今日は…
テーマ:My life
父の命日。
もう4年になるなぁ。
台風直撃の日に命日ってのも凄い。
こっちは特に被害は出てないけれど、各地で既に被害が出ているよう。
災害となると自粛ってなりがちだけれど、あたしは特にそうしない。
いつもと変わらず、書こうと思うものを書く。
あたしが知らないってだけで、いつも地球の何処かでは、事故や争いで亡くなる人、災害に巻き込まれる人、病や飢えで苦しむ人がいる。
それでもあたしはそれに気付くことなく、日々それなりに生活している。
世の中ってそんなもの。
生きるってそういうこと。
他人の困難や苦しみの全てを知ることなく、何事も無いかのように暮らす。それが人間の姿でもあるでしょう。
どんなに自分が苦しんでいても、どんなに誰かが苦しんでいても、それを本当に理解して寄り添える人はとても少ない。
だからあたしはいつもと変わらない日常を送れる時は送るの。
勿論、備えはするけどね。
それにしても…。
今日こんなことが分かるとは。
自分の人生は色んな所で繋がっていたんだなと思わされる。
あたしは過去世の記憶が無いけれど、いつかのあたしを思い出すものは、人生の中に幾つも転がってたみたい。
父の死もその一つだったのね。
昨日、玄師の文章を読んだ時、これ…クレオパトラの時のあたし?と思ったりした。
父のことが頭によぎる。
ああそっか。
父は、かつてのあたしを見せてくれてもいたのかと思った。
性格が違うから全く同じでは無いけれど、自分が大事な人達を苦しめてると思っていたところは、恐らくかつてのあたしと重なる。
やり合った人達との事で酷く苦しんだ時、あたしは自分をすごく責めていた。
彼らのしたことに怒りを感じるよりもずっと、自分を責めていた。彼らと関わっていたという事実は絶対的にあったことで、よーへいのコメント欄に書き込んだという事実も絶対的にあったことだったから。
彼らがどうこうの前に、自分自身の行動が生んだ結果でもあるのだと、あたしは自分を責め続けた。
長男が上手く対処してくれたことで、真由美(いいま)の件は落ち着いた。長男があたしを信じて対処してくれていなかったなら、あたしはもっと酷い状態になっていた。
守りたかった存在にむしろ救われてしまった。
その罪悪感も自分を責める要素になっていた。
父は自分の心をコントロール出来なくなって、家族に迷惑をかけてしまっていることを、とても苦しく思っていたんだろう。
楽になることが大好きだったはずなのに、最後の言葉は家族を想い、家族を楽にしようとするものしかなかった。
あたしは父に死が迫っているのを知りながら、引き止められなかった。このままだとまずいと知りながら、どうすることも出来なかった。
でもそれも、今は父が残してくれた手紙だったのだろうと思ってる。
その頃のあたしには、今のような現実がくるなんて分かってなかったから、父がそっとね…。残していってくれたんだろう。
残してくれたのがかつてのあたしの姿だったってところが、いや〜な感じではあるけれど(涙)
まあでもね、これも知らなきゃならないんだよね。
だって、お二方は…過去世知ってるんだから。
三人とも忘れてたら別だろうけど、二人とも覚えてるわけだから、今までの流れを考えると…死んだ時のことも思い出してね!ってことになる(天からの声)。
クレオパトラだったってだけで最初は凄く恥ずかしかったのに(やたらと有名だから)。
もうそういう次元の話じゃなくなった。
玄師のことも、よーへいのこともあるけれど、あたし自身はどうもクレオパトラの頃のことが一番ネックになっているらしい。
そこが解消されないとダメならしい。
あーだからか。
さっき、勝博と典子の文句を書いたのは!
