日本に行かなくなってから、ちょうど10年経つ。
最も鮮明におぼえているのは、最後の一週間で、
もう日本を引き払おうと決めて、「東アジアの家にしたい」というかつての希望をあきらめて、広尾山と鎌倉と軽井沢とに買ってあった家を売り払って、どんな気分になるだろうか、と自分を観察したら、意外に「これでよかったんだ」という気持だったので、安堵したりしていた。
しばらく帝国ホテルに滞在して、たこ焼きを食べ納めにしたり、モニさんは大好きな鰹のたたきを食べて、モニさんとふたりで、子供をつくるには最適だと認定したニュージーランドのオークランドは、おいしいフランス料理屋やイタリア料理屋が少ないので、極東の国だといっても程度が高い店がある東京のレストランで、毎日遊び歩いていた。
そのときのことは、いまでも楽しい記憶としておぼえています。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/20/hurdy-gurdy-man/
もっともヘリコプターで滞在する、ほんの数日の短いストップオーバーでは立ち寄ったことを、この日本語のブログでも何度か書いたことがある。
何年もたってから日本を再訪すると、記憶と現実がどんなふうに違っているかは、小さいときに日本に住んで、それから10年後に日本を再訪したときに経験ずみで、そのあとも、何年か行かないとおなじなので、驚くことはなかった。
まず空中を走る電線が記憶のなかでは消滅している。
現実の日本では、屋根の上に腰掛けたもののけたちが綾取りでもしているように複雑な電線と電話線が迷走して区画されている空が、記憶のなかでは、綺麗さっぱりなくなっている。
人間がおぼえているよりも、ずっと小さい。
男の人でも肩までなくて、まさか失礼だから声にだしては言わないが170cmちょっとくらいしかないのではないかとおもうくらい、ちいさな人たちが闊歩していて、悪い気持ちはしなくて、なんだかお伽噺の妖精たちの国に来たようです。
全体が、非現実的である。
あとは、人間の数!
記憶のなかでは、だいぶん間引きされている人間の数が、現実には途方もない数で、世界に有名で、いまでは日本観光の目玉のひとつになっている渋谷のスクランブル交叉点や、横浜駅の東口と西口を結ぶ連絡通路などは、ちょっと足が竦んで、急には文字通りの人の波のなかに分け入っていく勇気がでません。
日本の最大の魅力は、シンガポールと香港がパラダイスの様相を呈してきた、ここ数年に至るまでは、世界でただひとつ「他とまるで異なる都会」だったことで、これも世界に有名な自動ドアがついたタクシーのような誰の目にも明らかなギミックから始まって、ゾンビーが入ってこれないように家具をつみあげて体重をつかってドアを押さえていると、あろうことかこちら側でなくて向こう側に開いてしまうドア。
どんな世界の常識を動員してもドアに向かってしゃがむはずなのに、
よくよく聞いてみればドアにお尻を向けてしゃがむことになっている和式のトイレ(←なぜ?)から始まって、個人の自由などまったく求めていなくて、秩序と表面のなごやかさを好む人間の心性に至るまで、なにからなにまで、故意のように逆さまで、めんくらうことも多いけども、毎日がびっくり仰天の連続で、一年や二年は、ぶっくらこいているうちに、あっというまに経ってしまう、世界最大で、世界で最も手が込んでひとを食ったアミューズメントパークであることでしょう。
楽しい町なんですよ、東京って。
大阪も京都も楽しい町で、ブッカー賞をとったイギリス人の作家は、金輪際大阪から離れたくなくて、「おれは大阪のいかれた、鉛の匂いがする空気がないと霊感がわかないのだ」と述べていたが、いまのようにすぐに情報が伝播されるわけでなかった1950年代や60年代の昔には、オオガネモチたちは、東京がめっちゃ楽しい町であることを端から知っていて、エバ・ガードナーは夫のフランク・シナトラの目を盗んで、パイロットの愛人とエッチしにやってきたし、シャーリー・マクレーンに至っては、ベル・エアに住んでいるふうを装って、渋谷の、たしか松濤に家を買って住んでいた。
ずっとあとになっても、飛行機が大嫌いだったはずのデイビッド・ボウイーがお忍びで、東京にボーイフレンドに会いに来ていたようでした。
訪問には最高だが、住むには適さない、と自分自身でも他人に訊かれると答えるが、よく考えてみると、数年住めばうんざりな町など世界中に、わんさかあるので、取り立てて東京がひどいわけではないのかもしれない。
悪い方は、人間性が俗にいう「下衆(げす)」を極めるところで、例をあげれば、普段ネット上の発言などを読んでいて、「このひとは、まともな人なんだな」と思っている人でも、大坂なおみさんが2020年のオリンピックに際して日本国籍を択ぶと、「やっぱりアメリカでは競争がきびしすぎるから」「あれほどのプレーヤーでもアメリカでは生きていく自信がないのでは、自分にはアメリカ暮らしは到底むり」と述べていて、ぶっくらこいてしまう。
「日本人として誇りをもってるのだな」という最もシンプルで納得できそうな理由を挙げている人がひとりもいなくて、シャープ製の人間打算機は、21世紀に至って、日本人の思想として無意識の層にまで根をのばして定着しているのがわかります。
なにごとも計算計算計算で、自分で言っていても疲れたが、倫理をもたないと決めて立国した国は、なるほど最後は、こんなふうにまでなって、いったいなぜだ、なぜこの国はダメになっていくいっぽうなのだ、と傍からは一目瞭然の理由が見えないまま、ゆっくりと沈没していく。
