目黒区女児虐待死事件の連載最終回。今回は、香川県から東京へ引っ越してきた一家の中で船戸結愛ちゃんが亡くなるまでの過程について述べたい。
1月23日、母親の船戸優里は、5歳の結愛ちゃんと一歳の長男をつれて新幹線に乗って東京へ向かった。行先は、1ヵ月前に東京へ引っ越した父親の雄大が待つ目黒区のハイムだった。
優里も結愛ちゃんも東京での新生活を楽しみにしており、香川県で通っていた病院の女医にもそのことを告げていた。東京には、香川県とちがって輝かしい生活が待っていると信じて疑わなかったのだろう。新幹線の車内で撮った写真が、結愛ちゃんにとって最後のものになるとは誰一人として想像していなかった。
目黒区のハイムは、築40年の2階建てだった。最寄り駅から徒歩15分。一家の暮らす部屋は2階の端にある2DKで、ダイニングキッチンの他に4畳と6畳の部屋、それにトイレ兼脱衣場の奥にバスルームがあった。不動産屋のホームページによれば、家賃は9万円前後となっている。
ハイムに引っ越してきた日、雄大は妻子を温かく迎えた。結愛ちゃんが自分に敬語をつかわずに、笑顔で明るくしゃべりかけてくれたことが嬉しかったという。
だが、すぐに雄大は虐待を再開させる。理由は、自分が家族から離れていた1ヵ月の間、優里が教育や食事制限をしっかりとしていなかったからだった。
引っ越しの翌日、雄大は家でじっとしていた優里にこう言う。
「家でゴロゴロしているのが信じられない。俺がいない間に、結愛が太った。俺の努力が水の泡だ。締め直す!」
そして香川にいた頃と同じように優里に長時間の説教をし、結愛ちゃんに対して勉強を強いたり、食事制限をしたりしたのである。
なぜ雄大はこんな些細なことに我慢できずに怒りを爆発させたのだろうか。実は、ここには彼なりの事情があった。