無意識の意識ってやつだね。
彼らの存在で、クレオパトラの時は出だしから大変だったから(泣)
息子ら二人を体張って守ろうとしてきたのも、クレオパトラの頃のことが影響してるんだろうね。
戦国時代で彼らも個々で成長してるから、一方的に助けられるっていう存在では無かったけど、あたしが親として生まれたのには、クレオパトラの時のことが影響してるんだろうな。
やだなー。
どんだけ影響…。
知らないってのは気楽だよね。
引っかかるのは、アントニウスのこと。
彼が誰なのかっていうよりも、彼の自殺を自分のせいだと思っていたなら、父の時とちょっと重なる。
まさか、うちのおとんがアントニウスってことはないだろうから(ありえない〜)、全く同じだとは思わないけれど、自分が彼を追い詰めてしまったとか思ってはいたのかもしれないな。
やだなー。
生きるってなんだろうなー。
別に深い意味で書いちゃいないんだけど、クレオパトラの頃のことで分かったことをざっと思い返すと、生きるってなんだろうなーって言葉が勝手に出てきた。
自分は出来れば楽したいし、のほほんと暮らしていたいし、毎日が気楽だったらいいって思う。
怪我したり病気になったりはあっても、生活出来るお金と場所があったなら、まあまあ幸せだよね?って思う。
そういう何処にでもあるような日常の中に、一緒に笑える人がいたなら、なんだか良いなぁと感じる。
そんなもんだ。
だけど、クレオパトラの頃を見返すと…全然違う!
あたしの望んでるのってかなりささやかなものなのに、全然違う!
どうしてこうも違う!?と思うくらい違う。
クレオパトラって派手な生活してるっぽく語られているけれど、別にそんなものを望んでたわけじゃなくて、穏やかな日常を望んでたんだよね。
だけど、そんなささやかなものすら手に入らなかった。
じゃあ、その原因は何?と考えると、勝博だったり、典子だったり、ななこまだったりした。
かつてのあたしは自分を責めたかもしれないし、今回のあたしも以前は自分を酷く責めたけれど、どう考えても彼らの行いは悪い。
それでも自分を責め続けてしまったのは、自分自身の行為そのものに責任を保とうとする気持ちがあったから。
客観的にその頃の自分を見てるとそう思う。
たとえ相手に非があっても、結果には自分の行動も含まれているからね。
だけど彼らは責任どころか自分を振り返ることすらない。振り返ることなく執着だけし続ける。
それに対する怒りや憤りが、現世のあたしを作ってもいたんだね。
玄師やよーへいに対する気持ちが中々出ない原因の一つはそれだ。
怒りや憤りだね。
ムカつくと元気100倍ってやつ。
これが不味い。
じゃあどうするか?ってことになるわけだけど。
やっぱりあれかな。
お茶飲んでゆっくりしてるから、迎えに来て!かな?
いやいや。これは違うなぁ。
これだともうホント縁側のおばあちゃん。
今思いつく一番は、甘えることかな。
玄師の音楽を聴いてゆらゆらしてる。調べる。
よーへいとエネルギー循環してホッとする。
そういうのが一番いいっぽい。
あとは…結構楽しいのが、ここで何となく詩とかを書くこと。
文章を書くのも良いんだけど、それよりそっちが好き。
昨日は二人に感じたことを詩にしてみた。
自己満足の局地なんだけど、それがとても心地良い。
誰かに伝えたいってものじゃなくて、自分の心の記録みたいなもの。
日記かなぁ。
本当は紙に書いておけば良いんだけど、こっちの方が楽だからついね。
一度紙に書いたんだけど、結局こっちに戻るんだよ。楽だから。
5ちゃんねるの人達はあたしの詩を馬鹿にしてたけど、別に人に読ませようと思って書いてるんじゃないんだけどな。
まあ、読んでもらっても構わないけど。
特に恥ずかしくないし。
楽しいよ。とても。
こっちも結構雨が降ってきた。
まだ酷くは無いから思うことだけど、雨が屋根をトントンする音は好き。
外出時の雨は困るものの、雨の音って結構好きなんだよね。
なんか、あったかい。
自然の音っていい。
流石に…暴風雨となると怖いけどね。
もう自分を責める自分はいらないな。
あたしは悪くない。
悪くなかった。