菊地健志

開き直った「クズ男」、腐り芸人・ハライチ岩井のひねくれ具合

10/26(土) 9:22 配信

「ハライチ」は、若くして世に出た早熟の天才だった。結成4年目で「M-1グランプリ」決勝進出。とくに坊主頭で愛嬌のある澤部佑は個人としてテレビの仕事をどんどん増やしていった。一方で、仏頂面で無愛想な相方・岩井勇気は置き去りにされた。だが、そんな岩井にも再評価の声が高まっている。人の心にズケズケと土足で分け入って核心を突く発言をする「腐り芸人」キャラとしてじわじわ支持を広げているのだ。「俺、クズなんで」−−開き直った男が語るひねくれ理論とは。(取材・文:ラリー遠田/撮影:菊地健志/Yahoo!ニュース 特集編集部)

別に腐ってる感覚はない

「別に腐ってる感覚はないんですよ。ほぼ正論しか言ってないんで。本当のことを言うなよ、っていう世の中じゃないですか。それがもうおかしいですよね」

腐り芸人としての岩井を象徴するのが、彼の口から飛び出した「お笑い風」という言葉だ。ドラマの番宣でバラエティー番組に出る俳優を芸人が持ち上げて、その場限りのお手軽な笑いを生み出す。それは本物のお笑いではなく、それっぽいだけの「お笑い風」に過ぎない。岩井のこの指摘は、今のテレビのメインストリームに馴染めない人たちに大反響を巻き起こした。

だが、岩井本人としては当たり前のことを言っただけだった。一般的なテレビ番組で行われているような「お笑い風」を好む感覚自体がなかった。

「そもそもテレビに憧れてこの世界に入ってきたわけじゃないですからね。今は芸人もお笑い風になってきているときがありますよね。例えば、芸人が別の不細工な芸人に対して『お前の元カノはどんな子だったの? どんなことしてたの?』って細かく聞くとするじゃないですか。で、本人がそれに答えて話したら『いや、誰が言ってんだよ!』ってツッコんだりする。これ、成立してないですからね。全然つじつまが合ってない」

岩井にとって、笑いとは理屈だ。理屈が通っていないものはお笑いっぽいだけの偽物だということになる。核心を突く彼の発言は、聞く側をいや応なしに苦笑いに追い込む。反論は一切許されない。

「反論はされないですね。そこをつぶしながら言ってますから。誰かに正論を言って、そいつが反論するとしたら、そいつ自身が何か傷つかないと俺に文句言えないですからね。誰でも自分の痛みに触れるようなことはやりたくないから、だいたい反論してこないです」

そんな理論武装の鬼である岩井に対して唯一思い浮かぶ反論は「そういうお前はどうなんだよ」ということぐらいだろう。仕事で「お笑い風」を求められて、それをやったことは一度もなかったと言い切れるのか。そう問われたらどうするのかと尋ねると、岩井は不敵に笑った。

「別にやらないとは言ってないですからね。俺、クズなんで。自分が否定したことをやっていたら確かにクズだけど、なんで俺のことをクズじゃないと思ってたんだよ、って(笑)。だまされただろ、って思いますね」

開き直るクズは手に負えない。そう、岩井はいつでも神の視点から絶対の正義を説く。平成末期に起こった爆発的なお笑いブームは、とんでもない化け物を生んでしまった。

澤部に嫉妬したこともない

ここまで話を聞いてみると「相方の澤部だけが売れているから岩井は嫉妬してひねくれている」というよくあるイメージも根本的に間違いであると分かる。岩井はそんな些末なことにこだわる人間ではない。

「澤部に嫉妬したことないですよ。俺、澤部が受けてる仕事、そんなにやりたくないって思いますもん。できないし、やりたくないし。絶対タイプ違うでしょ」

岩井は嫉妬しない。他人と自分を比べることもしない。神の視点に立つ男は、自分という人間さえもありのままに受け止めている。「だいたい何かの真似してるやつが他人と比べちゃうんですよ」と、あっさりしたものだ。岩井は「腐り芸人」という言葉から連想されるような、どろどろした嫉妬の塊のような存在ではない。漆黒ではなく無色透明。透き通っているからこそ、底が見えない。

そんな岩井の内面を映し出しているのが、現在6刷、3万部を超えた初の著書『僕の人生には事件が起きない』である。タイトルの通り、大きな事件など起きない、芸能人らしからぬ地味な日常が淡々とつづられている。そこでは、特に目立つこともしていない岩井が、黙々と小さなことに驚き、怒り、喜ぶ姿が描かれている。文章を書く習慣のなかった彼にとって、それは新鮮な体験だった。

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