帝王切開急増 6月11日

帝王切開での出産が、この20年で倍増している。日本の出産事情の大きな変化が、その数字から見てとれる。1984年には全体の7.4%だった帝王切開が、2002年には出産全体の15%を超えた。医院が11.8%であるのに対して病院での帝王切開率は、17.9%にものぼる。ハイリスク出産である高齢出産が、帝王切開の割合を高めていると同時に、近年は、産婦人科医の不足という医療側の深刻な状況がその背景にある。出産時間のコントロールが増え、例えば助産院では出産のピークは日の出に近い午前6時前後であるのに対して、病院での出産時間のピークは、午後1時~2時、しかも土日の出産が極端に少ないという現実がそこにはある。

産婦人科医不足が、結果的に産婦人科医に自然分娩を敬遠させ、そんな医師の思惑が妊婦に伝わり、痛みへの恐怖も相まって帝王切開を選択する妊婦が増えている。一番ダメージを被っているのは、他ならぬ赤ちゃんだ。スムーズな自然分娩が、赤ちゃんにとっても妊婦にとっても、最も負担の少ない方法であることに相違はない。陣痛促進剤などを使用し、出産の時間をコントロールされる赤ちゃんは、言葉を発しないだけで実は大きな負担を強いられている。本来、難産や逆子、胎児の心拍数が低下した場合に踏み切る帝王切開を、なんら問題もないうちから安易に選択する現代の出産事情を、私たちはこのまま看過しても良いのだろうか。

2005年の医療事故の1割を占める産婦人科領域において、医療事故・医療過誤を避けたいという医師の心理が、結果的に妊婦に帝王切開を選択させていると専門医は分析する。帝王切開は、医師にとって、精神的にも肉体的にも楽。しかし、自然に産まれようとする赤ちゃんの生命力が、恣意的に左右されていることもまた事実だ。そして、帝王切開が紛れもない外科手術であることも、忘れてはならない。妊婦は、安易に帝王切開を選択すべきではないし、医療サイドも、病院の事情を妊婦に押し付けてはならない。誰のための出産なのか。出産の主人公は誰なのか、妊婦も医師も、今一度考え直す必要がある。

自然分娩は、病院に最低限の利益しかもたらさない。しかし、何らかの事情で帝王切開に踏み切ると、診療報酬は上乗せされる。産婦人科医不足が、実は、新たな医療費のムダ遣いを招いていることに、厚労省も気付かなければならない。本当に必要な帝王切開であるのか、そうでないのか、レセプトのチェック機能も問われるところだ。比較的労働環境に余裕のある診療科に、医師が集中してしまうことは自然の摂理だ。厚労省は、診療科ごとに医師が偏在しないように、工夫する努力を怠ってはならない。医学部の卒業試験や医師国家試験あるいは適性等を考慮することによって、診療科および地域間の医師の格差を是正することは可能だろう。

特に産婦人科領域においては、助産師の育成に重点を置き、出産・育児経験のない親たちが社会から孤立しないよう、気軽に相談できる信頼のおける街角助産師を輩出していくことは、喫緊に課せられた国家の使命だ。優秀な助産師は、日の出とともに誕生する命を、ありのまま受け入れ歓迎してくれる。赤ちゃんはペットではない。誕生する命に敬意を表し、確固たる人格を形成し社会に送り出していくことは、親をはじめかかわる全ての大人の責任だ。その最初の難関である出産で、大人が半ば責任を放棄してしまっては先が思いやられるというものだ。本当に必要な場合を除き、易々と帝王切開を選択することないように、医師は責任を持って妊婦に指導・助言をしなければならない立場にあるのだ。医師のほうから、暗に帝王切開を選択させるような説明があっては、決してならないのだ。そして何よりも、赤ちゃん本位の施策が、厚労省には求められるのだ。
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