために送り込まれたFBI捜査官ケイトは凄惨な現実を目の当たりにし、やがて善悪の境界線が揺らいでいく。監督は、『プリズナース』『複製された男』のドゥニ・ヴィルヌーブ。主演はエミリー・ブラント。共演に、ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリンなど。
この映画をもう見たよ、というリスナーのみなさま、通称“ウォッチメン”からの監視報告も多数頂いております。メールの量は、「普通」ということでございます。まあでも公開館数、そんなに多くないですからね。たぶんうちの番組のリスナー的には注目度が高かったんでしょうか。そして賛否で言うと、8割以上が「賛」。否定的な意見は数通で、全体的にかなりの高評価ということでございます。「とにかく緊張感がすごい!」「見終わった後も引きずる苦いラスト」「ベニチオ・デル・トロの怪演。彼の代表作になるのでは?」などの意見が並んだということでございます。
(メールの感想読み上げ、中略)
……ということで『ボーダーライン』、私も角川シネマ有楽町で2回、見てまいりました。まずこのね、なかなかこういうことに触れる機会がないんで最初に言っておくと、メインアートワーク、すごくいいですよね。パンフレットとかの表紙になっている、コラージュなんですけど、昔のアクション映画風味もありつつ、なんか今回の本作の内省的な雰囲気みたいなものも表現していて、非常に素晴らしいアートワーク。アメリカとメキシコの国境間の麻薬組織の戦いで、『ボーダー○○』なんてタイトルが付いていると、僕世代はたとえばウォルター・ヒル監督の『ダブルボーダー』なんていう映画を思い出したりなんかもするんですけど。
まあ、『ボーダーライン』も『ダブルボーダー』もどっちも日本タイトル、邦題なわけですね。今回の『ボーダーライン』、原題は『Sicario』。その意味は冒頭にテロップで説明が出るんですけど、要はヒットマン、殺し屋、暗殺者。で、僕も映画を見る前は、なんとなくそういう怖い感じなのかな?って思ってたんですが。でも映画を見終わってみると、ああ、なるほど、これはまさしくヒットマン、暗殺者の話だったんだ!っていうことが完全に納得できる作品ですよね。
だからこそ、この映画に関しては、最近流行りではあるけども、本編ラストにだけタイトルが出るという作りが非常に効果的。特にその「殺し屋」「暗殺者」っていう文字が最後に出るラストシーンで重なる光景との、恐ろしく苦い皮肉な相乗効果も相まって、非常にドスンと来る余韻を残すということでございます。でもですね、『ボーダーライン』という日本タイトルも内容にはすごく合っていると思いますね。
『ダブルボーダー』同様ですね、国境をめぐる話であるっていうのはもちろんですし。特に、一応の主人公であるエミリー・ブラント演じるケイトという主人公の視点からすれば、守られるべきルールとか善悪、倫理のボーダーラインが揺るがされ、いずれ無化されてしまう話であるからということですね。そして、いま、「一応の主人公・ケイト」なんていう、非常に持って回った言い方をしたのはですね、この『ボーダーライン』という映画は、実は非常に変則的な構成がキモになっている作品なんですね。
どこまでこの場で言っていいかは悩むところなんですけども……とにかく、物語上進行していく事態に対して、これほど蚊帳の外に置かれたままの主人公も珍しい。完全に蚊帳の外。ただし、この蚊帳の外状態は本作においてはもちろん意図的なものですね。非常にテーマと密接に関わっている。というのは、同じくメキシコ麻薬カルテルもの——メキシコ麻薬カルテル、麻薬戦争に関してはですね、詳しくは前にこの番組の推薦図書特集で僕がご紹介した本、ありましたね。現代企画室という出版社から出ている『メキシコ麻薬戦争』という本、こちらをぜひ読んでいただきたい——とにかく、度を越した凶悪さとか、あるいは独自の文化のあり方などで知られるメキシコ麻薬カルテル。ナルコ・コリードなんていう、ギャングを称える歌手たちがいるなんて文化圏があるわけですけども。麻薬カルテルを題材にした作品、最近多いわけです。『ブレイキング・バッド』もそうですしね。Netflixの『ナルコス』とか、ありますよね。あと、近年だとたとえば『悪の法則』とかね。『エンド・オブ・ウォッチ』もまあ、メキシコ麻薬戦争に触れてしまう話だったりしましたけど。
