「勇者パーティーから追放されたので、復讐した」系や、「会社でリストラされたが異世界で活躍」系。
あれを見ていて、どうしても感情移入できなかったんだが、pornhubを見て思想に耽っていたらその理由が分かった。
単純に、「別の場所で自分が嫌だった構造の再構成を試みようとしている(ただし今度は自分がリストラする側)」からだ。
虐待された子供は、自分が親になった時同じように自分の子供を虐待する恐れが高い。
それはすなわち、「自分が虐げられる側だった」事にコンプレックスを持っているので、
逆に今度は自分が虐げられる側になってそのコンプレックスを解消しようとするからだ。
これが俗に言う憎しみの連鎖で、だからこそ復讐は何も生まないと言われる所以。
例えば社会生活で上手くなじめなかった人間は、別の場所で自分が活躍できる場所を探すと、そこにその社会生活の再現を試みる。
MMOゲーム内(例えば黒い砂漠とか)で偉そうにしている人は、現実だと虐げられている部下だったり、バイトだったりする。
ゲーム内で同じように上下関係を構築し、低レベルに対して異常なノルマを課したり命令したりするのは、そのコンプレックスによるものだ。
「昔いじめられていた」系のストーリーを話すtwitterの起業家でも、内実はブラックだったりする。結局その構造の再構築を試みているに過ぎない。
twitterのADHD、ASD界隈でも、他人に性行為をしたことを自慢したり、上下関係を作ってルールから逸れた行動をした人間をつまはじきにしたり、
やってることは変わらない。同じコミュニティ内で自分が嫌だった事の再現を試みるのだ。
話を元に戻すと、本来その「リストラされた側」がすべきことは、その構造を破壊し、その間違いを実証することなハズだ。
自分を理解しようとせず、認めてくれなかった社会の根本そのものを変えようとすることなはずである。
るろうに剣心の主人公が素晴らしいのは、「所詮この世は弱肉強食」を否定し、「強い事はイコール正しいわけでは無い」と言い切ったことである。
結局復讐系なろう小説がやろうとしている事は、「弱いものは必要ない」という事の再生産と補強であり、そこに進歩も成長もなく、意味はない。
復讐系なろう小説を見てると。どうしても感情移入できず、主人公に自分を虐げてきた人の影を重ねてしまうのだ。不快に感じてしまうのだ。
水戸黄門の印籠見せたら吐きそうな増田
別にそこまで強烈に感情移入しなくてもと思うけど、 追放ものでも 「特に復讐とか考えてなかったけどたまたま結果的に復讐する形になった」 というパターンを取ることが多いのはそ...