表題の通りです。不正確な描写があまりに多いことに、非常な憤りを感じます。以下、誤りを列挙していきます。
メロスは激怒した。→メロスは激怒しなかったというのが、最近の研究により明らかになってきている。
必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。→かの邪智暴虐の王はマルゴニウス3世に比定されているが、彼は善政の評価が高い。
メロスには政治がわからぬ。→残された書簡などから、メロスは高度な教育を施された知識階級であり、政治がわからないということはあり得ないとも言われる。
メロスは、村の牧人である。→メロスは村の牧人であるというのは18世紀のグーテンベルク写本で付け加えられた創作であり、実際には司祭の息子であったという説が有力だ。
笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。→当時の牧畜に笛を用いる習慣はなく、羊が伝来するのは3世紀にカタロニアとの交易が始まってからである。
けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。→哲学者ペリキュトスによれば、この頃のシラクス人は自他未分離の状態にあり、「邪悪」なる概念を持っていたかについては疑わしいという。
きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此のシラクスの市にやって来た。→シラクスの市から十里の地点はいずれも海か山奥であり、牧畜ができる土地ではない。
メロスには父も、母も無い。→広範な支持を集めてはいないが、メロスの父は遊牧騎馬民族ベトゥの長だったという説がある。
女房も無い。→メロスには内縁関係にある女性がいたことが書簡研究よりはっきりしている。
十六の、内気な妹と二人暮しだ。→妹が内気な性格として描かれるのは、後のカッサンドニア朝が支配の正統性を主張するためにわざと歪曲したためであり、実際は快活な性格だったというのが通説だ。
この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿として迎える事になっていた。→当時の身分制から考えるに、妹が牧人と結婚するのはあり得ない。
結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。→当時の旅行家マルケリウスによる紀行文『シラクス』によれば、シラクス人には結婚を儀礼とみなす発想はなく、それゆえ花嫁衣裳や祝宴といったものも存在しなかったという。
先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。→シラクスの市は迷路型の都市であることが遺構調査から分かっており、大路は存在しない。
メロスには竹馬の友があった。→竹馬が中国より伝わるのは17世紀になってからである。
セリヌンティウスである。→セリヌンティウスとされる肖像画は装束など歴史的整合性に欠ける部分が多く、実際には平清宗を描いたものではないかとも言われている。
今は此のシラクスの市で、石工をしている。→石工業はフリーメイソンに掌握されていたため、セリヌンティウスは実際には石工ではなかったと考えるべきだ。
その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。→本当に友かどうか怪しいものだ。
久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。→本当に?
歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。→精神衰弱の症状ではないだろうか。
ひっそりしている。→主観でものを語らないでほしい。
もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。→言語能力が幼児化しているぞ。
のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。→のんきを免罪符にするのはのんきな人に失礼だ。
路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈だが、と質問した。→質問は質問専用のスレッドでおこなって欲しい。ローカルルールをちゃんと読め。
若い衆は、首を振って答えなかった。→若い衆って書くとなんかヤクザみたいだよね。
しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。→弱い老人には強く出るメロス、クズの極みである。
老爺は答えなかった。→困っても誰も助けてくれない、東京砂漠のようだ。東京には空がない。
メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。→BLっぽい。
老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。→BLっぽい。
どうですか、最初の段落だけでもこれだけの誤りが存在します。我々はこれからも走れメロス警察として、描写の誤りを糾弾していこうと思います。