同じデヴィッド・エアー監督だと、『サボタージュ』は、事後の改変によってちょっと甘い出来になっちゃったっていうのもあるけど、あれもメキシコ麻薬戦争でしたし。あと『ノーカントリー』だってそうですね。あれもメキシコ麻薬カルテルが出てくる話。とにかく、そのあたりの作品同様……特に『悪の法則』ですかね。『ノーカントリー』も近いかな。要は特質として、「主人公ひとりごときの視点からは事の全貌などわからない」というのがあります。
要は、普通の娯楽映画だったら、いろんな登場人物の視点にどんどんどんどん変わっていって、観客だけが神のごとき超越した視点から物事を見て全てをわかった気になって……って、普通の娯楽映画ならこうなわけですよ。なんだけど、そういうわかった気になど、さらさらさせない。このわからなさ、全貌のつかめなさこそがキモ。メキシコ麻薬戦争という現実に進行しつつある大問題、解決の糸口すら見えない大問題に対して、外部の視点から劇映画化する際の、ある種唯一の誠実なアプローチとも言えると。外部から見る限りはよくわかんないっていう方が、むしろ誠実であると。というのは、全体をわかっている人間なんていないから。だから、この『ボーダーライン』という作品ではですね、もちろん冒頭、つかみとして、畳みかけるようにびっくりするようなことが次々と起こる。
FBIによるメキシコ麻薬カルテルのアジト急襲シーンがあるわけですね。で、この時点ではたとえばね、僕は最初、こんな感じかなと思っていたんです。要は、『ゼロ・ダーク・サーティ』みたいな感じかなと思ってたわけですよ。優秀な女性捜査官が、その優秀さゆえに、どんどん過酷な状況、世界の闇に足を踏み入れていかざるを得なくなる、的な映画なのかなという風に思って見ているわけですよ。ただまあ、その冒頭つかみのFBI急襲シーン。もうね、踏み込み方からしてびっくりしますけどね!
ここからしてもですね、彼女を含めFBI側は実は、起こったことに慌てて対応したり、対応しきれなくて呆然としてるだけだったりするんですけどね。よく見るとね。そんなFBI捜査官がメキシコ麻薬カルテルの捜査に駆り出されて。で、純粋で真っ直ぐではあるが未熟な主人公が、当初は反発を感じてはいたものの実は頼れるメンター的な存在と出会い……たとえば、今作で言えば、ベニチオ・デル・トロが本当に250%のハマりっぷりを見せる謎の男、アレハンドロ。この謎の男アレハンドロが最初に登場するショットの、もうちょっと不安になるような素っ気ない「見切れ」っぷり! 最初に、飛行機の羽根の横っちょにチラッと映るだけなの。最初に映る瞬間は。えっ? これっぽっちしか見切れないっていうのが逆に怖いんだけど! そっちに人いたじゃん? いま、人いたじゃん!? 誰、誰!? みたいな感じがする、あのベニチオ・デル・トロのアレハンドロであるとか。
あるいは、いかにもジョシュ・ブローリンが演じそうな、ゲスの極み感がたまらない、チームリーダーのマット。このあたりが実は頼れるメンターで。彼らにだんだん感化されてゆき、次第に真のタフでクレバーな一人前の、まあ言っちゃえば“兵士”に成長する的な話なのかな? そういう映画だったらわかるよ。なんかこれ、見たことあるよ、というね。
でもですね、今回脚本はテイラー・シェリダンさんという方。前に『バウンド9』っていう、モロに『ソウ(SAW)』のエピゴーネン的なのを1本、監督しているだけの人で。どっちかって言うと、脚本家としてこれから名を上げていきそうな人。まだ全然新しい人なんですけどね。そのテイラー・シェリダンさんが脚本をやっているんだけど、まあ、監督がなにしろドゥニ・ヴィルヌーブさん。このコーナーで扱うのは初めてですけど、ドゥニ・ヴィルヌーブさんがね、そんな普通のストーリーテリングをするわけがないわけですね。
カナダの監督さんなんですけども。たとえば、2000年に撮った『渦』っていう映画であるとか。2013年にジェイク・ギレンホールで撮った『複製された男』みたいに、ちょっとシュールレアリズムな感じっていうか。すごくシュールレアリズム文学的なタッチの作品。たとえば『複製された男』なんかね、公開当時、ラストにみんなキョトーンとして出て行ったらしいけど。
