まもなく終わる「平成」。東京都の「平成」を振り返ると、それは臨海副都心を中心とした臨海地域の開発に翻弄された時代だったとも言えます。来年に迫ったオリンピック・パラリンピックの競技施設や選手村が集積し、大きく変貌した臨海地域。「令和」の時代にむけ、都が思い描いた“未来型都市”は完成したと言えるのでしょうか?
「臨海副都心開発事業化計画」(平成元年4月)。平成の始まりに、当時の鈴木俊一知事のもとでまとめられたこの計画で臨海地域の開発は本格化していきました。
台場・青海・有明からなる臨海副都心の約450ヘクタールの広大な土地に、『21世紀初頭までに6万人が住み、11万人が働く未来型都市をつくる』。バブル経済で地価が高騰する中、広大な埋め立て地にまちづくりの活路を求めたのです。
ところが、まもなくバブル経済は崩壊。鈴木都政を引き継いだ青島幸男知事は、臨海副都心の起爆剤とされた「世界都市博覧会」の中止を決断します。
平成9年以降、計画は順次見直され、居住人口は4万4500人、就業人口は8万9000人に下方修正されましたが、その後も開発は思うように進みませんでした。
石原慎太郎知事の時代には、開発の中核を担ってきた都の3つの第3セクターが巨額の負債を抱えて経営破たんする事態にも陥りました。
臨海副都心の開発に、都と国が投じる事業費全体は2兆1800億円に上る見込みですが、平成29年の居住人口は、見直し後の計画の35%の1万5630人、就業人口は63%の5万6000人にとどまっています。
臨海副都心は、経済や社会情勢が激しく変化する中で、大型開発を進めることの難しさを示す象徴となりました。
そんな臨海副都心の救世主となったのが、東京オリンピック・パラリンピックでした。
臨海副都心を含む臨海地域に多くの競技施設が整備され、選手村は大会の終了後、マンションなどとして再利用し、1万2000人が暮らす街になる計画です。今年5月をめどに分譲住宅の販売が始まる予定ですが、「すでに多くの問い合わせが寄せられている」(開発担当する会社)と言います。
都は、臨海地域に住む人がさらに増えると見込んでいて、平成の終わりを迎え、都が思い描いた“未来型都市”がようやく完成するかのようです。
しかし、臨海地域は、都心との間を直接結ぶ交通手段が少なく、人口の増加に対応できないのではないかと懸念されています。
都は、臨海地域と都心の間で、2台の車両をつなげる「連節バス」などを使ったBRT=バス高速輸送システムを運行する考えですが、地元からは新たな地下鉄の整備を求める声もあがっています。そうなれば、さらに巨額の投資が必要になります。
また、大手町、日本橋、虎ノ門など利便性の高い都心で再開発が進み、新たなオフィスビルやマンションなどが相次いで完成しています。臨海地域がこうしたライバルとの競争に勝ち、企業や人を集めることができるのかという課題にも直面します。
都は、臨海地域の将来像「東京ベイエリアビジョン」を今年中にまとめる予定です。
時代に翻弄されてきた臨海地域。その新たな街が見え始めた今だからこそ、都には現実的な計画に見直していくことが求められています。