若い人の文章を読みながら「おいおいおい、大丈夫かよ」「まずいんじゃない」とはらはらすることがある。結論がはっきり伝わってこないのだ。その要因の1つは日本の伝統的な国語教育の影響ではないかと思っている。
読むのに疲れるエントリーシート
「皆さんの書いたエントリーシートは読みたくありません」
「読むのに疲れます」
受講生五十人の学生の百の瞳が大きく見開き、一斉に私に集中した。事前に読んだ彼らの労作に対し、感じたことを率直に言った時だ。
全身全霊をかたむけ、一心に集中して一生懸命書いたのだろう。その気迫は行間からひしひしと伝わってくる。しかし、問いかけに対する「答え」が、読み手にはストレートに伝わってこない。だから疲れる。もったいない。「あと一工夫できればいいのに」と感じてやまないのだ。
そのことを話すと、皆、大きくうなずいている。本人たちも内心ではうすうす伝わりにくいことを感じているのだなと理解できた。
上手く書けないのには、大きく分けて二つの問題がある。
先ずその一。
起承転結は必要ない。捨てよ
例えば「当社を希望した理由は何ですか」
私だったら
「○○○の仕事がしたい。貴社は技術力、収益力が強く、報酬が高い。いい仕事をすれば報いられ、やりがいがある」といった内容のことを率直にストレートに書くだろう。
が、学生諸兄の書き方は、会社を知った経緯とか選んだきっかけとか、何しろ前置きが多いのだ。わかりにくい理由はここにある。同席した就職活動をサポートするベテラン教官たちも同じことを指摘していた。
何故なのだろう。
日本語の伝統である「起承転結」の影響ではないかと思っている。
昔々、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。・・・・・。川に流れてきた桃を家に持って帰り、開いてみると元気な男の子が出てきました。桃太郎と名付けました。......「起」
やがて男の子はすくすく育ちました。......「承」
ある日鬼退治に行くことになり吉備団子をお腰につけて出発しました。...... 「転」
鬼ヶ島に行き鬼を退治しました。めでたし、めでたし。......「結」
昔から日本の子供たちが絵本で読んでもらう代表的な童話である。幼稚園のお遊戯の定番演目でもある。
そしてこの話の進め方が、書き方が上手な文章の手本ともされてきた。中学、高校に進むと試験も多い。国語の試験問題に起承転結で書いた文章がよく題材にされる。
起承転結文化にすっかり馴染んだ学生諸兄がある日、就職活動にはいる。限られた小さな欄の空白を埋める瞬間、どう書くかはたと悩む。意識しようとしまいと、結論をはっきり先に書こうと思わせない心理作用が何かあるのだと思う。