僕はあのラスト、みんな「ええーっ?」ってなっているけど、俺はあのラストを見て、「この人、楳図かずおの『蟲たちの家』を読んだんじゃねえの?」みたいに思ったりして。なんかすごい、「あははははっ」っていう感じだったんですけどね。まあそういう、割とわかりやすい意味でシュールレアリズム。ざっくり文学的なタッチの作品から、世界的に名声を得た2010年の作品『灼熱の魂』とか、前作にあたる『プリズナーズ』みたくですね、凝りに凝ったストーリーテリングそのものをストレートに堪能できるミステリー、スリラーまでですね、ジャンルとしてはいろいろ撮っている風なんだけども、完全に作風としてはひとつ一貫してます。
要は主人公が、最初に世界はこういうものだと思い込んでいたようなものとは、実際の世界は全然、なんなら180度違うものだった、ということがドーン!と、もしくはジワーンと突きつけられる話という。ここが一貫している作家さんだと思います。で、それがですね、最もイヤ〜な感じで——これ、褒めてますけど——最もイヤ〜な感じで出る場面。これ、ドゥニ・ヴィルヌーブ作品には頻出するモチーフ。彼のオブセッション的なモチーフと言ってもいいかもしれないんだけど、ほとんど毎回に近いぐらい、肉体関係を持った相手は実は……的な展開があるんですよね。
『Sleeping with the Enemy(愛がこわれるとき)』なんて映画が昔、ありましたけども。まさに文字通り、「Sleeping with the Enemy」。“敵と寝ていたんだ”みたいな。今回の『ボーダーライン』もね、細かいことは言いませんけども。しかもね、このドゥニ・ヴィルヌーブさんが上手いのは、たとえば肉体関係を持った相手が実は、というような、まあ、それだけに限らずですけど、主人公が思っていたのとは違う世界の真実がガーンと明らかになる、その肝心なところの“手前”が上手いんですよね。
まだなーんにも起こっていないはずの段階で、でも、なんか知らんけど不穏な予感だけはするみたいな。予感をさせる演出なんて、これ、なかなか難しいもんだと思うんですけど。今回で言えば、たとえばヨハン・ヨハンソンさんのさっきの重低音で、「ブーーーン」の繰り返し。あとは鼓動がずっと鳴っているような、あれの繰り返しのなんか嫌な感じ。あと名手、撮影監督のロジャー・ディーキンスによるカメラも、なんか、「えっ、なんでここカメラがここで寄るの? 怖い怖い怖い!」とかさ。非常に微妙に動いていたりとか。
あと、今回すごく印象的なのは、極端な俯瞰の空撮。俯瞰っていうのは物事をわかりやすく見るショットな感じがするけど、極端に離れた俯瞰の、幾何学的に物が見えるような俯瞰のショットって、逆に物事ってよくわかんないっていうか。全体像、全体を見ても離れすぎていてよくわかんない。で、たとえばメキシコのフアレスという、非常に危険な町っていうのを見ると、この町全体から見られているような、というか。把握できない感じがして怖いという。そういう不穏な予感の漂わせ方と、なにかが起こる時のドン!っていうの対比が本当に上手い。
とにかく、この『ボーダーライン』でもですね、主人公が「こうだ」と思い込んでいた世界のルール。善悪の一線。主人公が思い込んでいる世界の方が正しいんだけど、それは麻薬戦争の第一線に近づくに従って、ことごとく揺るがされ、なんなら無意味化、無化されてしまう。それこそがテーマなわけですね。ということで、主人公目線のわかりやすいカタルシスはない作品なわけですよ。主人公には、何も解決し得ないわけですね。
その代わり、よくわかんないけど超怖い状況に放り込まれ、為す術もなく全てを目撃させられてしまう、そういう地獄めぐりライド感覚。これを楽しめる。で、ですね、この「為す術もなく全てを見てるしかない」って、これは映画の観客の特性そのものなんです。だから実は、いい映画とか、怖い!っていうような映画は実は、為す術もなく見せられるっていう登場人物のシチュエーションを上手く作って、それを観客のエモーションと一致させたりするわけですけど。だからこそ、ここんところこれもよく言ってますけども、劇中のちょうど上映時間の真ん中ぐらいで訪れる、見る/見られる関係の逆転。今回も起こりますよね。