まわりを見ても、ほとんどの場合、「わお、わお、わーおー」で始まって、まるでジェットコースターに乗って通勤しているような、興奮が一刻もさめない数年のあとで、日本人の友達に理由を訊かれても、答えないで、そっと故国へ帰っていくのは、この「下衆」の蔓延にくたびれた結果である人がほとんどだった。
ここでは下衆というが、考えてみれば、西洋人は倫理のような余計なものをもっているから日本人の下衆ぶりがたまらないので、なにをそんなに怒っているのか、現実にも、ほとんどの日本の人は理解できなくて、きょとんとしている。
ひどい人になると「西洋人は気難しくて怒りっぽい」という風説をなす。
日本人の側からは倫理なんて、そんなくだらないもの、なんでいるのかピンとこないし、よいことをしなさいって、ガイジンって偽善者だよね、一日一善で、笹川財団じゃないですか、右翼なのか、あっわかった歴史修正主義者だな!と考えている。
いつかツイッタで理由をタイムラインに集まってきたみんなで考えていて、ついに日本語にはそもそもintegrityを始めとして、社会倫理を考えるための語彙が存在しないことに思いが至って、日本語人もそうでない人も、みながボーゼンとすることになった。
言葉がないもん、考えられまへんがな。
では何によって社会のとどまるところをしらない腐敗を止めるか、この次に日本語を立て直すチャンスがあれば倫理語を訳して導入するなりなんなりするとして、いま火急にはどうすればいいか、
みなでデコをあわせて考えて、どうやら日本人の美意識を建て直せばいいのではないか、それがいちばん早いか、と述べていたら、不破大輔という天才ベーシストの向こうから、小西遼や小田朋美のかっちり音楽が聞こえてきて、あ、今度は戦前のむかしと違って音楽の加勢もあるのだな、と少し光が射してきたところでした。
もう日本を再訪することがなさそうなのは、自分の気持ちを観察すればわかる。
痛ましい気持が先にたつというか、人間の人生なんて、正味は14歳から50歳くらいまでの40年足らずしかないので、日本がやがて若い世代を中心に建て直しに向かって、再生されるのは、あたりまえだし、疑いの余地はないが、だいたい50年はかかるのは、これも当然で、付き合っていては自分は地面の6フィート下で眠ることになる。
せっかく友達が出来たのだから、日本語の友達と、お互いに巡り会ったのを喜びあって、それだけにするのがよいようです。
言い訳じみているが、なんのためなのか、手の込んだ嘘や他人を陥れるために熱中する人たちにことの初めからつきまとわれてばかりで、「そっちに行ってはダメだ!」を声を限りに叫んだつもりでも、ひとにぎりの人が耳を貸してくれただけで、10年前に述べたとおり、原発事故は起こり、捕鯨が原因で日本は南太平洋に確固としてもっていた影響力と尊敬を完膚内ほど失って、こんどは南太平洋諸国に限らず、国際的な「ならずもの」イメージを強めていった。
ただ一国日本を理解する能力をもつ兄弟国の韓国へのやっかみは外交問題に発展して、心配した尖閣諸島の国有化は起きて、将来、台湾問題が片付いたあとの中国に日本コントロールのおおきな足場を与えてしまった。
原発事故処理にしても、それまで、日本の友達と話してきた日本人の悪いところが全部でてしまって、最悪の処理方針に至った。
まだ核心の問題は露見してはいないけれども、やがては、やっぱりこれと再軍備が日本人の民族としての命取りになってゆくでしょう。
もう姿も霞んでいるような、遠くの、かすかにしか存在を感じない国になったといっても、日本語だけは、不思議なことにまだおぼえている。
一日、起きていて、なにかといえば、すきさえあれば日本語を使うように心掛けているせいもあるとおもうが、日本の人は判らないが、日本語は注釈語としての出自が幸いした、世にも美しい感情表現ができる言語で、その魅力に、いちど取り憑かれたものは、なかなか捨てられない。
日記や、違う方角からいえば「平家物語」のような軍記ものさえ、あれほど格が高く、調子も描写も美しいのは、それが日本語であるからで、そんなことは、訳者は優秀であるのに、退屈を極める英語版の「平家物語」を読めば誰にでもわかる。
漱石のように地べたに近い記録よりの散文ですらそうで、鮎川信夫や岩田宏、岡田隆彦、西脇順三郎に至っては、日本語がわからない人間が日本語を知ったら地団駄を踏んでくやしがる、不可能状況が思い浮かぶほど、ことほどに、そうである。
西洋語が神が語り出して成立したものであるとすれば、日本語は女神が書き出した言語で、やさしくて、凪の海のように輝いて、言語全体にやわらかなそよ風が吹いている。
一方では、日本語は世界で最も虐待されている言語で、とうの日本人が言語といえないほど用法をボロボロにしてしまって、日本語で世界を説明するのは難しくなるいっぽうだが、これは、どうやらテレビと言語民族を挙げてテレビ中毒の国民習慣によるらしいが、考えて観ると、自分の日本語はだんだん日本人のメジャー日本語とは分離して、自分だけの孤独な言語になっている。
日本語がつくる、一行一行の感情と思想の線は、やがて消えて、英語の大海にのまれていくでしょうが、自分の奇妙な孤立日本語だけは瓶につめて、死ぬ前に、浜辺から沖合へ向かう潮流に流しておこうとおもっています。