本当はあと1日襲撃を延ばして欲しかった織田信長の事情 | モモナゲットの和風寄せ鍋エッセイ

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当初は東洋医学を主体に各種健康情報を紹介していく予定でしたが、いつの間にかエッセイや歴史情報なども織り交ぜて書いております。当面「いいね」にも対応して柔軟に題材を絞っていきますのでどうかよろしくご笑覧のほどお願い申し上げます。


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戦国シリーズ「天魔王信長の野望を打ち砕く 我が武略に勝算あり」
 

明智光秀によって引き起こされた本能寺の変は戦国時代最大の謎とされていますが、今現在はもとより、当時の日本人にもその謀叛の動機となった背景というものはまったく判らなかったのです。
 

それだけに事件そのものは単純に考えれば織田家内部の謀叛劇であり、お家騒動にしか見えません。

しかしなが天下布武を掲げていた織田信長の突然の横死は、当時も極めて大きな衝撃をもって周囲に受けとめられただけに、事件には黒幕がいただの、光秀がストレスから発狂しただの、はては天下を狙っていただのといった諸説が続々と登場しました。
 

光秀は織田家の重臣の一人でしたし、城持ち大名として主君信長には信頼され厚遇されていました。
 

しかも当時の光秀は文武両道にも秀でた教養豊かな武人として知られていただけに、突発的な理由だけで謀叛を引き起こすなどとはどうみても考えられなかったはずなのです。

 

 

それだけに本能寺の変そのものを時系列に沿ってみていくと、意外にも明智光秀は軍略的な段取りの元に周到に用意され襲撃実行に移されたとみることが出来るのです。
 

 

 

明智家配下の重臣らは光秀の謀反にこぞって加担しますが、もとよりその麾下の将兵一万二千には家族や親族らが多数いました。
 

謀叛劇の裏にはそうした夥しい人々の命運も光秀の戦略そのものに、すべてが始めから掛かっていたはずなのです。
 

しかも光秀の重臣は揺るぐことなく積極的に光秀の戦略を支援し続けます。

人一倍家臣思いの光秀なればこそ、本能寺の謀叛劇は安直な計画でも突発的な叛意でもなかった証拠なのです。
 

光秀は彼らの命運をも背負って勝算を確信して出陣したわけですし、明智軍団は山崎の戦いまでその軍事的な体勢と勢力とを保持し続けていたのです。
 

そこには明智光秀と家臣らとの強い結束が最後まであったということなのです。

これはどういうことなのでしょうか?
 

cover2
天正10年(1582年)5月14日当時、織田信長には重要なイベント計画が二つ予定されていました。

一つは信長の盟友であり義弟でもあった徳川家康の安土での供応であり、もう一つは家康も同席する京での大茶会の開催でありました。
 

その大茶会のイベント終了後に中国に向けて、余裕を持って出陣するというのが信長の当初の日程でした。
 

この当時の信長の軍事力そのものは他の大名らをはるかに凌駕する強大なものであり、天下統一を間近に見据えていただけにまさに得意絶頂の時期でもありました。

安土を訪れる家康一行はわずかな家臣が随伴しただけで護衛の兵は伴ってはいませんでした。
信長の領内に入ったときでさえ、家康にはいわゆる弓鉄砲精鋭の護衛部隊はまったく伴ってはいなかったのです。

家康一行は無防備のまま信長のもとを訪れていたわけです。
戦国の世にあっては希なことです。
 

いわば家康は信長に己の命を預けていたわけで、律儀な家康としては信長に対してもとより恭順の意思を最大限示していたことになります。

それに応えて安土の信長は、饗応の席では自ら家康に膳を運んでみせるという破格のもてなしぶりを見せるわけです。
この辺りは信長の武人としての性格が出ています。

猜疑心の強い信長がこのとき家康に対して何らかの 疑念や敵意をもっていたのなら、気位の高い信長がそこまでの気配りは見せなかったはずです。

家康という武将が信長にとっては天下布武の大事業を支援する頼もしい盟友だからこそ、それ相応の丁寧なもてなしがあったということになります。

一説によると信長は密かに家康暗殺を計画していたという話があります。
話としては面白いのですが、仮に信長が家康を己の領内で暗殺の意思があったのであればいかようにもその手立ては取れるわけで、その供応に至る過程でも襲撃することは可能でした。

無防備な家康を襲撃するのなら、それこそ一撃で簡単に仕留められます。

家康は信長に京や堺見物を勧められ安土からそのまま出立すると、6月2日の本能寺での大茶会のイベントで再度信長に会う予定が組まれていました。

信長は主催する格式ある大茶会のイベントに盟友家康を正式に招いたわけです。
これとて家康から見れば破格の厚遇に違いありません。

信長は安土から泉州堺までの道案内として途中まで嫡男信忠に家康を護衛させ、さらに寵臣長谷川秀一にそれ以降の道程を厳重に守らせます。

信長の勢力圏内で家康一行がもしも襲われたとなると信長の威信そのものは大きく失墜しますし、主君を殺されたとなれば徳川家はたちまち信長に反旗を翻すという流れに成らざるを得ません。
この辺りは戦国の武家の常識です。

もし織田家が徳川に向かって新たに戦端を開くという戦略ならば、暗殺は現実にあり得るという話しです。

しかしながらすでに多方面に軍団を遠征させている時期に、しかもここで中国出陣をも控えた信長が新たに三河の軍勢までをも迎え撃つ戦略的余裕があったとは思えません。
 

信長は本能寺で家康を本当に暗殺しようとしたのでしょうか?