あるポイントで、主人公がずーっと為す術もなく見せられている、こっちが見ていると思っていたのに、いや、見られている、迂闊にも! という。それでドキッとする。ここは非常に、映画の構造もよくわかってらっしゃる見せ方なんじゃないでしょうか。あと、主人公の視点。これ、右も左もわからないって言うけど、実はこれね、だからといって、お話として飲みこみづらくならないように。全然、お話としてわからなくなったりしない。これはなぜかと言うとですね、非常に実は親切設計されている映画なんですね。この映画ね。
たとえば事前に主人公とか観客に、「この後、概ねこういうことが起こると思いますよ」ってことを結構丁寧に、実はちゃんと説明してくれているんです。ところが主人公は「はぁ、なに言ってんの?」みたいな感じでちゃんと聞いてなかったりする。でも、本当にその通りになる。なので、見ている側はそんなに混乱しないで済む。たとえば、前半最大の見せ場。メキシコからカルテルの大物をアメリカ側に移送するという作戦がある。そこでブリーフィングの場面があるわけですね。「こういう風な作戦でいきますよ」と。で、その場面でも言うし、その後でも繰り返しこういうことを言うわけです。「危険なことが起こるとしたら、国境の橋ですよ」。しかもですね、「渋滞で足止めされがちですよ」っていうのも映像とか、ある展開で何度も何度も確認させられるわけです。そして、なおかつこんなことも言う。「メキシコ警察も大半買収されているから、気をつけて。むしろ敵ぐらいに思っていて」って。で、本当にその通りのことが起こるわけですよ。だから見ている側は、よくわかんない状況に放り込まれているんだけど、言われた通りのことが起こるから物語上、混乱はしないという風になっている。
もっと言えば、これはパンフレットで宇野維正さんが解説でもまさしく指摘されていましたが、さっきのブリーフィング。こういう作戦をやりますよという場面。ベニチオ・デル・トロが——ちなみにベニチオ・デル・トロ、作戦会議のメインのところではそっぽを向いているという、ここもいいですね——で、彼が主人公のケイトにこんなことを言う。『お前らアメリカ人には何も理解できないだろう。我々のやること全てが疑わしく見えるだろう。でも最後にはお前にもわかるよ」って言うわけですよ。
これ、宇野さんも指摘されている通り、この『ボーダーライン』という映画全体のお話の構造そのままなわけですよね。だから非常に親切構造。あるいはさっき言った、「こいつが実は思っていた人と違った」っていうところを示す場面で、その示す記号をご丁寧に何度も何度もアップにして見せたりして。むしろそういうところは説明的なぐらい繰り返し見せていたりするという作品でございます。
で、ですね。この『ボーダーライン』という映画、実はこっから先が非常に独特でございまして。ここまではたとえば、メキシコ麻薬戦争を扱う時に、さっき言った「わからなさ、把握できなさ」みたいな。これは『悪の法則』なり『エンド・オブ・ウォッチ』なりにもあったことですけど。この『ボーダーライン』、さらにちょっと変わった特徴を持っておりまして。なおかつ、それが非常にこの映画特有の魅力になっているところなんですけども。
クライマックス。メキシコの麻薬カルテルの隠しトンネルを急襲するわけですね。攻撃するわけですよ。で、夜なんで、『コール オブ デューティー』風の暗視カメラであるとか、サーマルカメラであるとか。あるいは、衛星で上から見た視点みたいな。まあ、暗視カメラのPOV視点であるとか、人工衛星からの映像とか。端的に言えば『コール オブ デューティー』的な、ゲーム的な画面がいっぱい出てくるんだけど。この映画だと、クライマックスの襲撃場面で、これが映画としては非常に変わったというか、非日常的なというか、現実と違うフェイズの画がずーっと続く。
