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【国際】

<引き裂かれた香港>(下)勇武派 覚悟の抵抗 応じぬ政府

20日、香港・九竜半島の警察署前で、警察が発射した催涙弾を投げ返すデモ参加者

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 香港・九竜地区の繁華街で二十日夕、三十五万人(主催者発表)が参加したデモが終わりに近づくと、全身黒ずくめの「勇武派」と呼ばれる若者たちがあちこちで道路のレンガをはがし、ごみ箱などでバリケードを築き始めた。警察は放水車で若者を追いかけ回し、催涙弾を放つ。催涙ガスの白い煙が街を覆い、ファストフード店の中でも飲食客が激しくせき込んでいた。

 「催涙弾はいくつ消してきたか分からない。手袋をして投げ返すこともある」

 ひょろりとした長身で茶髪の大学二年の男性(19)は、警察と対峙(たいじ)する勇武派の一人だ。ガスマスクやヘルメット、マスクを装着し、互いの身元を知らないことも多い。香港メディアは勇武派は約二千人と推測するが、男性は「一、二万人くらいではないか」と話す。

 男性は七月以降、催涙弾やゴム弾を防ぐための盾を持って最前線に立つ。足が速いため、他の参加者と相談してこの役割になったという。警官に警棒で殴られたり、催涙弾の直撃を受けたこともある。「もちろん怖い。警察に追い掛けられる夢でよく目が覚める」。逮捕されそうになり、間一髪で逃れた経験もある。

 なぜ過激な手段もいとわないのか。男性は「(香港返還から)二十二年間、平和的なデモが行われてきたが、何も得られていない」と話す。香港政府のトップを選ぶ行政長官選挙では、普通選挙が実現しないばかりか、中国の介入で権利や自由が奪われていくと感じる。銀行や地下鉄を破壊したときも「強い怒りからやった。家に帰ってテレビをみてもやりすぎたと思わない」と振り返る。

 デモ参加者には「各自の努力で山を登ろう」というスローガンがある。同じ頂上を目指すが、それぞれの登る道は自分で決め、互いに尊重するという意味だ。

 元警察官の女性、邱〓珊(きゅうぶんさん)さん(36)は「和理非(平和、理性、非暴力)」を掲げる穏健派で、七月に十年以上勤めた警察に辞表を出し、十一月下旬の区議選に立候補した。区議選は一人一票で選ばれ、香港で最も民主的な選挙とされる。市民への暴力を加速させる警察に「失望した」と話し、勇武派の行動にも一定の理解を示す。

 邱さんは「(抗議デモの発端となった)逃亡犯条例改正案は四月から反対の声が上がっていた。政府は早い時期から耳を傾けるべきだった」と憤る。

 だが林鄭月娥(りんていげつが)行政長官に市民の訴えに応じる気配はない。十六日の施政方針演説は、デモ参加者の要求にはほとんど言及せず、公共住宅の拡充などに終始。香港英字紙、サウスチャイナ・モーニング・ポストは一面の見出しで「政治を住宅の問題にすり替えた」とこき下ろした。

 十月に入り、警察の発砲でいずれも十代の二人が重傷を負う事態も起きた。勇武派の男性は言う。「最初は恐ろしかったが、今は覚悟を決めた。まだ耐えられる。絶対に引かない」。抗議活動は五カ月目に入ったが、なおも出口が見えない。 (香港で、中沢穣、写真も)

※ 〓は、さんずいに文

 

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