10月初めに著者の及川さんより「ソフトウェア・ファースト」を送っていただいていたのだが、つい先日まで仕事が立て込んでおりずいぶんと読み終わるのが遅くなってしまった。極めて良著だった。
とりわけ私にとっては、問題意識や取り組みの方向性があまりにも自分と一致しすぎていて、「いや、本当にそう。それでいまこういうことをやってるのよね。」と一致の程度が高すぎて読んでいてところどころで共感の気持ちが声として漏れ出てしまう内容であった。むしろ違和感があまりにもなさすぎて、危険だとさえ感じた。共感の程度が高すぎると、自らが肯定されたような気分になり、このままで良いのだろうかという迷いから生まれる自省的考察から自らを遠ざけることがあるからだ。
私がクレディセゾンに来たのはまさにこれが理由だ。
自分でアプレッソといベンチャーを立ち上げてきたし、DataSpiderというプロダクトも生み出した。だが、あるときから、「やはり日本の大企業が短期間にデジタルへと変化していくことにこそ意味がある」と考えるようになった。だから私は3月にクレディセゾンのCTOになり、新しいチームを立ち上げ、9月には第一弾として「お月玉」という新サービスを作った。
だがひとつ違いがある。それはアプローチの違いだ。
私は、セゾン情報の時にも、クレディセゾンの時にも、「経営者として自ら中に入り、中から状況を変えていく」ことにこだわりを持って会社経営をしてきた。出島戦略を取ってデジタル子会社をつくるような「外部からの改革」ではなく、内部に入り、既存事業と正面から向き合い、ぶつかることがあっても対話し、手を取り合うことでこそ既存事業のアセットをフル活用したデジタル化が実現できると考えているからだ。
だがこのやり方には弱点がある。それは再現性とスケーラビリティーだ。ひとつの事例をつくることはできても、それ以上のことはできない。それに、説明責任の点ではある意味楽なところもある。結果を出してしまいさえすれば良いからだ。「なぜ」を言葉を尽くして説明することが必ずしも必須ではないのだ。
だが及川さんは、私が挑戦しているのとはまったく別次元の挑戦をしている。
自ら支援に入ることにとどまらず、それをフレームワーク化して、言葉を尽くして、及川さんが直接支援に入っている先以外の企業にも、説明可能で、応用可能な形まで、及川さんの築いてきたメソドロジーを抽象化し、誰にでも分かるようにかみ砕いて説明している。
自分にとって当たり前のことを、そんなこともわからないなんて話にならないと断じずに、理解してもらう言葉を紡いでいくことは本当に苦しいことだしもどかしいことだ。だから歴史の長い日本企業の中に、「ソフトウェア・ファースト」を伝えていくことは極めて難易度が高い。私はそれを中に入って実践して見せればいいと考えた。
だが及川さんは、それでもそれを言葉にする道を選んだ。本書にはところどころに「なんとしてもこれを言葉で伝えないといけない」という及川さんの覚悟のようなものが滲み出ているように感じられてならない。
だから、もしかするとエンジニアが読むと、「自分が知っていることを、随分と丁寧に説明しているな」と感じる人もいるかもしれない。
だが「ITを活用した新規事業を始める方や事業変革を行っている方々を対象に執筆した」という本書は、エンジニアの人にとっても、なぜ自分たちが大事にしていることが必要なものなのかを、非エンジニアの人に伝える必要のある場面で、他に類を見ないほどヒントに満ち溢れている。
それに、ちゃんとエンジニアが読んでも満足できるよう、エンジニアの将来のキャリアパスの話や、及川さん自身のキャリアの振り返りの章まで用意されており、盛りだくさんだ。
最後に、「この本がもしあの時に出版されていたら」と私が痛切に思ったのは、次の箇所だ。
正に、この自ら「考えぬくこと」こそが新規事業についてもDXについても最重要だと私は確信している。だが、「方法論の採用や専門家への依頼こそが正しい」という考えの人たちについて、それをうまく説明できなかったもどかしい経験が過去にいくつもあるのだ。方法論は一見万能に見える。方法論をひとたび手にすると、それを用いない人が「それはあなたの勝手な思い付きでしょ?」と原始人か何かに見えてしまうところがあるのだ。考え抜いて見えてきた結論が方法論に則っていないからと蔑まれたときに、もしあの時この本があったら……と思えてならない。
長々と書いたが、良書である。新規事業に携わる人、DXに携わる人、エンジニア全般に、本書を一読する価値があるだろう。
とりわけ私にとっては、問題意識や取り組みの方向性があまりにも自分と一致しすぎていて、「いや、本当にそう。それでいまこういうことをやってるのよね。」と一致の程度が高すぎて読んでいてところどころで共感の気持ちが声として漏れ出てしまう内容であった。むしろ違和感があまりにもなさすぎて、危険だとさえ感じた。共感の程度が高すぎると、自らが肯定されたような気分になり、このままで良いのだろうかという迷いから生まれる自省的考察から自らを遠ざけることがあるからだ。
