組織が個人の思いに寄り添えない時代とセミリタイア
今日は少々、ブロガー界隈の話をしたいと思います。テーマはセミリタイアです。昨今、この話題が私の中で熱いのです。
セミリタイア、あるいはアーリーリタイアというのは、一昔前ならばかなりハードルの高い選択だったように思います。
しかし、昨今では急速に広がりを見せています。投資のやり方がネットを通して共有されてきていること、個人のブランディングが容易になったこと、いろいろ要素はあります。
昨今特徴的なのは、能力が高く、組織でも十分やれる人もセミリタイアをしているということでしょうか。
セミリタイアをした、私が知る個人投資家さんはnightwalkerさん、エルさんといった諸先輩方です。ただし、このお二人は50代になってからですので、組織人としてかなり長く勤められてからになります。
私はおおよそ20年組織人として勤め、セミリタイアをしました。そういう意味では、nightwalkerさんやエルさんと同じく、組織の面白さも、悲哀も知っているということになるでしょう。マイナスの感情だけでは、50代、40代まで組織で働くことはできないのです。
また、30歳すぎの三菱サラリーマンさんも7年半のサラリーマン生活を終え、セミリタイアをされました。彼は新卒で就職してから7年半しか経過していません。内定者懇親会の時点で辞めることを決意したという話です。
私はお三方とも会ったことがありますので、どういう方々か多少は存じ上げています。少々生意気ですが人物評価をすると、皆さん頭の回転が速く、協調性があり、組織でも十分やれる方々ですね。
頭の回転が速いので、投資効率も良いのでしょう。こういった優秀な方々が、組織に見切りをつけるというのは、いったいどういう現象なのでしょうか。
学校もすでに個人の思いに寄り添えない場所になっていないか
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私たちが共通して経験する組織は学校ですね。
私の息子は14歳と9歳です。いろいろと関わることがあり、学校行事や学習の内容に触れることがあります。提出物は私がチェックし、宿題は私が見ているのです。教育面談では、私が出席し、怒られています(笑)
見ていて思うのは、これらの学校のコンテンツというのは、行事、学習も含めてほとんど私が子供のころと変わらないということです。
長男の時はさほど違和感を感じませんでしたが、自分がセミリタイアしてから、徐々にこの特殊性に気付いてきました。社会がこれだけ変容しているにも関わらず、同じような教科が続き、同じような行事が続くのですね。
一方で、youtubeやTik Tokで表現する学生がいたり、自ら新たなサービスを立ち上げる学生がいます。
与えられた内容を効率よくこなしていく能力と、自ら考えて切り開いていく能力。両立できれば良いですが、人の能力はそんなに無限ではないですね。そもそも、どちらかの能力でさえ、手に入れるのは簡単ではないのです。
確実に言えるのは学校というのは、個人で生きる術を教えるところではなく、組織で生きる術を教えるところですね。ですから、与えられた能力を効率よくこなしていく能力に優れたほうが、評価される場所です。
学校が、人を社会化するための機関だとするならば、それは極めて効率的に機能していると言って良いでしょう。
しかし、自ら考え、自ら道を拓いていく思いがある学生にとっては、すでに学校はその思いを昇華させるところではないのかもしれませんね。むしろ、その日常は冗長でしかないはずです。
学生だけでなく、サラリーマンも全く同じであるということ
セミリタイアして気づいたことがあります。組織と個人の関係というのは、学校だけでなく、サラリーマンもある意味では同じだということです。例えば、働いている組織ではこういうことはないですかね。
- 印鑑はかならずお辞儀をして捺す
- 組織の提案文書は日付だけ変えて毎年同じものを使っている
- 毎年のようにコンプラやガバナンス関係の注意事項が増える
- 了解しましたと承知しましたの使い分けが厳しい
- 意味の分からない会議が多い
- 一日の仕事の多くが、成果のよくわからないもので終わる
- きっちり細かくやることが、評価される。
- 上席が退勤しないと帰りにくい
- 評価が基本的に時間軸である
こういった仕事にやりがいを感じるかどうかというところですね。年を取ってくると、許容できるようになってきます。しかし、若いうちに他に稼げる手段がある人は、バカバカしくて付き合っていられないのではないでしょうか。学校と同じく、冗長なのですね。
すでに組織は多くの個人の思いに寄り添えない時代
今は非常に社会が高度に複雑化しています。そのため、こういった一見無駄に見えることで埋め尽くされています。しかし、その一つひとつは、自らを守るためにも有効に機能するものですね。面倒でもやっておくと事故が起きた時に、組織で責任を取ってもらえるのです。
ですから、否定ばかりするものではないですね。
しかし、個人で稼げる人にとっては、この冗長さは付き合いきれないでしょう。かつては、思いある個人は、組織でもその思いをもう少し昇華させることができたように感じます。今は厳しいですね。
おそらく、今後も名の知られた投資家やブロガーというのは、今後も組織を卒業して、個人で生きていくようになるのでしょうね。ちょっと寂しくもあり、今のありようをみていると必然とも感じるところです。
こういう世界が見えてくるということですね。
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