本能寺は京の都のど真ん中にあるわけですから、当然都中の衆目が集まります。
それだけに暗殺場所としては本能寺はいただけません。

それも禁裏のある京の市中ではそうした血なまぐさい騒動は憚られるわけですから、襲撃するなら泉州堺に至る街道筋でもよかったわけです。

それでなくとも信長は、京での大茶会のイベントを前にしてその準備に注力しているわけで、本能寺での信長は終始上機嫌であったと記録されていますからそうした陰謀を信長自身が画策していたとは思えません。

自ら計画してきたイベント会場を台無しにするなどとは、到底考えられないことです。それほどに今回の大茶会は信長好みの趣向が整えられつつあったのです。

茶道に傾倒する信長の下に天下の名物が集まる大イベントでした。
信長が終始上機嫌であった理由がここにあります。

信長の天下人としての威信と茶道を介しての格式の高さをこれ見よがしに披露できる晴れの舞台に、その日の主催者として立てることを武人信長はどれほど楽しみにしていたことか想像してみて下さい。
 

信長はすでに翌日の大茶会には盟友家康の同席を要請していたわけで、ここではむしろ信長と家康の信頼関係はそれだけ揺るぎのないものであったのだといえます。

6月1日のその夜、信長はわずかな家臣と共に本能寺に宿泊したのです。

ではこの間、織田家重臣の明智光秀はどのように動いていたのでしょうか?



内容紹介

今回戦国史シリーズ第2彈として、「天魔王信長の野望を打ち砕く 我が武略に勝算あり」を出版しました。

戦国史最大の謎とも云われる明智光秀による本能寺の変を独自の観点から説き明かしました。

織田家重臣として信長に重用されながら、明智光秀は何故に謀叛に至ったのか?

明智光秀の信長への反逆の理由だけでなく、謀叛計画の全貌とその周到な作戦計画を時系列で紹介しています。

同時に信長による徳川家康暗殺計画の有無、謀叛の黒幕の存在、さらには本能寺が外国勢力にも狙われていたとする信長爆殺説についての検証や朝廷による信長排除の動きにも触れて、本能寺の変にかかわる多くの謎を解明しつつ、その全貌を詳細に解説しています。

いままで不明瞭であった歴史の謎が解き明かされるときの、驚きと面白さとを合わせてお届けします。
 

「 天魔王信長の野望を打ち砕く 我が武略に勝算あり」
(本能寺の変に隠された光秀の緻密な戦略とは?)

  [目次]
  第一章 本能寺の変に隠された明智光秀の戦略とは何か?
  ●明智光秀の謀反に至る戦略の概要とその時系列
  ●本能寺の変は織田家のお家騒動なのか?
  ●明智光秀は何故情報戦略を欠いたのか?
  ●朝廷工作に賭けた明智光秀の戦略
  ●明智光秀謀叛の計画性を問う
  ●勝てる戦略を選ばなかった明智光秀
  ●謀反の黒幕は突き詰めるとこうなる
  ●明智光秀の誤算とは何か?
  ●明智光秀の戦略は何故に潰えたのか?
  ●細川家の対応から見えてくるもの
  ●光秀と秀吉の戦略の違いとは何か?
 
  第二章 イエズス会の陰謀と戦国武将織田信長
  ●もう一つの信長暗殺計画の可能性とは何か?
  ●本能寺の変にイエズス会の陰謀が絡む理由とは何か?
  ●何故あえて信長爆殺説を支持するのか?
  ●信長爆殺説の新たな展開・「八切史観」と「副島説」
  ●イエズス会が魔王信長を見限ったとき
  ●イエズス会とアジア侵略の歴史

  第三章 光秀は家康饗応で信長暗殺決行を決意した
  ●光秀は家康饗応で信長暗殺決行を決意した
  ●光秀の策略は五月十七日夜に開始された
  ●信長は家康接待で光秀を何故足蹴にしたのか
  ●信長は家康の暗殺を本当に企んでいたのか
  ●徳川家康は本能寺の変をどう評価したのか?

  第四章 織田信長は何故「是非に及ばず」と云ったのか
  ●明智光秀は信長に何故反逆したのか
  ●問われ続ける明智光秀謀反の理由
  ●明智光秀の叛意そのものはいつ生じたのか?
  ●武将明智光秀の武門の意地とは何か?
  ●明智光秀家中の軍律に隠された真意とは何か
  ●武将明智光秀、天魔王織田信長の野望を叩き潰す!
  ●武将明智光秀、我が武略に勝算あり!
  ●織田信長は何故「是非に及ばず」と云ったのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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