現在の事業を始めた頃、筆者は、技術を活用し、グローバル市場を狙うなどの高い使命を掲げた若いスタートアップを支援していました。しかしある時、日本を変えるならば、大企業のほうがレバレッジが効くことに気付きます。いくら優秀で、成長スピードが速いスタートアップでも、今の日本ではどうしても限界があるように感じました。
p.3
私がクレディセゾンに来たのはまさにこれが理由だ。
自分でアプレッソといベンチャーを立ち上げてきたし、DataSpiderというプロダクトも生み出した。だが、あるときから、「やはり日本の大企業が短期間にデジタルへと変化していくことにこそ意味がある」と考えるようになった。だから私は3月にクレディセゾンのCTOになり、新しいチームを立ち上げ、9月には第一弾として「お月玉」という新サービスを作った。
だがひとつ違いがある。それはアプローチの違いだ。
私は、セゾン情報の時にも、クレディセゾンの時にも、「経営者として自ら中に入り、中から状況を変えていく」ことにこだわりを持って会社経営をしてきた。出島戦略を取ってデジタル子会社をつくるような「外部からの改革」ではなく、内部に入り、既存事業と正面から向き合い、ぶつかることがあっても対話し、手を取り合うことでこそ既存事業のアセットをフル活用したデジタル化が実現できると考えているからだ。
だがこのやり方には弱点がある。それは再現性とスケーラビリティーだ。ひとつの事例をつくることはできても、それ以上のことはできない。それに、説明責任の点ではある意味楽なところもある。結果を出してしまいさえすれば良いからだ。「なぜ」を言葉を尽くして説明することが必ずしも必須ではないのだ。
だが及川さんは、私が挑戦しているのとはまったく別次元の挑戦をしている。
自ら支援に入ることにとどまらず、それをフレームワーク化して、言葉を尽くして、及川さんが直接支援に入っている先以外の企業にも、説明可能で、応用可能な形まで、及川さんの築いてきたメソドロジーを抽象化し、誰にでも分かるようにかみ砕いて説明している。
自分にとって当たり前のことを、そんなこともわからないなんて話にならないと断じずに、理解してもらう言葉を紡いでいくことは本当に苦しいことだしもどかしいことだ。だから歴史の長い日本企業の中に、「ソフトウェア・ファースト」を伝えていくことは極めて難易度が高い。私はそれを中に入って実践して見せればいいと考えた。
だが及川さんは、それでもそれを言葉にする道を選んだ。本書にはところどころに「なんとしてもこれを言葉で伝えないといけない」という及川さんの覚悟のようなものが滲み出ているように感じられてならない。
だから、もしかするとエンジニアが読むと、「自分が知っていることを、随分と丁寧に説明しているな」と感じる人もいるかもしれない。
だが「ITを活用した新規事業を始める方や事業変革を行っている方々を対象に執筆した」という本書は、エンジニアの人にとっても、なぜ自分たちが大事にしていることが必要なものなのかを、非エンジニアの人に伝える必要のある場面で、他に類を見ないほどヒントに満ち溢れている。
それに、ちゃんとエンジニアが読んでも満足できるよう、エンジニアの将来のキャリアパスの話や、及川さん自身のキャリアの振り返りの章まで用意されており、盛りだくさんだ。
最後に、「この本がもしあの時に出版されていたら」と私が痛切に思ったのは、次の箇所だ。
コンサルタントに依頼したら市場を調査してくれて、画期的な新規事業を提案してくれるーそれでいいなら、日本は『失われた30年』と言われるような状況には陥っていないでしょう。
<略>
Gmailやパーソナルコンピューターの例から分かるのは、ディスラプティブな事業というのは市場やユーザーが存在していないということです。ユーザーさえも気付いていない潜在的な課題やニーズは一般的な調査では発掘できません。これが従来の手法が通用しない理由です。
もちろん、入念な市場調査がすべての状況において無意味というわけではありません。既存の市場に新規参入する場合には市場調査は不可欠でしょう。ですが、その調査結果をどう見るか、そこからどのような課題を導き出すかは、調査を外部に委託したとしても自ら考えなければなりません。考えること、考え抜くことが必要です。これがソフトウェア・ファーストで最も大事なこととなります。
p.132
正に、この自ら「考えぬくこと」こそが新規事業についてもDXについても最重要だと私は確信している。だが、「方法論の採用や専門家への依頼こそが正しい」という考えの人たちについて、それをうまく説明できなかったもどかしい経験が過去にいくつもあるのだ。方法論は一見万能に見える。方法論をひとたび手にすると、それを用いない人が「それはあなたの勝手な思い付きでしょ?」と原始人か何かに見えてしまうところがあるのだ。考え抜いて見えてきた結論が方法論に則っていないからと蔑まれたときに、もしあの時この本があったら……と思えてならない。
長々と書いたが、良書である。新規事業に携わる人、DXに携わる人、エンジニア全般に、本書を一読する価値があるだろう。
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