言ってみれば、『2001年宇宙の旅』で言うスターゲート的な効果。「こっから先はこの世ならぬ領域です」って感じがする効果をあげている。そこからまあ、クライマックスに行くわけですけど。さっき言ったね、ベニチオ・デル・トロ演じるアレハンドロというキャラクター。謎の男ですよ、ずっと。でも過去に、そのカルテルと何か因縁があるらしい。「最後にはどういうことなのか、お前らにもわかるよ」っていう場面。いきなり視点が、この映画全体、ずーっと主人公ケイトで、なにもわからぬ視点。「観客はなにもわからない視点で見ている」って言いましたね。ライド視点。
このライド視点からいきなり、ガッシャーン!って変わっちゃうんです。主人公ケイトから視点が離れて。要はそれまで蚊帳の外だったのが、一気に蚊帳の中に入る。さっき言った、神のごとき超越視点になるわけですよ。「これ、誰の視点?」っつったら、誰の視点とも言えないところに行くわけです。まあ、言ってしまえばアレハンドロ視点なんだけど。ここだけ映画の作りとして、急にエンターテイメント映画度が上がるというかですね。『イコライザー』度が上がるというかですね。
インタビューなどで出演者たちがジャン=ピエール・メルヴィルのフレンチノワール、『仁義』とか『サムライ』とかを挙げていたりしますけども。ノワールとかハードボイルド映画調になるというか。明快にヒーロー的な存在が出てくるわけですからね。ただ、それでいてもちろん、その真の主人公の彼、殺し屋も含めた殺し屋たちの最大かつ一方的な被害者である子供っていうのが常に、この物語のいろんな軸に入っているわけです。
その子供っていうのを軸に考えれば、ラストも子供なわけですけど。もちろん、胸のすく結末とはとても言いがたい余韻を残す。そしてもちろんこれね、話全体が、アメリカという国がそもそも他国で軍事力なり力を行使するということ全体のメタファーにもなっている作品なので、もちろん、胸がすく結末などにはなっていないということですね。ただ、その国家とか組織には本質的には属していない男が神の視点で出てくるところで、ちょっとこの映画、シフトが最後にモードが変わると。これが独特だし、忘れがたい「おっ!」感があるという感じじゃないでしょうかね。
個人的にはね、ドゥニ・ヴィルヌーブさん。いわゆる露骨にシュールレアリズム路線の『渦』とか『複製された男』もいいんですけど、描いていることは写実的なのに……つまり、わかりやすくシュールな感じとかは別にないのに、あと、ジャンルとしてはむしろスリラーっていう風に普通にカテゴライズされやすいのに、作品として表現されているものの深みとか射程はググッと伸びているここ2作。つまり、『プリズナーズ』とこの『ボーダーライン』。この2作で、ちょっと作家としてネクストレベルというか、さらに高いレベルに来たな!っていう風に思います。僕はどんどんすごくなっていると思う。
『灼熱の魂』とかもめっちゃ面白いんですけど、ストーリーのエグさはもう、パク・チャヌクを超えているっていう。めっちゃ面白いんですけどね。けど、作り手としてのレベルはさらに、ここ2作で上がっているなという風に思います。なおかつ、本作は、とにかくやっぱりベニチオ・デル・トロです。ベニチオ・デル・トロはですね、わざわざこのキャラクターのセリフを脚本から削らせて、演技、存在感だけで全てを表現しようとしている。ある意味、このキャラクターの背景とか全てを説明しきるような感じの演技。彼の存在がこの作品の価値を大幅に高めていることは明らかなんじゃないでしょうかね?
メキシコ麻薬戦争ものに外れなしの法則、またしても更新されてしまったということですね。まもなく、5月かな? ドキュメンタリーの『カルテル・ランド』。これもすごく評判が高いので、こちらも見たいと思っております。そしてやはりね、メキシコ麻薬戦争ものというのはですね、現在進行形のお話であるからこその迫力というか怖さがあったりしますんで。いま見ないといけない。ちなみに、舞台になったフアレスっていう街は、いまだとメキシコ麻薬戦争のメインの舞台じゃないらしいですから。そのぐらい、物事の移り変わりが早いシーンだったりしますので。ぜひ、いま劇場でウォッチしてください!
(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は、『ルーム』に決定!)
以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。