略歴
- 1952年鹿児島県出水市生まれ
- 早稲田大学卒業
- 柔道3段(元国体強化選手)
- 党板橋地区委員長、党東京都委員会書記長・副委員長を歴任
- 「革新都政をつくる会」代表世話人を歴任
- 03年、05年、09年衆議院小選挙区(板橋)候補
- 板橋区立中学校PTA連合会・副会長、桜川中学校PTA会長を歴任
- マンション管理組合理事長を歴任
- 東日本大震災では、宮城県石巻市を中心に党の責任者として約1年間救援活動に参加
- 趣味は読書、スポーツ大好き人間(柔道3段、登山、サッカー)、自転車で毎日区内を駆け回り、要求・要望あるところ、どこでも駆けつける
- 板橋区東新町2丁目在住、家族は妻(保育士)、1女1男
原点は104歳母の言葉
「人のため、世のために働きなさい」

苦労したから、痛みがわかる
農家には、コメや野菜はたくさんあっても、現金がありません。小学生から母親といっしょに朝5時に起きて、野菜を市場に売りに行き、中学生からは新聞配達で家計を支えました。その苦労が私を支えています。
被災地で1年間、支援の責任者
日本共産党の東日本大震災の現地支援の責任者として1年間、宮城県石巻市にはりつきました。吹雪の中15キロの道のりを自転車で支援にかけつける日もありました。
その内のべ5ヶ月間は現地に泊まり込んで7千人の救援ボランティアを受け入れ、3万人を超える被災者への救援物資の配布、炊き出し・泥だしなどの支援活動に取り組んできました。
政治の原点はいのち・くらしを支えること
被災者の生死の境をさまよう壮絶な体験を聞きながらの救援活動は、「人間修行」の場ともいえる貴重な経験となり、政治と政党のあり方、生き方など多くのことを学びました。
私は、この経験から政治の原点は、いのち・くらしを支えることにこそあると肝に銘じ、都民の願いによりそって頑張る決意です。
とくに東京都政は、石原知事になってから、「なにが贅沢かといえば、まず福祉」といって福祉を切り捨て、さらに、「自己責任」という言葉で冷たく、都民に負担と犠牲を押し付けてきました。こんなやり方は、絶対に許せません。
私は、「3・11大震災」での救援活動の経験を生かして、都民のいのちとくらしを最優先にした福祉に強い街づくり、首都直下地震が予想されるだけに防災に強い街づくりのために、全力をあげます。
安倍首相が憲法9条改憲宣言
憲法守れの願い、こぞってとくとめ道信へ
特攻隊基地の近くで育ったものとして憲法9条を守り抜く
安倍首相は、憲法記念日にこれから3年内に憲法9条を変えると宣言しました。海外での武力行使に憲法の歯止めがなくなります。
私のふるさと出水の特攻隊基地からは10代の青年が次々と出征し、還らぬ人となりました。基地が近くにあることで何度となく空襲を受け、母たちは逃げまどいました。戦争の悲惨さは二度と繰り
返してはなりません。
日本が再び戦争への道を踏み出そうとしている今こそ、1922年の創立以来、95年間、反戦平和つらぬく日本共産党をのばしてください。
豊洲市場問題
苦学生時代に働いた築地は「都民の台所」
豊洲新市場予定地は汚染がとりきれず、農水大臣も汚染が残っている土地に市場をつくることは「想定しえない」といいます。
私は学生時代、学費をかせぐため、毎日始発で築地市場に通い、働いていました。そこではみんなが、食の安全を徹底し、「都民の台所」を守りぬく、というきびしい姿勢で働いていました。築地の安全性は80年の歴史で試されずみ。築地での再整備こそ「都民の台所」と「仲卸の誇り」を守る道です。

区内はもちろん、都議会へも自転車で移動します。公用車はもちろん、電車もほとんど使いません。あるテレビ番組の体力測定で「20代」と判定されました。