香港の抗議活動に関する発言で“偽善者”とされたレブロン・ジェームズと、沈黙したNBA
香港で反政府デモが続くなか、その発言を巡ってNBAのスター選手であるレブロン・ジェームズが批判に晒されている。ときに政治的な発言もいとわないことで支持されてきた男が、一転して“偽善者”扱いされるはめになったのだ。こうしたなかある写真家が撮影した1枚の写真が、渦巻く対立感情を象徴している。
TEXT BY JASON PARHAM
WIRED(US)
NBAで活躍するバスケットボールの超スーパースターであるレブロン・ジェームズは、2018年夏にロサンジェルス・レイカーズへの移籍契約を結んだことで、NBAの方向性を再び大きく転換することになった。それは記憶に残る出来事であり、変化を求め続ける人物として彼を明確に位置づけることにもなったのである。こうしてジェームズはレイカーズを代表する存在となり、ソーシャルグッドという考えを伝道する強力な立場を得たのだ。
2003年にNBAに参加して以来、ジェームズは「アスリートを超えた存在」であることを証明してきた。彼が設立に携わったプロのアスリートを支援するメディアプラットフォーム「UNINTERRUPTED」のモットーが、「アスリートを超えた存在」であるのも偶然ではないだろう。
物議を醸すポピュリスト
NBAで3度の優勝を経験し、最優秀選手(MVP)に7回も輝いているジェームズは、NBAで最も魅力的かつ支配力をもつ才能ある選手だ。そして長年にわたって、さまざまな社会問題に対する自身の立場を誰よりも明確にしてきた。その態度表明の内容は、警察の残虐性、政治、教育、父親として責任など多岐にわたる。
やがてジェームズは、ときに物議を醸すポピュリストへと進化した。ジェームズはNBAを方向づけ、NBA選手のイメージをかたちづくるために、間違いなくほかの誰よりも多くの貢献を果たしてきたのだ。
ジェームズによる本音の発言の一例を挙げよう。昨年、プロバスケットボールを利用して人種の分断を図ろうとしたとして、トランプ大統領をツイッターで「BUM(能なし)」呼ばわりしている。14年には、ニューヨーク市警察に拘束された際に窒息死した黒人男性で6人の子の父親でもあったエリック・ガーナーに敬意を表し、「I Can’t Breathe(息ができない)」と記された抗議Tシャツを、ほかの多くのNBAのスター選手ともに着用した。
最近では故郷のオハイオ州アクロンに、「I Promise School」という名の小学校を開校した。これも、ジェームズが力をつけるにつれて世の中をよくしたいという使命を証明した行動といえるだろう。
バスケットボールのコートで優れた活躍を見せ続けながら、コートの外では社会問題に取り組むジェームズに驚かされるわたしたちの多くは、彼に声援を送ってきた。彼はわたしたちの味方であり、わたしたちも彼の味方なのだ。ジェームズは危険な事態が目前に迫る時代において、緊急に必要とされる人物だったのである。
香港の民主化デモを巡るツイートを巡る議論
ところが、英雄崇拝という奇妙な論理においては、いとも簡単にヒーローが軽蔑の対象になりうる。炎上によって人を過去のものにする“キャンセルカルチャー”がはびこる現代において、ジェームズのような有名人への評価は変わりやすく、不安定になりがちだ。
誰かの取り組みの目的は見えにくくなる。忠義といったものは変化する(少なくとも熱心に目を光らせている人にとっては、より明確になる)。疑念が湧き上がっては溢れ出る──。わたしたちは何が起こったのかと不思議に思うのだ。最初は徐々に、そしてものすごい速さで、ものの見方が傾いていくことに戸惑いを覚える。
この数週間、レブロン・ジェームズをどのような存在であると認識すべきなのか、その根拠が試されることになった。彼は活動家なのか、慈善家なのか、教育者なのか。それともビジネス界の大物なのか、あらゆる変化の原動力なのか。レブロン・ジェームズは実際のところは何を、そして誰を代弁しているのか?
この疑問は軽蔑からではなく、純粋な好奇心から生じたものだ。
ヒューストン・ロケッツでゼネラルマネージャーを務めるダリル・モリーは10月初旬、香港の民主化デモを支持する内容をツイッターに投稿した。この香港での抗議活動は、「逃亡犯条例」に対する全面的な抗議活動として6月に始まったものである。それ以来、香港では集会や座り込み、警察との暴力的な対立まで発生する緊迫した事態が続いている。
のちにモリーはツイートを削除したが、NBAと多くのNBAプレーヤーに非難された。その理由は明らかだろう。NBAの中国でのビジネスは総収益のかなりの部分(約15パーセント)を占めているからだ。ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)などより明らかに進歩的であると常に認識されてきたNBAは、政治的には反対の見解をもっているかもしれない。だが、この問題について公の立場を表明することを拒否している。
標的とされたジェームズ
ジェームズは当初、モリーのツイートについて質問されたとき、それを批判するような意見を述べた。そして失言した可能性に気付き、自身のコメントについて釈明した。その後のインタヴューでジェームズは少し疲れた様子で、この問題についてはもう議論しないと語ったうえで、記者団に「わたしたちは政治家ではありません。これは大きな政治的問題なのです」と語った。
NBAのコミッショナーであるアダム・シルヴァーも、政治へのかかわりを避けようとした。この対応によってジェームズは不公平なことに、一般大衆の嫌悪の標的として取り残されることになってしまったのである。
それでも、この数週間にわたって発生した熱狂的な事態には、正当な理由がないわけではない。ジェームズはNBAの未来であり、多くの人にとってはNBAの良心でもある。正しかろうが間違っていようが、ジェームズがこれまでの発言に対して偽善者とみなされるかどうか(多くの人が彼を偽善者とみなしている)にかかわらず、ジェームズの見解は常に彼に対する攻撃材料として使われる(こんなことを言っても役に立つかわからないが、今回の唯一の“悪役”はジェームズだけではない。この問題に関するNBAの一方的な沈黙は臆病な態度であると受け止められている)。
苦痛に歪む笑顔
ジェームズが動けば、NBAも動く。ジェームズは進歩的で、スポーツ界で必要とされる存在であり、この自由の問題ほど態度を明確にすべき重要な問題はないと考える人もいるかもしれない。
写真家のイヴァン・チェンは、渦巻いている対立感情すべてを1枚の写真に凝縮した。香港の湾仔(ワンチャイ)で開催されたデモで撮影されたチャンの詩的な写真は、現代のひねくれた寓話であるキャンセルカルチャーの皮肉に満ちている。
写真の角度が最も重要だと思う。バスケットリングを通した真っすぐな構図で、ジェームズの笑顔が苦痛に歪んでいるようにも見える。予想外に慣れない立場をとることになった男の見慣れた表情だ。尊敬と戸惑い、そして皮肉が混じり合うなか、わたしたちは見上げる。
フォトフレームに入れられたジェームズの写真が近いうちにそこから落ちることになるのか、落ちて砕け散ったあとで再び元に戻せるのかどうかを考えながら。
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